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『バービー』レビュー☆ありのままの自分が何より尊い

©︎ 2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
コメディーの森

2023年に公開された映画の中で、世界中で最も多くの人が観たと思われる作品を取り上げます。女性が監督した映画として史上最高の興行収入を記録した、メッセージ性豊かなコメディーと言える作品です。


  • 『バービー』
  • 脚本
    グレタ・ガーウィグ/ノア・バームバック
  • 監督
    グレタ・ガーウィグ
  • 主な出演
    マーゴット・ロビー/ライアン・ゴズリング/アメリカ・フェレーラ/ケイト・マッキノン
  • 2023年/アメリカ/114分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

さまざまなタイプのバービー人形やケン人形たちが暮らすバービーランド。ブロンドで細身の典型的なバービー人形である主人公のバービー(マーゴット・ロビー)は、そんなバービーランドで楽しく過ごしていたが、ある日自分の足に異変を感じる。まるで人間のように、かかとがペタンと地面に着くようになってしまったのだ。

外の世界を知る変てこバービー(ケイト・マッキノン)によれば、人間の世界へ行って、自分の持ち主が抱えている問題を解決すれば、以前の完璧なバービーに戻れるかもしれないのだった。
かくしてバービーは、ボーイフレンドのケン(ライアン・ゴズリング)とともに人間の世界へ。

来てみれば、人間の世界はバービーランドと正反対。
主要な役職はすべて男性で占められている男性優位社会にショックを受けるバービーとケン(バービーランドでは、大統領や医者や学者などは皆バービー、つまり女性の役割だった)。

そんな男性優位社会の中、仕事と子育てに四苦八苦しているグロリア(アメリカ・フェレーラ)は、マテル社で働く役員秘書。上層部からのプレッシャーで情緒不安定になり、娘のバービー人形に癒しを求める日々。
その娘の人形が自分であると知るバービー。

バービーの不調は、グロリアの精神的なストレスが原因だったのだ。

一方、男性優位社会を目にして覚醒したケンは、バービーランドを男性優位社会に変えるべく画策を始めるのだった‥‥。

出典:ポスターより

☆「女性」の映画を撮ってきた監督

ひとりの女性が人生を見つめ直す姿を追った『フランシス・ハ』(2012年)の主演女優としても知られるグレタ・ガーウィグですが、長編映画の監督デビュー作となった『レディ・バード』(2018年)では、『大人は判ってくれない』の女性版を目指したい、と語っていたそうです。

狙い通りの作品に仕上がり高い評価を獲得したことは、まだ記憶に新しいところです。
続く監督作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年)では、私小説的な前作とは打って変わって古典的な文芸作品の映画化という難事業に取り組み、おなじみの物語を現代的な視点で再構築してみせ、批評家の絶賛を集めました。

南北戦争の時代、性別で人生が決まってしまう社会に抗うように、信じる道を進もうとするヒロイン。その苦悩と成長を、オールスターキャストそれぞれの人生との比較で浮かび上がらせた大作でした。
わずか長編2作目にしてこの力量‥‥、と目を見張った映画ファンは多かったのではないでしょうか。

そんなガーウィグ監督が長編3作目に選んだのが本作。
「理想の女性」を型取ったとされるバービー人形が主人公のお話です。

主演はオーストラリア生まれのマーゴット・ロビー。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)でレオナルド・ディカプリオの妻役に抜擢されてブレイク。『スーサイド・スクワッド』(2016年)では主役のハーレイ・クインを演じ、2019年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と『スキャンダル』、そして『バビロン』(2022年)と話題作への出演が続く実力派です。

また2014年には製作会社を立ち上げ、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(2017年)、『ドリームランド』(2019年)など自身の主演作品のプロデュースにも乗り出しています。
本作も、そんなマーゴット・ロビーによるプロデュース兼主演作品ということになります。

ボーイフレンドのケンを演じるのは、カナダ生まれのライアン・ゴズリング。
王道の恋愛映画『きみに読む物語』(2004年、レビューはこちら)の主演で脚光を浴び、『ハーフネルソン』(2006年)、『ブルーバレンタイン』(2010年)での鮮烈な演技を経て、政治ドラマ『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』(2011年)から金融の世界を描いた『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(2015年)まで、幅広い作品に関わってきました。

『ラ・ラ・ランド』(2016年、レビューこちら)で再び大ブレイクを果たした彼は、本作でまた一段と大きな飛躍、というか挑戦の時を迎えたと思います。何しろ、「バービーのボーイフレンドである」という以外になんの役割も使命もない、ただビーチが似合う人形の役なのですから。

第96回アカデミー賞授賞式では、劇中でも歌っている「I’m Just Ken」をステージで生披露。会場はこの日のハイライトとも言える大盛り上がりを見せました。ミュージシャンとしての一面もある彼の面目躍如と言える熱唱でした(『ラ・ラ・ランド』で共演したエマ・ストーンにもマイクを向け、一緒に歌う場面は笑えましたね)。

こうしたキャストの魅力にも恵まれた本作、『オッペンハイマー』(2023年、レビューはこちら)との抱き合わせ戦略が日本ではちょっとミソを付けた感がありましたが、作品自体は概ね好評を得たと言えるでしょう。
ちなみに、共同脚本のノア・バームバックは、前出『フランシス・ハ』の監督にして私生活でのグレタ・ガーウィグのパートナー。

第92回アカデミー賞では、彼の監督作『マリッジ・ストーリー』と彼女の『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』が同時に作品賞にノミネートされ、現役パートナー同士の賞レースと話題になりました(受賞したのは『パラサイト 半地下の家族』)。

ちなみついでに、もうひとつ。
本作同様強烈なピンクのイメージが印象的な『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年、レビューはこちら)もマーゴット・ロビーが製作陣に名を連ねていますが、そしてその監督であるエメラルド・フェネルは女優、小説家、プロデューサーと多彩な肩書きで知られる人ですが、「その他大勢」的なバービー人形の役(しかも廃盤になった人形)で出演しているところが、人間関係も含めて面白いですね。

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☆人形を描くことで「人間」に迫る

さて、人間の世界へやってきたバービーは、ハイスクールを訪ねて自分の持ち主であるサーシャ(グロリアの娘ですね)と出会います。歓迎されると確信して勇んで自己紹介したバービーですが、サーシャは人形遊びはとっくに卒業した、現実主義のいまどきの少女。「頭空っぽの人形」だの「美の基準を押し付けてる」だのと批判され、挙句の果てには「フェミニズムを50年ほど遅らせた」とまで言われてしまいます。

悩みのない「おもちゃ」の世界であるバービーランドから、人間の世界へ来て「現実」と向き合うことになるバービー。物語の前半は、こうしたギャップに戸惑うバービーの心情を、マーゴット・ロビーがコミカル、かつキュートに演じて飽きさせません。

ふとしたことからグロリアと知り合い、サーシャとも再会して親子の関係を知り、同時に自分の不調の原因がグロリアの心の問題だと知って‥‥。
バービーは2人を連れてバービーランドへ帰ることを決めます。悩みのないバービーランドを見せればグロリアのストレスも吹き飛ぶだろう、というわけですね。

ところが、帰ってみれば故郷は変わり果てていた‥‥。
一足早く帰ったケンによって支配され、男性優位社会に変えられてしまったのです。大統領バービーも、物理学者バービーも、売れっ子作家バービーも、みんな「ただのガールフレンド」という役回りに満足して、ケンに従属する日々‥‥。

大きなショックに打ちひしがれるバービーですが‥‥。
さあ、ここから、バービーの大逆襲が始まります。
変てこバービーや廃盤バービーたちの助けを借りて、人間の親子であるグロリアとサーシャも加わって、バービーランドの奪還に向けて、バービー人形たちの洗脳を解くための大作戦を実行するのです。

このあたりの展開、男性優位社会への風刺もふんだんに盛り込んで、「女性」の本音や主張をコミカルに表現していきます。テンポよく場面転換していくのですが‥‥、観る人によっては、一つひとつ段取りを踏んでくような流れがまどろっこしく、くどいと感じることがあるかもしれません。ちょっと理屈っぽいと感じる可能性もあるような気がします。

しかし、まあ、ガーウィグ監督にとってはどれも必要なシークエンスであった、ということなのでしょう。監督の思いの深さ、強さというものがそこに表れている、とも言えそうです。

その「思い」とは、男性優位社会での女性の生きづらさとか、女性の社会参加とか‥‥、これまでガーウィグ監督が作ってきた映画のテーマと重なっていて、今回もやはり「女性」がテーマのコメディーらしい。
ここまでのところ、完全にそう見えていることは確かです。

様子が変わるのは最終盤。
作戦が成功して、以前のような女性優位のバービーランドを取り戻したあとです。
自分はこれからどうすればいいのかと苦悩するケンに、バービーが言葉をかけます。

「『ケン』はこうあるべき、とあなたが考える『ケン』は‥‥、本当のあなたじゃない」
そう言いながら、バービー自身も、いま初めてそのことに気づいたような表情です。
「バービーはバービー。ケンはケン」
自分に確認するように、バービーはそう呟きます。

「ケンとは‥‥」
と、そんなバービーを見ながらケンが言います。
「僕?」

ケンは僕。
ケンがその初めてのアイデアを噛みしめているのを見て、バービーは言います。
「私はバービー」

「男性」と「女性」という性差を超えて、いや「性」に割り振られている役割を超えて、ひとりの「人形(=バービー)」として自分という存在を認識する。
その境地にバービーを導いたのは、悩み多き人間の世界を見て、グロリアとサーシャ親子を知り、バービーランド奪還作戦を実行する過程で起きた、彼女の心の中の変化でした。

彼女の冒険に、ひとつも無駄なことはなかったのですね。

前の段落の「人形(=バービー)」の部分を「人間」と置き換えて読んでみてください。
LGBTQ、性自認、多様性‥‥。
今日的なテーマを考える上で核になる立ち位置が、ここに描かれていると気づきます。

考えてみれば、ガーウィグ監督の前作も前々作も、最終的にはそのことを描きたかったのかもしれません。ただ、男性優位社会の中の「女性」という視点、というか主張があまりに鮮明で強烈であったために、「女性目線」の映画と受け取られることが多かったように思います。

監督にしてみれば、前2作の延長線上に本作がある、ということなのかもしれませんが‥‥。
いずれにしても、本作ではバービーやケンという「人形」を描いたことで、性差を超えた「人間」に意識が向きやすく、より多くの観客を惹きつけることにつながった。そんなふうに言えるのではないでしょうか(いままでの作風を変えて思い切ったコメディーにした点も、観たいという気持ちをより刺激して、観客動員に貢献したかもしれませんね)。

さて、そんな本作のラストで描かれるのは、主人公であるバービーのひとつの決断。
人形を描くことで「人間」に迫ろうとする物語の流れからは、このピノキオ的決断(あるいは、失楽園的とも言えるかもしれませんが)は、ある種必然とも思えます。

ありのままの自分が何より尊い。
ラストシーンで産婦人科クリニックの受付に立つ彼女の胸にあるのは、言ってみれば、そんな思いではなかったでしょうか?

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モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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