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『プロミシング・ヤング・ウーマン』レビュー☆人生を賭けた復讐

(C)2020 Focus Features, LLC.
その他の森

タイトルの英語は、「将来を約束された若い女性」を意味しています。
そのような未来ある女性が人生を賭けた復讐劇に挑むことになった事情とは、いったいなんなのでしょうか?


  • 『プロミシング・ヤング・ウーマン』
  • 脚本・監督
    エメラルド・フェネル
  • 主な出演
    キャリー・マリガン/ボー・バーナム/クランシー・ブラウン/ジェニファー・クーリッジ
  • 2020年/アメリカ/113分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

もうすぐ30歳の誕生日を迎えるカサンドラ(キャリー・マリガン)は、カフェでやる気なく働いている。未だに両親(クランシー・ブラウンとジェニファー・クーリッジ)の家に住み、恋人も将来の目標もなく、ただ虚しく日々を過ごしている。

誕生日に両親が用意してくれた大きなプレゼントの包みは、鮮やかなピンクのスーツケースだった。
ピンクは、彼女が好きだった色だ。
これを持ってこの家から旅立ってほしい。自分の人生に向けて、出発してほしい。
両親の願いは、痛いほど理解できた。

実は、彼女には夜の顔があった。
夜な夜なひとりで酒場へ出掛けて行き、立てないほど泥酔したふりをして、彼女をお持ち帰りしようと近づいてきた男たちに制裁を加えるのだ。彼女は専用のノートにその制裁の記録をつけていた。毎回異常に強い筆跡で書き込んだ。あたかも、そのノートにつける制裁の記録が自分の生きがいだ、と言わんばかりに。

10年前、彼女は名門大学の医学部でトップクラスの優秀な学生だった。将来を約束された存在だった。
だがある日、幼なじみで親友だった同級生のニーナがアルという男子学生にレイプされる事件が起きた。ニーナは大勢で飲酒する場で泥酔してしまい、たくさんの男子学生の目の前で辱められたのだった。

許されるはずのない行為だった。だが、被害を訴えても、ニーナに味方する人間はいなかった。その場にいた学生たちは知らぬ存ぜぬで押し通し、女子学生たちもニーナの言葉に無関心だった。
カサンドラはその場にいなかった自分を責めた。
絶望したニーナとともに大学を中退して支えになろうとしたが、ニーナはやがて死を選んでしまった。そして、カサンドラはひとり取り残された。

そんなある日、カサンドラのカフェに偶然かつての同級生ライアン(ボー・バーナム)がやって来た。ライアンはカサンドラのことを覚えていた。
医学部にいた君が、こんな店で何してるの?

適当にはぐらかしたカサンドラだったが、ライアンが語る同級生たちの近況に一瞬顔がこわばった。ニーナをレイプしたアルが結婚するというのだ。
アル・モンロー。その名前を一瞬たりとも忘れたことはなかった。

カサンドラの胸に復讐の炎が燃え上がるのだった‥‥。

出典:DVDパッケージより

☆ただの復讐エンタテインメントではない

脚本と監督を兼任したエメラルド・フェネルはイングランドの生まれ。女優、小説家、テレビプロデューサーなど多彩な肩書きで知られます。本作ではプロデューサーとしてもクレジットされています(ちなみにプロデューサー陣のトップにクレジットされているのは、女優のマーゴット・ロビーです)。

彼女の監督としての長編デビュー作となった本作ですが、第93回アカデミー賞で作品、監督、脚本など5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞しました。
ちなみに、このとき作品賞を受賞したのは『ノマドランド』で、監督賞は同作のクロエ・ジャオに贈られました。

1982年北京生まれのジャオ監督と1985年生まれのフェネル監督。
この年のアカデミー賞は、2人の若き女流監督による事実上の一騎打ちであったことがわかりますね。

そんな甲乙つけ難い2作品ですが、作風は正反対というか好対照で‥‥、特にこと女流監督らしさという点でいえば、本作は『ノマドランド』よりも女性目線をふんだんに感じる作品に仕上がっています。

映画のトップカットは男たちの腰のアップ。
夜のクラブで踊る男たちの揺れる腰を映し続けます。

その酒場で最初のスケベ男を血祭りに上げ、ヒールを脱いで裸足で朝帰りするカサンドラ。
ホットドッグを持ったその腕には、まるで血のようにケチャップが滴っています。

その場面で挿入されるオープニング・クレジット。
キャストやスタッフを紹介する字幕はショッキング・ピンクです。

カサンドラが働くカフェのセットにはペールトーンが多用され、ファッショナブルな衣装や演じるキャリー・マリガンのキュートなルックスも相まって、全体にポップな印象が溢れています。

そればかりか、前半に描かれるゲス男たちとカサンドラとのやり取りには、かすかなコメディータッチすら感じます。

音楽もまた然りです。
スパイス・ガールズやパリス・ヒルトンなどのポップな挿入歌が並び、ラストシーンには懐かしいジュース・ニュートンの「夜明けの天使(Angel Of The Morning)」(1981年)が流れ、「私を天使と呼んで」と歌い上げます。

こうした要素から素直に想像されるのは、男性の身勝手に負けない強い女性のファッショナブルな復讐エンタテインメントではないでしょうか。
それも女性目線満開で、痛快度100%の後味サッパリ系。
実際、途中まではそのように展開していくのですが‥‥。

中盤以降に、復讐の対象が不特定多数のゲス男からニーナの事件の関係者へと移っていくと、少しずつ様相が変わってきます。

同じ女性でありながら、関わりになることを恐れて見て見ぬ振りをした同級生。
加害者の将来のため事件をもみ消した大学の学部長の女性。
ニーナの事件だけでなく、同じ目にあった被害女性たちを脅すなど、常にあらゆる卑劣な手を使って訴えを取り下げさせるべく奔走してきた大学のお抱え弁護士の男性。

鮮やかな手法でそれぞれに天誅を下すカサンドラですが、その心は少しも晴れる様子はありません。
それどころか、やり場のない怒りと虚しさに立ち尽くす日々です。
そして観ている私たちは、事件の根の深さに気付かされます。

加害者の親は大学に多額の寄付をしていたかもしれません。学部長は、毎年多額の寄付を集めることを大学から課されていたかもしれません。
学生たちの「約束された未来」は、そんな危ういバランスの上に積み上げられた崩れやすい幻想だったのでしょうか。

自分の「約束された未来」を守るため、関わらないと決めた女子学生。
加害者の「約束された未来」は守られましたが、ニーナにもカサンドラにも、「約束された未来」はあったはずでした。
自分や自分の身内が被害者になれば、誰もが許されざる行為と判断したでしょう。しかし、彼らは関わらない道を選び、もみ消す道を選びました。

にわかに社会派作品の色彩を帯びて来た最終盤、カサンドラはついに最後の標的に的を絞ります。
舞台は加害者アル・モンローの結婚前夜パーティー。男友達だけが集まって貸切になった山荘へ、ナース姿の娼婦に扮してたったひとりで乗り込んでいくカサンドラ。

彼女の、人生を賭けた復讐が始まります。

(C)2020 Focus Features, LLC.

☆カサンドラの怒りと悲しみ

これから鑑賞する方のためにそれ以降の展開には触れませんが、はっきり言って、あまり後味の良い結末とはいきません(あくまで個人の感想です。多様な意見や感想で、世界は成り立っています)。

フェネル監督は、復讐を題材にしたただのエンタテインメントにするつもりは最初からなかったのでしょう。従来のジャンルの概念には収まらない作品を志向したのだと思います。
観る人によって好き嫌いはあるかもしれませんが、長編一作目にしてその志やあっぱれ、と言わざるを得ません。

そして演出手法にもあっぱれな点が多々ある本作ですが、中でも最もあっぱれな点といえば、それはやはりニーナを登場させなかったことだとモリゾッチは思います。

カサンドラが大切にしていた親友ですから、そして、そもそもニーナの事件がなければ復讐に燃えるカサンドラもいない訳で、となればこの作品自体がないのですから‥‥この上なく大切な存在であることは間違いありません。
普通ならどんな表情でどんな佇まいでどんな雰囲気を纏った人だったのか、役者をキャスティングして回想シーンを入れたくなると思います。

しかし、本作にニーナの回想シーンはいっさいありません(カサンドラと2人で写った子供の頃の写真が出てくるだけです)。

観る側にとって、それは物足りないことでしょうか?
大方の人にとって、その答えは「いいえ」でしょう。ニーナが具体的に描かれないことで、観客は逆に自由に、自分にとってのニーナをイメージしながら観ることができます。
自分にとっての大切な人をイメージして、その人の身に起きた事件として捉え、感情移入することができます。
よく計算されていますね。

それだけではありません。

実はこの事件、一部始終を動画に撮られ、当時一部の学生の間でその動画が共有されていたことが判明します。
おぞましい話です。

そして、カサンドラがその動画を再生するシーンがあります。
カメラはカサンドラだけを写しています。彼女が見ている画面を写すことはありません。スピーカーから流れる動画の音声(それは周りで見ている男子学生たちが囃し立てる声ですが)だけが聞こえ、カメラは画面を見つめるカサンドラのアップからゆっくりとズームアウトしていきます。

1シーンでも回想を入れてニーナの具体像を描いていたら、この演出プランは成り立ったでしょうか?
このレイプ事件は本作の核になる重要な事実です。その映像が撮られていたにも関わらずその映像を見せない。このやり方は、下手をすると観客の中にフラストレーションを生じさせてしまう恐れがあるでしょう。

実際これまでの男性監督・男性プロデユーサーの手になる同種作品では、回想シーンでニーナの人となりを描いた上で、レイプシーンを具体的な映像にして、事件の陰惨さ、卑劣さをより強調する手法が取られがちだったと思います。
それが主人公の復讐の正当性を確保する最善の方法だ、という考え方です。

しかし、フェネル監督はこの方法を採りませんでした。
これは推測でしかありませんが、卑劣で陰惨なレイプシーンを具体的な映像にして見せることで、現実世界で同種の行為を誘発する危険性があることを、監督は憂慮したのではないでしょうか。世の中には、刺激的な映像を見ると真似をしたくなるタイプの人たちが少なからずいる、と。

そのようなリスクのある映像を具体的に示すよりは、それを見つめるカサンドラの怒りと悲しみを描くほうが重要で効果的だ。
フェネル監督はそう考え、そのような演出手法がより自然に受け入れられるように、ニーナをいっさい登場させないことにしたのではないでしょうか。

女性監督らしい配慮がなされた、実にあっぱれな判断だと思います。

(C)2020 Focus Features, LLC.

☆人生を賭けた復讐

さて、ハリウッドで#MeToo運動が燃え盛ったのは2017年から2018年だったでしょうか。
主要なプロデューサー、監督、脚本のすべてを女性が占める、性加害へのリベンジをテーマにした映画がアカデミー賞を受賞する時代になりました。

新たな女性の才能が加わることは、映画の可能性がまた大きく膨らんでいくことにつながります。その意味で、このあっぱれな女流監督の活躍に今後も期待していきたいと思います。

というわけで本作、間違いなく一見の価値があります。
そしてご覧になれば、モリゾッチが「人生を賭けた復讐」とタイトルをつけた理由も、ご理解いただけるものと思います。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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