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『シェイプ・オブ・ウォーター』レビュー☆本質を見るとはどういうことか?

©2017 20th Century Studios. All Rights Reserved.
ラブロマンスの森

水がどんな形にも変化する様は、愛の多様性に通じる。本作の監督は、来日時のインタビューでそう語っています。第90回アカデミー賞で作品賞、監督賞など4部門受賞の作品を取り上げます。


  • 『シェイプ・オブ・ウォーター』
  • 脚本
    ギレルモ・デル・トロ/ヴァネッサ・テイラー
  • 監督
    ギレルモ・デル・トロ
  • 主な出演
    サリー・ホーキンス/マイケル・シャノン/リチャード・ジェンキンス/ダグ・ジョーンズ/オクタヴィア・スペンサー
  • 2017年/アメリカ/123分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

声を出せない中年女性と謎の半魚人の出逢い

1960年代、冷戦下のアメリカ。海に近い小さな田舎町。
主人公のイライザは、適齢期を過ぎた独り暮らしの女性である。古い映画館の上にあるアパートに住んでいる。職場は「航空宇宙研究センター」。国家機密も扱うような大きな機関だが、そこで深夜の清掃係として働いている。

彼女は、外見に少しばかり特徴がある。首の両側に、まるで鋭い爪で引っ掻いたような傷跡が3本の線となって生々しく残っているのだ。

彼女は実は捨て子である。赤ん坊のときに川に捨てられていたのだが、首の傷はそのときからあったという。その後孤児院で育てられた彼女は、かつてイタリアで捨て子につけられた苗字とされるエスポジートを名乗っている。

傷を負った際に声帯を切られたイライザは、言葉を発することができない。

彼女には2人の友達がいる。
アパートの隣室に住んでいるゲイの老人ジャイルズと、職場の同僚で黒人女性のゼルダだ。2人は手話を理解するので、イライザは彼らとコミュニケーションを取りながら、アパートと職場を往復するだけの退屈だが平穏な日々を過ごしている。

ある夜、職場に極秘の研究対象が搬送されてくる。
アマゾンの奥地で神と崇められていた謎の半魚人を捕獲してきたのだ。

軍からこの研究の指揮を任されたストリックランドは、謎の半魚人を手荒に扱ったせいで指を2本食いちぎられる。血で汚れた床の清掃のためにゼルダと共に部屋に入ったイライザは、水槽のガラス越しにその半魚人と対面することになる。

©2017 20th Century Studios. All Rights Reserved.

半魚人を救い出せ

謎の半魚人に何かを感じたイライザは、後日、水槽の端に家から持ってきたゆで卵を置いてみる。恐る恐る水中から顔を出した謎の半魚人は、イライザを警戒しながら、その卵を手に取って急いで水中へと身を隠した。

それからイライザは、少しずつ謎の半魚人とコミュニケーションが取れるようになっていく。携帯蓄音機を持ち込んで、音楽を聴きながら隣でサンドイッチを食べたり、モップを振りながら踊って見せたり、水槽のガラス越しに半魚人と手のひらを合わせたり‥‥。

それはさながら2人の、いや、イライザと謎の半魚人のデートのように見える。
そして、そんな彼女たちの様子を、研究員のホフステトラー博士が物陰から見ていた。

実はホフステトラー博士は、ソ連から送り込まれたスパイであった。謎の半魚人に関する情報を本国に送るのが彼の現在の任務なのだ。
一方、ストリックランドから報告を受けてアメリカ軍部が下した命令は、生体解剖して半魚人の謎を解明せよ、というものだった。これ以上半魚人の相手をしたくないストリックランドは、喜んでホフステトラー博士に解剖を命じた。

ホフステトラー博士は本国に対し、解剖を阻止し半魚人を生かしたまま研究して、ソ連の宇宙計画に生かすべきと進言したが、本国の回答はつれないものだった。
我々が研究する必要はない、アメリカが研究できないようにすればいいのだ。つまり、解剖される前に殺して死体を消し去れということだった。

謎の半魚人を殺したくないために苦悩する博士。
そしてその頃、イライザもまたストリックランドの解剖計画を知ってしまい、苦悩していた。

イライザは隣室の老人ジャイルズに相談するが、取り合ってもらえない。
手話を使い必死で懇願するイライザだったが‥‥。

「シェイプ・オブ・ウォーター」ポスター写真
出典:DVDパッケージより

☆彼は私の本質を見てくれる

この物語は、大変よくできたファンタジーです。
ですがこの映画を見てモリゾッチが一番驚いたのは、ファンタジーとは無縁のある気づきを与えてくれたことでした。

それは物語序盤。イライザとゼルダがトイレ掃除をしてるところに悪役のストリックランドが入ってきます。彼はおもむろに手を洗いながら言います(まだ指を食いちぎられる前です)。
「男には2種類ある。用を足してから手を洗う奴と、用を足す前に手を洗う奴だ」
そして洗い終わった手を綺麗に拭いてから、小便器の前に立ちました。
イライザは、へー、知らなかった、という感じで聞いています。

まさに、へー、知らなかった、です。
モリゾッチは今まで、1種類の男しか見たことないです。
うーん、汚い手でアレを触りたくないということでしょうか?
確かに一理あるような‥‥。
なんだかあの議論を思い出しますね。食べてから歯を磨くか、食べる前に歯を磨くか、っていうね。
し、しかし、ストリックランドはトイレを出るとき手を洗わないのです。廊下へ出て誰かと握手するかもしれません。うーん‥‥。

そのことが気になって、次のシーンにあまり集中できなかったことを覚えています。
(ちなみに上記は劇場で見たときのモリゾッチの記憶で書いています。実際の字幕とは一致してないかもしれませんが、ご容赦を)

とはいえ、この物語はやはり大変よくできたファンタジーです。
それは間違いないのですが、しかしこの映画の魅力はそれだけではありません。
ファンタジーであるだけでなく、ちょっとしたセックス描写があり、残酷・暴力描写もあります。クスクス笑える場面が随所に用意されているかと思えば、スパイがらみのサスペンス要素もふんだんに入っています。
後半から終盤はかなりハラハラ、ドキドキし、最後にドンデン返しも待っています。

映画の楽しみ、と言って思いつくような要素をすべてぶち込んだ、いわば映画の楽しみのテーマパーク、というか、オール・イン・ワン・パッケージ的作品と言えると思います。

そんなわけで、どのカテゴリーに入れるか悩んだ結果、記事冒頭に紹介したデル・トロ監督の言葉が浮かび、「ラブ」のカテゴリーとすることに決めました。
監督の頭の中心にあったのは「愛の多様性」。
それをシンボリックに表すために使われたのが「水」。
どうやら、そういうことになるようです。

「ラブ」のカテゴリーの恋愛ものであれば、特に普通の、人と人の恋愛ものであれば、主人公が相手を好きになる瞬間というか、好きだと思う瞬間というか、そういう場面があって、その場面に説得力があると(つまり好きになる理由に説得力があると)、そしてそこへ美しい音楽なんかが入ってきたりすると、観客は主人公の恋にグーっと思い入れることができて、一気に引き込まれていきます。
が、この作品では、そういう場面は特に描かれていません。

それを理解したければ‥‥、イライザが謎の半魚人を好きになった理由を理解したければ、観客は自分が見たシーンの中から想像するしかありません。

では、想像してみましょう。
解剖されることになった半魚人を救うため、隣人ジャイルズに協力を求めるイライザですが、手話を使ってこんなふうに訴えます(これも字幕と同じ表現ではないかもしれませんが、ご容赦を)。

私は話すことができないから彼と出逢った。
彼は知らない。私に何が欠けているかを。
彼が見ているのは、ありのままの私。私の本当の姿。

どうでしょう?
ありのままの自分を受け入れてくれること。自分の本質を見てくれること。
そのことが決め手になって、イライザは謎の半魚人を失いたくないと訴えているのです。
おそらくそういう相手に出逢ったことは、彼女の人生において初めてのことなのだなと、観ている誰もが理解します。
彼女は間違いなく、謎の半魚人を愛してしまったのです。

でも、謎の半魚人は、なぜイライザの本質を見ることができたのでしょうか?
その前に、そもそも人の本質を見るとは、どういうことなのでしょうか?

これもやはり、シーンの中から想像するしかありません。
例えば、悪役のストリックランドが意外にもイライザにちょっかいを出そうとするシーンがあります。彼の迫り方は、こんな感じです(これも字幕を再現したものではありませんが、ご容赦を)。

たいして綺麗でもないお前を私が気にする理由がわかるか?
お前は私のタイプなのだ。
声が出ないそうだが、アノときのうめき声は出るのか?

うーん。
どうも、イライザの本質を見ているとは思えません。

昭和の名曲「オリビアを聴きながら」にこんな一節があります。
ちなみにこれは尾崎亜美の作詞・作曲による楽曲で、杏里のデビュー曲ということになっています。
サビのフレーズを引用します。
「疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの」

あなたが見ていたのは私の幻であって、本質ではなかった。
だから愛は終わった、というわけですね。
例が古くてすみません。

出典:ポスターより

☆彼女の本質、彼女は何者?

ストリックランドといえば、彼の家族の描写が出てきます。
郊外の家に子供と妻といかにも幸せそうな暮らしぶりではあるのですが、彼が半魚人に指を食いちぎられて初めて帰宅したとき(医者が3時間かけて応急措置で指を繋げたので、手に包帯が巻かれているだけで指を失ったようには見えないのですが)、子供も妻もまったく手の怪我のことを気にしないのです。

子供は子供で普通に学校の何か(忘れました)について話題にし、妻は妻でこの家は気に入ったとか言っています(謎の半魚人プロジェクトのために家族でこの街にやってきた、ということでしょうか)。
それに対して夫も夫で、新しい車買いたいんだけど、とか言いながらベッドへ入ります。セックスの最中夫の包帯の手が自分の顔の前にきて初めて、妻は夫の指の血に気づくのです。

ちなみにこのシーンを見たときモリゾッチが最初に思ったのは、切断した指の縫合手術をした日にヤルのかよ! ということです。
その感想はそれはそれで正しいと思いますが、今この流れで振り返ってみると、少し違う視点も浮かび上がります。

どうもこの家族は、お互いの本質を見ないで暮らしているように見えます。家だの、車だの、外型的なことに捉われて、家族の本質を見ていない。
モリゾッチは個人的には外型的なことも大切だと考えますが、外型的なことしか見ていないというと、これはやはり問題かなという気がします。

ストリックランド家は、アメリカのエリートの典型的な家庭として描かれています。メキシコ生まれのデル・トロ監督の目には、アメリカ社会がそのように写っていた時があったのかもしれません(現在進行形かもしれませんが)。

さて、話をイライザと謎の半魚人に戻しましょう。
イライザの外型的な部分に捉われずに彼女の本質を見る。
なぜ、謎の半魚人にはそれができたのか?

やはりさまざまなシーンの断片から想像するしかないのですが‥‥。モリゾッチが感じるのは、アマゾンの奥地で神と崇められていた謎の半魚人には、どうやら本質を見抜く能力があるのじゃないか、ということです。

悪役のストリックランドは真っ先に指を食いちぎられました。
隣人ジャイルズの部屋で半魚人と遭遇した猫は、思い切り威嚇した結果あっさりと頭から食われてしまいました。でもその直後、敵意を見せない子猫たちとは、半魚人は仲良く遊んでいたりします。
ジャイルズ老人も腕の傷と頭を優しく撫でられますが、翌日傷は消えてなくなり、頭頂部から毛が生えてきます。

そんな謎の半魚人にとって、イライザの本質を見抜くことはいともたやすいことだったと思われます。

イライザの本質。
シーンの断片をかき集めましょう。
彼女は職場に軽食を持ち込みます。サンドイッチとゆで卵、みたいなやつですね。ゆで卵を茹でてる間、決まって彼女はバスタブで自慰行為をします。
初めて謎の半魚人とコンタクトしたとき、彼女はそのゆで卵を半魚人に差し出しました。

ご存じのように、一般的に広く知られる魚の生殖行動は、メスが水中に産卵し、オスがそこへ精子を放出します。
バスタブのお湯の中、つまり水中の自慰行為と卵。そしてオスに卵を差し出す行為。
彼女は川に捨てられていた‥‥。
しかも、そのときから首の両側にあの3本の線が‥‥。
(この作品はミステリー同様結末をネタバレしない方がいいと思いますので、この首の両側の傷についてはこれ以上触れません。が、映画のラストをご覧になれば100%ご理解いただけると思います)

これらの断片からは、次のような考えが浮かんできます。
彼女は魚の国から来た人かもしれない。
人間の世界に迷い込んだ魚の国の人‥‥(ん? 言葉の矛盾ですか? しかし、魚の国から来た魚、だと、スーパーで売られてしまいますもんね)。

外型的な部分に捉われれば、愛はいくつかのパターンにはめ込まれてしまいがちです。
でもそれぞれの本質に寄り添って考えるなら、「愛の形」は無限にあっていいのではないか。
そんなことを考えさせられます。

☆イライザという名前

最後に、イライザという名前について。
これは『マイ・フェア・レディ』(1964年)でオードリー・ヘプバーンが演じたヒロインの名前です。ご存じのように、20世紀初頭のロンドンを舞台に、下町生まれの花売り娘が言語学の教授の家に住み込みクイーンズ・イングリッシュと教養を叩き込まれ、正真正銘の淑女になっていく‥‥、という話です。

この物語でも、下層階級のイライザは上流階級という異世界へ迷い込んでしまいます。
下品な花売り娘を淑女に仕立て上げることができるか、という友人との賭け事から始まった実験でしたが、やり終えたヒギンズ教授は、いつの間にかイライザに心奪われてしまった自分に気づきます。

外型的な部分を整えたら、イライザはなんととびきりの淑女でした。
でもそれは、彼女が初めから魅力的な女性だったことの証で、逆にいえばヒギンズたちは花売り娘だったイライザの本質を見ることができなかった。
これが、モリゾッチの解釈です(あくまで個人の感想です。多様な意見や感想で、世界は成り立っています)。

この2つの映画のヒロインが同じ名前とは、偶然にしては出来過ぎの感があります。

モリゾッチも、外型的なことだけに捉われず、モリコッチやモリオッチ(妻と息子です)の本質をちゃんと見るように努力したい。あらためてそう思いました。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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