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『犬神家の一族』レビュー☆あまりに哀しき思い込み

© 1976 KADOKAWA
ミステリーの森

邦画を取り上げたいと思います。何度も映像化されて大変有名な作品ですが、今回は最初に映画化された1976年版(東宝配給)について語っていきます。
こちらです。


  • 『犬神家の一族』
  • 脚本
    長田紀生/日高真也/市川崑
  • 監督
    市川崑
  • 主な出演
    石坂浩二/島田陽子/あおい輝彦/坂口良子/草笛光子/三条美紀/高峰三枝子
  • 1976年/日本/146分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

原作は、言わずと知れた横溝正史の長編推理小説『犬神家の一族』です。
何度も言うように大変有名な作品ですが、一応概略を記しておきます。

舞台は終戦間もない昭和20年代の日本。信州財界の大物・犬神佐兵衛(いぬがみさへえ)が娘たちに看取られながら他界する。正妻を置かなかった佐兵衛には別々の母親から生まれた娘が3人おり、皆婿養子を取り、それぞれに息子を儲けていた。佐兵衛の莫大な遺産の行方を記した遺言状は、一族全員が揃った場で犬神家の顧問弁護士により発表されることとなっていたが、折もおり、長女・松子の息子である佐清(すけきよ)が戦地から復員したとの知らせが入る。
これで、一族全員が揃ったのだ。
いよいよ遺言状の中身が明らかになるというその日、ひょんな成り行きから同席することになった探偵の金田一耕助と犬神家の一族の前に、戦地で負った傷を隠すためと、覆面で顔を覆った佐清が現れる。
騒然となる一同。
そして遺言状が読み上げられ、次の日から凄惨な殺人事件が繰り広げられていく‥‥。

といったお話になっています。
いわゆる金田一耕助シリーズ、その1作目ということになります。
この映画の後にテレビも含めて相当何回もリメイクされていますので、その度に違う役者さんが金田一耕助を演じたわけですが、モリゾッチは正直に言って、この石坂版金田一耕助が一番しっくりくるような気がします(あくまで個人の感想です。多様な意見と感想で、世界は成り立っています)。

出典:DVDパッケージより

☆2006年リメイク版との違い

さて、市川崑監督、石坂浩二主演の『犬神家の一族』というと、実はもう1作ありますのでやや注意が必要です。2006年に本作をリメイクしたもので、これが市川崑監督の遺作となりました。

俳優陣は金田一耕助の他に、警察署長(加藤武)、神社の神官(大滝秀治)が同じキャストですが、それ以外は総入れ替えとなりました。
内容はというと、わずかな箇所を除いて台詞とカット割りは1976年版と同じで、前作と同じ映画を同じ撮り方で役者だけ変えて作った、というような作品になっています。

ちなみに、「どちらが面白いか」というのは、訊くだけ野暮な感じになっていまして、前作の出来が良過ぎた分リメイク版は残念な結果となっています。

代表的な例が物語序盤で珠世(島田陽子)がボートに乗っているシーンです。湖に漕ぎ出すと何者かによって底に開けられた穴から浸水し、ボートが転覆しかかるのを金田一が助けるのですが、このときの珠世の衣装の濡れ方が全く違います。島田陽子はブラウスが肌に張り付くくらい全身びしょ濡れで、底からの浸水でそこまで濡れないでしょう、とこちらが思うほど濡れているのがわかります。一方リメイク版の松嶋菜々子の衣装はほとんど濡れていません。

これはどこまで濡らすかについて監督から指示があったと考えることもできますが、案外現場の助監督さんや美術さんのこだわりの強さが表れたのかな、という気がします。
両作には、ちょうど30年という時の隔たりがあるのですが、1976年当時の日本の映画界には、若い役者に楽はさせないぞ、という心意気のようなものがあったのかもしれません。

あるいは、当時の市川組にすごく勢いがあり、士気が高かったことを物語るのかもしれないですね(衣装の濡れ方で映画の面白さに違いなんか出ないだろう、という声が聞こえてきそうですが、映画ってそういう細かいところをおろそかにすると人を感動させることはできない、とモリゾッチは思っています。所詮は「ウソ」を見せているわけですから、観客が気持ちよく騙されてくれるように、丁寧に「ウソ」をつかなければいけません。そのあたりが雑だと、観ていて白けてしまうのではないでしょうか)。

同じような感想を持つ場面がリメイク版の随所に見られます。
お芝居自体の噛み合い方も甘いところが多く、1976年版ではクスクス笑えるシーンが、芝居の間が今ひとつのせいで笑えなかったりしています。

市川監督は1915年の生まれということですから、リメイク版撮影時は90歳を超えています。そのせいもあったのか、現場全体に粘りがやや足りなかったのかも、という感想を抱かせます(あくまで個人の感想です。多様な意見や感想で、世界は成り立っています)。

あるいは、そういったことが充分予想できてもなお、この作品をリメイクすることに価値を見出した人がそれだけ多かったということかもしれません。
1976年版の評価がいかに高かったかが、そのことでわかるような気がします。

出典:ポスターより

☆市川崑の匠の技と美しい音楽

さて、その1976年版ですが、見どころの宝庫と言ってもいいくらい楽しめる仕上がりになっています。ミステリーですから結末までネタバレするわけにはいきませんが‥‥、覆面の下から現れる白いゴムのマスク、湖から逆さに突き出た2本の脚、などなど‥‥魅力的なビジュアルの連続で、観る者をおどろおどろしい世界へ引き込んできます。

さらにこの作品が優れているのは、そうした事件の異常性だけでぐいぐい押していくのでなく、それとは対極にある人々の日常を、ほのぼのと、またコミカルに描いて、バランスをとっている点です。金田一耕助と警察署長のやりとり、金田一耕助とホテルの女中さんとのやりとり、クスッと笑って心の緊張を一瞬解いて、観客はまた事件の核心へと踏み込んでく気持ちになるのです。

音楽もまた、優れています。
大野雄二作曲「愛のバラード」。これも大変有名になりました。美しい曲です。
1960年代のイタリア映画を彷彿とさせます。『ひまわり』とか『太陽がいっぱい』を思い出します。
市川監督が大野さんに、『ひまわり』みたいな曲を、と言ったかどうかわかりませんが、切ない話、哀しい話によく乗る美しい曲調という点で、どちらも非常によくできた曲だと思います。

そうなんです。『犬神家の一族』もまた、切なく、哀しい話という側面があります。

『犬神家の一族』が哀しい物語である理由は、間違った思い込みで他人の命を奪ってしまうところにあります。
莫大な遺産を独り占めしたら、さぞ幸せだろう。
そう思い込んだが故に‥‥。
殺された側はもちろん、殺した側も、残された者も、みんな哀しい‥‥。
(犯人の間違った思い込みはこれだけではないのですが、謎解きの核心に迫ることになるので、触れないでおきます)

もちろんこれはミステリーですから、殺人事件を起こすための動機づけとしての遺産相続であり、異常に強い思い込みなわけですが(事件が起きないとミステリーになりませんので)、そうした物語上の仕掛けを「ウソ」くさいと感じると、人は白けてしまって物語に入り込めなくなります。殺人や遺体のトリックも同様です。細かいところが気になりだすと映画に没入できません。

そこで名匠・市川崑は、凄惨な殺人事件の合間にほのぼのとした笑いを散りばめ、この上なく美しい音楽でラッピングしてしまいました。
こうやって差し出されたプレゼントは、誰も拒むことはできないでしょう、と言わんばかりに。

もちろん、誰も拒むことはできません。市川監督の術中に見事にはまってしまうのです。こうして名作は誕生しました。
「ウソ」なのに、「ウソ」と知りつつ、思いっきり引き込まれる。騙され心地のいい映画。
名作たる所以です。

© 1976 KADOKAWA

☆時代の空気を映した見事なエンディング

最後に1点だけ。
本作はミステリー映画の不朽の名作となりましたが、過去を2重に覗き見る窓の役目も果たしてくれるということを、書いておきたいと思います。

物語の最後、生き残った若い男女が互いの気持ちを確認し将来を誓い合う(もちろん片方の刑期が終わった後に、ということですが)場面があり、凄惨な殺人事件を見てきた我々もホッと胸を撫で下ろすことになります。
そして我々は思います。
この、いま目の前にあるささやか幸せに最初から気づいていれば、あんな思い違いをしなくて済んだだろうに‥‥。

その思いは、1976年当時の人が見た終戦日本に重なります。

かつて日本は、領土を拡大すれば国が豊かになる、という間違った思い込みからアジア各地を侵略し、敗戦しました。甚大な被害を周辺国に及ぼし、自らも壊滅的な被害を被りました。
その後高度成長期を経て、日本は狭い国土のまま、豊かな国になりました。
1976年は、そういう年でした。

2022年3月の私たちは(この記事は2022年3月9日に書いています)、本作によって、1976年の人たちの目を通して終戦間もない日本を見ることになります。
哀しいことはあったけれど、みんなの目が少しずつ未来に向き始めている。エンディングにはそうした気分が流れています。犬神家の殺人事件の解決は、そのまま太平洋戦争の本当の意味での終結を告げるベルのように、私たちには感じます。
心に余裕があって、未来に希望が持てる。
本作のエンディングに流れている気分が、そのまま1976年の気分だと言うことができるかもしれません。

いま、私たちの心に同じような余裕があるでしょうか。
未来に希望は見えているでしょうか。
2022年の2月から3月は、未来の歴史の教科書に間違いなく載ることになるだろうと言われます。確かなことは、1976年を羨ましがってばかりはいられない、ということです。

時代錯誤の侵略戦争を始めた大国の指導者に、本作の犯人を笑う資格はありません。同じような間違った思い込みから、何万倍もの殺人を犯しているのですから。

映画から学べることは、実にたくさんある。
そのことを、忘れないようにしようと思います。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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