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『ノマドランド』レビュー☆資本主義が作り出した難民か、それとも?

© 2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.
その他の森

第93回アカデミー賞の監督賞に輝いた作品を今回は取り上げます。ちなみに本作は作品賞と主演女優賞も獲得しています。
データです。


  • 『ノマドランド』
  • 脚本・監督
    クロエ・ジャオ
  • 主な出演
    フランシス・マクドーマンド/デヴィッド・ストラザーン/実際に車上生活をしている人々
  • 2021年/アメリカ/108分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆漂流する高齢の車上生活者たち

近年、アカデミー監督賞は圧倒的に外国人監督の手に渡っています。
2010年にアメリカ人のキャスリン・ビグローが女性として初めて受賞しましたが、その翌年は‥‥と語るより、一覧表にするのが手っ取り早いですね。

  • 2010年‥‥キャスリン・ビグロー(アメリカ)※女性として初受賞
  • 2011年‥‥トム・フーパー(イギリス&オーストラリア)
  • 2012年‥‥ミシェル・アザナヴィシウス(フランス)
  • 2013年‥‥アン・リー(中華民国)
  • 2014年‥‥アルフォンソ・キュアロン(メキシコ)
  • 2015年‥‥アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(メキシコ)
  • 2016年‥‥アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(メキシコ)
  • 2017年‥‥デイミアン・チャゼル(アメリカ)
  • 2018年‥‥ギレルモ・デル・トロ(メキシコ)
  • 2019年‥‥アルフォンソ・キュアロン(メキシコ)
  • 2020年‥‥ポン・ジュノ(大韓民国)
  • 2021年‥‥クロエ・ジャオ(中華人民共和国)※有色人種の女性として初受賞

2014年以降吹き荒れていたメキシコ旋風が2020年にようやく収まり、アジアに流れが向いてきている感があります。今年の第94回アカデミー賞では、日本の濱口竜介監督が、ジェーン・カンピオンやスティーブン・スピルバーグらと共にノミネートされていて、楽しみです(この記事は、2022年3月7日に書いています)。

さて、「ノマド」とは遊牧民を意味します。
最近日本では、ノートPCやタブレット端末等を持って通常のオフィスを飛び出し、スタバなどさまざまな場所で仕事をする人を「ノマドワーカー」と呼んだりしますが、その「ノマド」と同じですね。

この映画の原作にもこの言葉が使われています。
ジェシカ・ブルーダー著『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(2017年出版、日本では2018年春秋社刊)。リーマンショック後の企業の倒産や事業縮小などの事情により、生活の基盤を失い、家を手放さざるを得なかった人々。そのうち多くの高齢者が車上生活者となり、低賃金の季節労働を求めて全米各地を旅しながら暮らしている。その実態を明らかにしたノンフィクションです。

日本の「ノマドワーカー」とは、根本的に違います。

この物語の主人公、フランシス・マクドーマンド演じるファーンという女性も、夫の病死と未曾有の経済危機による工場の閉鎖という事態が重なり、長年夫婦で暮らした社宅を出ると同時に車上生活を始めます。僅かばかりの年金は最初から当てにせず、過酷な肉体労働で最低限の生活費を得ようとします。
クリスマスシーズンになればAmazonの倉庫で働き、その仕事が終われば暖かい州へ移動して国立公園で清掃の仕事をしたり‥‥。

その過程で同じように車上生活をしている人たちを知り、彼らの人生に触れていくことになるのです。

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☆なぜ孤独を選ぶのか?

まず印象に残るのは、ファーンが出会う車上生活者たちの個性的な佇まいです。デヴィッド・ストラザーンが演じた男性(彼は途中で息子の家に引き取られ、定住生活に戻ります)以外は、すべて役者ではなく、本物のノマドの人たちだというのですから、驚きです。

その彼ら、彼女らが、人生を語り、車上生活を語るのですが、その語る様がプロの役者の芝居と渡り合い、充分に釣り合って物語を紡いでいくのですから、監督の仕事はさぞ大変だったであろうと思います。アカデミー監督賞を贈られる理由は、充分理解できる。まさにオスカーに値する仕事だという気がします。

次に気づくのは、彼らが旅するアメリカ西部の荒野の景色が、あまりに美しいことです。
まだヨーロッパの人たちがここへやって来る前、ネイティヴ・アメリカンの人たちが見ていた景色もほぼこれと同じだったんだろうな、とか、自分たちの祖先が駆逐したネイティヴの人々の暮らしを今のノマドの人たちは追体験しているのか、とか、まさに開拓者の精神こそがアメリカの原点で、今のノマドの人たちは現代の新しい開拓者なのか、とか‥‥。
さまざまな想いが駆け巡り、心穏やかではいられないような、そんな荒野の美しさをこの映画は見せてくれます。

劇中、ファーンは2度、車上生活をやめて一緒に暮らさないかと誘われます。1度目は、動かなくなった車の修理代を借りるため姉の家に立ち寄ったとき。2度目は、車上生活仲間の男性が息子と同居することになった家を訪問したとき。

ファーンは、1度目はきっぱりと拒否し、2度目は心が揺れますが、やはり自分はここにはいられないというように、再び荒野の1本道に身を投じます。

なぜなのでしょうか?
なぜ彼女は、差し伸べられた手を振り切って、孤独の道を選ぶのでしょうか?

クロエ・ジャオ監督の演出は、そんな観る者の疑問に直接答えようとはせず、あまりにも美しい大自然の姿をただ提示するのみです。

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☆胸に秘めた深い悲しみ

かく言うモリゾッチも、その理由を完全には理解できません。
彼女の胸の内を想像してみることができるだけです。

ひとつ言えることは、彼女に限らずノマドの人たちは、心に深い悲しみを抱えているように見える、ということです。
大切な人を失った‥‥。大切な物を、大切な家を失った‥‥。
その悲しみを胸に秘めたまま、彼らは漂流を続けます。

ノマドの中の1人がファーンに語りかけるシーンがあります。
「車上生活の好きなところは、さよならを言わなくていいところなんだ。別れるときにはこう言えばいい。じゃあまたな。いつかどこかで、また会おう、ってね」

客観的に見れば、彼らノマドの人たちは、資本主義が作り出した難民と言えると思います。現代アメリカ社会が作り出した新たな難民‥‥。

このことは映画では全く語られませんが、例えばAmazonが、繁忙期のクリスマスシーズンのために倉庫で働く大量の労働者を常雇いしたらどうでしょうか。おそらくファーンや多くの季節労働者は、アマゾンの倉庫の近くに定住する道を選んだような気がします。
そしてAmazonは、膨大なコストを背負い込むことになったでしょう。

ファーンたち季節労働者が漂流生活をしているおかげで、我々一般消費者は送料込みの低価格というAmazonの恩恵を享受できるのです。

資本主義が作り出した難民。

☆世界史の皮肉と難民たち

それにしても、なんだか不思議な巡り合わせのようなものを感じてしまうのは、モリゾッチだけでしょうか?

資本主義が労働者に冷たい顔を見せるのは、今に始まったことではありません。資本主義はその始まりから人々を非人間的な環境に置き、過酷な労働を強いることで自らを発展させてきたと、歴史では学びます。
19世紀半ばのドイツでは、この労働者たちの置かれた非人道的な状況を打破しようと、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスが『共産党宣言』(1848年)を表し、「万国の労働者よ団結せよ」と呼びけました。

この思想(マルクス主義)のもとに、実際にいくつかの国で革命が起きます。
この革命で、資本を持つ者が持たざる者を搾取する(資本家による労働者の搾取)という関係は終わりを告げるはずでした。すべての資本を全国民で共有し、労働によって得た利益を平等に分配する、従って非人間的なこととは無縁の、理想の国が出来上がるはずでした。

ところが、最初の共産主義革命と言えるロシア革命から100年以上たった今も、理想の国はこの地球上に存在していません。

革命が起きてから理想の国へ移行するまでの間、抵抗勢力を駆逐するために共産党による一党独裁が必要だとされ(ロシア革命の父と言われるレーニンによって提唱されたらしく、レーニン主義というようです)、その理論に大変忠実な独裁的統治が、現存するすべての共産主義国家で今もなお続いています。

そこでは、名目上は革命を阻む資本家勢力を押さえ込むはずの一党独裁という体制が、国民による政権批判を弾圧するために利用され、一握りの権力者たちの利益を温存するのに役立っています(これは、一部に市場経済を導入したあとも自由・公正な選挙が行われない等、実質的な独裁体制の国においても同様です)。
そうした国々では、資本主義の国よりも貧富の差がかなり大きいということが知られています。

世界史の皮肉と言うよりほかにありません。

これらの国では、難民もまた作り出されます。
ロシアによる軍事侵攻が始まって11日、ウクライナからヨーロッパ各国へ逃れた難民は150万人に達すると報じられています(3月7日時点)。

中国政府による香港民主派への弾圧は記憶に新しいですね。余談になりますが、当時のニュースで香港の行政長官の声明として伝わったのが、「言論の自由は無制限に与えられるものではない」という言葉。無制限でない自由、つまり、制限された自由、これは言葉の矛盾です。これはまさに「言論の自由」を認めないと宣言したのと同じで、忘れることができません。当時香港を諦め台湾へ逃れた人だけでも、1万人を超えたと伝わります。
また、中国を逃れたウィグル族の人たちが強制送還されているという、恐ろしい報道も目にします。

アメリカのバイデン大統領は就任当初から「民主主義と専制主義の闘い」という言葉を使い、専制主義国家の覇権主義に民主主義国家が団結して立ち向かう必要があると語っていました。「専制主義国家」にはもちろんミャンマーのような軍事政権も含まれますが、ここで主に念頭に置かれているのは中国とロシアという共産主義に根を持つ独裁政権です。

「民主主義と専制主義の闘い」は言い換えると、「資本主義と共産主義の闘い」だと言ってほぼ間違いありません。

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☆されど、自由は尊し

さて、もうお気づきのように、共産主義(専制主義)国家も難民を作り出してきましたが、この映画が描いているように、資本主義(民主主義)国家であるアメリカの中にも、車上難民ともいうべき「漂流する高齢労働者」がいるのです。

後者は「心の難民」とも呼べるかもしれません。
彼らが抱える深い悲しみを、心の傷を、今のアメリカ社会は癒すことができないのでしょうか。彼らにとって、荒野を漂流することが、心安らぐ唯一の方法なのでしょうか。

そしてもうひとつの不思議な巡り合わせは、このアメリカの不条理を描いた作品を、共産主義の国で生まれたジャオ監督が紡ぎ出したということです。

映画史の皮肉、とは言い過ぎでしょうか。

ジャオ監督は北京の生まれ。両親が早くに離婚し、国有会社の偉い人だった父親はその後さる女優と再婚。父と継母のもとで育った彼女は15歳でイギリスの寄宿学校に入れられ、卒業後に渡米。マサチューセッツの大学で政治の学士号を取った後、不動産のプロモーターやバーテンダーなどの職業を経て、ニューヨーク大学で映画制作を学んだ、とされています。

全くの空想ですが、伝わる経歴が本当であれば、漂流するノマドの人たちと自分の人生を重ねて見ていた、ということも、もしかしたらあったのかもしれませんね。
おおっと、あまりいい加減なことを言うと顰蹙(ひんしゅく)ですね。なんの根拠もない戯言です。失礼しました。

確かなことはひとつだけ。
「表現の自由」が保証されていることは尊い。当たり前のように思いますが、実はとても尊いことだと。

アメリカの不条理を描いた本作がアメリカでオスカーを受賞する。
その映画をネタに、モリゾッチが好きなようにブログを書く。
どちらも、この上なく尊いことだと、胸に刻みたいと思います。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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