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『雨の訪問者』レビュー☆大事な人との心の距離は?

出典:本作BDパッケージより
ミステリーの森

雨の季節にぴったりのイタリア・フランス合作映画をご紹介します。
『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』の名匠ルネ・クレマンの手になる傑作サスペンスです。


  • 『雨の訪問者』
  • 脚本
    セバスチアン・ジャプリゾ
  • 監督
    ルネ・クレマン
  • 主な出演
    チャールズ・ブロンソン/マルレーヌ・ジョベール/ジル・アイアランド/ガブリエレ・ティンティ/アニー・コルディ
  • 1970年/イタリア・フランス/120分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

海の見えるフランスの田舎町。若妻メリー(マルレーヌ・ジョベール)は、航空機の副操縦士をしている夫トニー(ガブリエレ・ティンティ)と2人暮らし。
トニーはフライトの都合で3〜4日に一度しか帰ってこないので、昼間は近所にいる母(アニー・コルディ)の店で過ごし、夜は自宅でひとりというのが、メリーの日課だった。

雨の降りしきるその夜も、メリーはひとりだった。
風呂の準備をしていたメリーは、突然ストッキングを被った男に襲われる。必死に抵抗し、助けを呼ぼうとするが、彼女の声は雨にかき消されて誰にも聞こえない。
ボディにパンチを喰らったメリーは動けなくなり、押さえ込まれ、レイプされて気を失った。

目覚めたメリー。静まり返った家。放心状態。
だが、地下室の方から微かな物音。彼女は静かに立ち上がった。ライフルを取り、弾を込め、地下室の入り口に向かって2発撃ち込んだ。
ストッキングの男は死んだ。
彼女は死体を車に載せ、崖へ運んで海に捨てた。その夜遅くにトニーが帰宅したが、彼女は何も話すことができなかった。

翌日は友人の結婚式で、メリーはトニーといっしょに出席した。その会場でハリー・ドブスと名乗るアメリカ人(チャールズ・ブロンソン)がメリーに近づき、昨日家に忍び込んだ男を殺さなかったか、と尋ねた。
驚愕するメリー。
なんとかその場を取り繕うが、ドブスは明らかに何かを知っていた。

ドブスとは何者で、死んだ男との関係は?
そして何より、ドブスの目的は一体なんなのだろうか?

出典:BDパッケージより

☆ルネ・クレマンVSフランシス・レイ

大粒の雨が打ちつける水たまりを、路線バスの無骨なタイヤが踏みつけていきます。
灰色の道、灰色の海、灰色の松林。路線バスはベンツ製のシルバーの車体を軋ませて、雨に煙る海辺の街をゆっくりと走っていきます。

カラー作品ですが、そんなモノトーンの映像の積み重ねから、本作は始まります。
やがてバスは停留所に着き、傘を持たないコート姿の男がひとり降り立ちます。バス停の向かいにある店の窓から、若い女がそれを見ています。

「マルセイユからのバスだって? こんな時期に降りる人がいるなんてね」
店の奥からそう声をかけるのは、母親です。
「ええ。本当によく降るわ」

頷きながらそう返した若い女は、今夜その男に自分がレイプされることをまだ知りません。まして、その男の訪問をきっかけに自分が迷い込んでいくことになるワンダーランド(不思議の国)のことなど、彼女、すなわちメリーには、想像すらできなかったことでしょう。

半世紀も前の映画です。筋立ての緻密さで言えば、最近の娯楽大作に及ばない点は多々あります。
しかし、それを補って余りある名匠の語り口の巧みさ。クローズアップを多用してぐいぐいとストーリーを進めていく技の確かさに、惚れ惚れします。

そしてさらに、メリーが迷い込む不思議の国の入り口は地下室に設定されています。暗い地下室へ降りて男の死を確認した彼女は、恐怖のあまり後退り何かにつまずいて、まるでウサギの穴に転がり落ちたアリスよろしく、でんぐり返しの一回転。
そんな粋な演出にも、ルネ・クレマンの技巧の冴えと遊び心を感じます。

この謎だらけの物語に、物悲しくも美しい旋律で彩りを添えるのは、映画音楽界のこちらも名匠フランシス・レイ。『男と女』『パリのめぐり逢い』『白い恋人たち』『ある愛の詩』‥‥。いずれ劣らぬ名作のメロディーがすぐに頭に浮かぶ、達人中の達人です。

そんな東と西の横綱ががっぷり四つに組んだような座組みの本作ですが、その中にあって謎に翻弄されるヒロインを演じたマルレーヌ・ジョベールは大健闘と言えるでしょう。
そばかす顔、ショートヘア、細い脚‥‥。一見少年のような風貌の中に可憐さを漂わせ、観る者の心に強い印象を残します。

そして、謎のアメリカ人のチャールズ・ブロンソン。
こちらは翻弄する側ですが、正邪両面を併せ持つ円熟の渋さが独特の存在感を放って、まさにハマリ役の感があります。ヒロインだけでなく観る者をも翻弄し、また同時に魅了します。

雨の訪問者 [DVD]
出典:DVDパッケージより

☆彼女は雨の夜、不思議の国へ迷い込んだ

というわけで本作、ミステリー要素の濃い物語ですので、これ以上のネタバレは避けるべきかと。なるべく予備知識のない状態でご覧いただくために、ここから先は、当たり障りのない(作品の結末に関係のない)モリゾッチの感想を、手短にお伝えしようと思います。

大事な人はひとりにしておいてはいけない。
頭の中に真っ先に浮かんだのは、このことでした。これはもちろん当たり前のことですが、このことをあらためて確認したというか、再認識させられた気がします。

ヒロインのメリーはいつもひとりです。
夫の仕事の都合なので、それはまあまあ、仕方のないことのようにも見えるのですが‥‥。たまに帰ってきた夫が何をするかといえば、友達を集めてカード博打。メリーはレイプされ、殺人を犯し、それがバレそうになって追い詰められているのですが、まったく気づかない。それどころか、メリーの友人で洋品店に勤めるニコールと浮気していることがバレてしまったり‥‥。

近くに住む母とも、メリーは確執があります。
幼い頃、メリーは母の浮気現場を偶然目撃し、それを父に話してしまった(母を疑った父がしつこく訊いてきたので仕方なくしゃべったのですが)ことで、父が家を出ていったという悲惨な過去があり、トラウマになっています。

母は近くにいるけど、微妙なことを心開いて相談するような相手ではない。
夫はたまに帰ってくるけど、機嫌を損ねたくないから何も相談できない。
友人と思っていたニコールは、夫と浮気していた。

要するに、彼女はずっとひとりぼっちなのです。

そんなひとりぼっちのメリーの家に、謎のアメリカ人が上がり込みます。時間が経つにつれ心の警戒も少しずつ緩んだのか、メリーは自分のトラウマについて彼に話すようになります。2人の心の距離が、随分と近づいたように見える瞬間があります。
まさか、幼い頃に失った父親の温もりを彼に求めたのか?

そんなことを考えていると、突然友人のニコールが訪ねてきます。メリーの夫との火遊びを謝りたかったのでしょう。どうしても話したいことがあるの、などと言いつつリビングへ入ってくるのですが、そこには当然メリーと謎のアメリカ人ドブスが一緒にいるわけです。

どうなったか?

メリーはニコールを許していませんでした。咄嗟にドブスに抱きつき、キスをしたのです。まるで夫の留守中に愛人を招き入れた不倫妻かのように。
ニコールへのあてつけですね。「夫のことなんかなんとも思っていないのよ、こんな素敵な愛人がいるんだから」的な視線を向けられ、ムッとしたニコールは何も言わずに帰ってしまいます。

ちなみにこのシーン、ニコールを演じたジル・アイアランドがチャールズ・ブロンソンの実生活での奥さんだったと知ると、また別の感慨が湧いてきます。
ニコール、そんなにムッとしなくても‥‥と思ったのは、そういう事情もあったからでしょうか。

ちなみついでにもうひとつ。
メリー役のマルレーヌ・ジョベールは、『007/カジノ・ロワイヤル』(2006年)でジェームズ・ボンドの恋人ヴェスパー・リンドを演じたエヴァ・グリーンの実のお母さんです。
蛙の子は蛙、とはこういうときの言葉でしたっけ?

いや、違いましたね。
蛇足の蛇足になりますが、調べてみました。

「蛙の子は蛙」とは、もちろん「子は親に似る」という意味ではあるのですが、「凡人の子は凡人」とか「所詮蛙の子は蛙にしかならない」というニュアンスが含まれるのですね。似た表現に「瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびはならぬ)」という言い方もあって、こちらも「凡人から非凡な子は生まれない」という意味で使われるそうです。

一方で、英語には「The apple doesn’t fall far from the tree.」という言い回しがあって、直訳すると「リンゴは木の遠くには落ちない」ですが、こちらはいい意味にも使われるそうです。

マルレーヌとエヴァ親子の場合は、蛙の子は蛙ではなくて、リンゴは木の遠くには落ちない、だったのですね。芸能界のサラブレッド、と言っておけば間違いなかったですね。

出典:ポスターより

☆大事な人との心の距離は?

さて、話を戻しましょう。
物語の終盤、メリーの母が珍しくいいことをします。夫のトニーがフライトでロンドンへ行くと聞いて、ここにいないでロンドンへついて行きなよ、とメリーに言ったのです。
これはモリゾッチの想像ですが、彼女は多分女の直感で、娘の窮地を感じ取っていたのです。何も知らないトニーにも、こんなふうに言って娘を連れて行かせようとします。この娘は頭がいいから、そばに置いておけば役に立つよ。きっと邪魔にはならないよ。

自分は火遊びで家庭を壊してしまったけれど、娘に同じ経験はさせたくない。そう考えたのかもしれません。
あるいは彼女は、自分にはない才能を娘の中に見出していたのかもしれません。夫を愛し、幸せな家庭を築いていくという才能を。だから、自分のそばにいることで、その才能を枯れさせてしまってはいけない。そう考えたのかもしれません。

平凡な親から非凡な子が生まれることを、「鳶が鷹を産む(とんびがたかをうむ)」と言います。「蛙の子は蛙」の反対ですね。
メリーは確かに、浮気症の母を持ち、自分の夫が浮気していると知っても、そしてその相手が自分の友人だとわかっても、決して同じことをしようとはしないのです。それもひとつの才能と呼べるかもしれません。もしくは、ひとつの美徳。つまり、非凡さの証‥‥。

平々凡々とした私たちは、そして、もしかしたら非凡なあなたでさえも、大事な人を大人版不思議の国へ迷い込ませてしまう恐れは常にある。だから、そんなことにならないように、いつも注意を向けていられたら‥‥。そう思いました。
物理的な距離よりも、大事な人との心の距離に。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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