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『ダ・ヴィンチ・コード』レビュー☆何を信じて誰を守るのか?

出典:本作BDパッケージより
ミステリーの森

44の言語に翻訳され、全世界で7,000万部を売り上げたとされる同名原作の映画化作品です。原作本は日本でも凄まじい人気で、単行本・文庫本を合計した発行部数は1,000万部を突破したと言われています。


  • 『ダ・ヴィンチ・コード』
  • 脚本
    ダン・ブラウン/アキヴァ・ゴールズマン
  • 監督
    ロン・ハワード
  • 主な出演
    トム・ハンクス/オドレイ・トトゥ/イアン・マッケラン/ポール・ベタニー/ジャン・レノ
  • 2006年/アメリカ/149分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

舞台はパリ。ルーヴル美術館でソニエール館長の射殺体が不思議な姿で発見される。死体はダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図を模した形で横たわり、その周りには意味不明の文字が羅列されていたのだ。

ハーバード大学の宗教象徴学の権威であるロバート・ラングドン教授は、講演のためにパリを訪れていたが、フランス警察のファーシュ警部に捜査への協力を求められる。警部と共に現場へ駆けつけるロバート。実は彼は以前からソニエール館長と面識があり、その日も会う約束をしていたのだ。

ところが検分中の彼のもとへ暗号解読官のソフィー・ヌヴーと名乗る女性が現れてこう告げる。
いまは警部の手によって消されているが、実は死体の横にはあなたの名前が書いてあったので、警部はあなたを犯人と決めつけ逮捕するつもりだ。自分はソニエール館長の孫である。祖父はあなたに託せと伝えたかったのだと思う。

彼女の言葉通り上着のポケットから発信機を見つけたロバートは、自分が容疑者扱いされていることを確信し、彼女に協力することにする。
死体の周りの文字の羅列を読み解き、館内にあるダ・ヴィンチの絵の裏から百合の紋章が入った何かの鍵を発見する。ソニエール館長が守りたかったものは、これだ。
ロバートとソフィーは発信機を窓から投げ、信号に気づいた警察が外を捜索している間に美術館から脱出するが、直後に検問体制が敷かれたため、アメリカ大使館には近づけなかった。

自分ひとりの手には負えないと判断したロバートは、旧友である宗教史学者リー・ティービングの家をソフィーと共に訪ねる。
経緯を聞いたリーは、事件の裏にあるのは失われた聖遺物、つまり聖杯をめぐる戦いであると見破る。

そしてリーは、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に隠されたコード(code)、すなわち暗号について話し始めた。

聖杯とはこの晩餐の際に使われた盃とされるが、「最後の晩餐」の絵に盃は描かれていない。ダ・ヴィンチはどこに盃を描いたのか?
真ん中のイエスとその隣のヨハネの身体のラインを結んでできる逆三角形。これこそが、ダ・ヴィンチが描いた聖杯である。
そして逆三角は、古代に女性を表すときの記号として使われたもの。

つまり、聖杯は女性であるという暗号が、この絵には隠されている。
さらに重要なことは、このヨハネとして描かれている人物は実はマグダラのマリアで、彼女はイエスの妻であった。そしてイエスが磔にされたとき、彼女は妊娠していた。
イエスの死後に彼女は女児を出産するが、女性がキリストの継承者となったことを認めたくないカトリック教会によって、その事実は消し去られた。
カトリック教会はその後魔女狩りによってイエスの血統を根絶やししようとするが、シオン修道会は密かにマリアの遺体とその子孫を守り続けてきた。ソニエール館長は、シオン修道会の総長だったのではないか。

歴史の裏側に隠されていた恐ろしい真実に近づこうとしている。
聖杯は人間? しかも女性? マグダラのマリアの遺体? 棺の埋まる場所?
興奮と困惑。2つの感情が、ロバートとソフィーの心を支配している。

まさにちょうどその頃、カトリック教会の一組織である「オプス・デイ」の殺し屋が、リーの屋敷に忍び込もうとしていた。この男は、ルーヴル美術館でソニエール館長を射殺した実行犯で、「導師」と呼ばれる人物からの指示を受けて、ロバートたちを追っているのだった。
そしてフランス警察のファーシュ警部もまた「オプス・デイ」に所属していて、並々ならぬ執念でロバートを追い詰めようとしていた。

果たして「導師」とは何者で、真の目的は何なのだろうか‥‥。

映画ポスター画像
出典:ポスターより

☆信仰が思考を停止させる

聖杯の謎というと、遠い昔に観た『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)を思い出してしまいます。あちらの聖杯は、確か木製の器だったと思いますが‥‥。

各所で大きな物議をかもしたことで知られる本作ですが、まず原作本が44言語に訳されたということで、その影響力の大きさがわかります。キリスト教とカトリック教会の闇に迫る、というような内容ですから、批判や反発も当然世界レベルで吹き荒れることになります。日本でも原作の問題点を指摘する書物が出されるほどでした。

例えば、本作ではマグダラのマリアの遺体とその子孫を守り続けてきたとされるシオン修道会ですが、一説によれば11世紀に結成された秘密結社で、歴代の総長にはアイザック・ニュートンやレオナルド・ダ・ヴィンチの名前があるとされます。
12世紀初頭にはテンプル騎士団を組織して十字軍遠征で華々しい成果を挙げた(マグダラのマリアの遺骨奪還か?)との説もあり、テンプル騎士団はそれによってカトリック教会から一時絶大な権力を与えられたものの、後に異端と認定されて1307年10月13日の金曜日に壊滅させられた、といった話が本作にも登場します。

一方で別の説ではシオン修道会の発足は1956年で、本作で語られるような歴史や目的を持った組織ではなかった、とも言われています。

ことの真偽は専門家の議論に譲るとして、本作に出てくるような話は多くの人の興味を引く、あるいは、知的好奇心を刺激するエピソードだということは、間違いないと思います。ロマンがあるという言い方もできるでしょうか。
聖杯はどこへ行ったのか?
イエスに子供がいたとしたら?
キリスト教文化圏の人たちは、おそらくこういう話に目がないのだと思います。作者の狙いもそういうところにあるのでしょう。

日本で言えば、あれですね。
奥州平泉で逃げ延びた源義経は北海道から海を渡り、やがてジンギス汗になった‥‥。
明智光秀は生き延びて家康に仕え、天海僧正となって江戸幕府の礎を築いた‥‥、というのもありましたね。

さて、かくいうモリゾッチはキリスト教徒ではなく、イエスの子孫にもあまり関心がないのですが、それでもこの作品の以下のやりとりには大変興味を持ちました。
これは物語のかなり終盤で、ある人物とある人物との間で(それが誰かを明らかにすると謎解きの興味が半減しそうですので、ここでは伏せておきます)交わされた会話です。

自分が道具のように利用されていただけだと気づいた人物Aが、自分を利用していた人物Bに向かって言います。
「俺を道具にしたな?」
人物Bは、なんのためらいもなくこう返します。
「人は神の道具だ」

たったこれだけの会話ですが、本作で描かれる事件の本質を言い表しているように思います。三段論法的に言えば、こんな感じでしょうか?

人は皆、神の道具である。
神は、この世に実現したいことがある。
だから、神の道具である人が、その実現のために働くのである。

確かに本作に出てくる「オプス・デイ」の殺し屋は、信仰のために人を殺します。彼は修行のために毎晩全裸になって自分を鞭打つほど、熱心な信者です。神が実現したいことのために、忠実に働く下部(しもべ)なのです。
それは、「熱心である」とか「忠実である」という美徳と引き換えに、「自分で考える」ことを放棄してしまった姿です。
信仰が思考を停止させている好例だと言えるでしょう。

出典:ポスターより

☆神の道具か、人の道具か?

しかし、信仰による思考停止は、そうした個人的な殺人に留まりません。
魔女狩りは300年続いたと言われます。都合9回にわたる十字軍の遠征もやはり約300年、「神」の名のもとに異教徒への侵略戦争を繰り広げました。

キリスト教の話ばかりしていますが、十字軍で攻め込まれたイスラム教側はどうでしょう? 誰の記憶にも新しい「9・11」の同時多発テロは、「アッラー(イスラムの神)」の名のもとに行われたものでした。
これを受けて当時のアメリカ・ブッシュ政権が行ったアフガニスタン侵攻、イラク侵攻を「第10次十字軍」と指摘する記事もあったそうです。

しかし、しかし、ことは宗教や信仰に留まりません。
1917年のロシア革命以降、「革命」の名のもとに、一体どれほどの血が流されたことでしょうか? 武力革命そのものはもちろんですが、共産党政権樹立後にもスターリンによる恐怖政治、毛沢東の文化大革命など、政権維持や共産党内の権力闘争のために流された血は‥‥?
日本のような自由主義国家の周辺でさえ、「革命」の名のもとに学生運動で流された血は、決して少なくありません。連合赤軍のリンチ殺人、中核派と革マル派による「内ゲバ」という殺し合い、そして海外へ展開した日本赤軍によるハイジャック事件とテルアビブ空港乱射事件‥‥。

しかし、しかし、しかし、ことは「神」と「革命」に留まるわけではありません。
日本はかつて神風特攻隊という自爆攻撃で恐れられました。第二次世界大戦という特殊な状況下でしたが、「国家」の名のものに命を捨てた若者がいたことを、忘れるべきではありません。

しかし、しかし、しかし、しかし‥‥。
そう考えてくると、つまり、こんなふうに言ってもいいのでしょうか?
「何か」によって思考停止するのは、人間の性(さが)のようなもの。人は、自分を思考停止させてくれる「何か」を探し求める生き物。
確かに、あまり間違ってはいないような、そんな気がしてきてしまいます。

「神」の名のもとに‥‥。
「革命」の名のもとに‥‥。
「国家」の名のもとに‥‥。

こういうのもありそうです。
「会社」の名のもとに‥‥。もしくは、
「組織」の名のもとに‥‥。

血こそ流れませんが、ときどき明るみに出る会社ぐるみ、組織ぐるみの法令違反などの事案。それは、これらの名のもとに思考停止した人たちが引き起こすものではないでしょうか。

これもきっとそうです。
「映画」の名のもとに‥‥。
「作品」の名のもとに‥‥。
「演技」の名のもとに‥‥。

最近話題の映画監督による暴力、そして監督やベテラン俳優による性加害。それは、これらの名のもとに許されると思ってしまう加害者側と、これらの名のもとに拒否できない、もしくは、仕方ないと思ってしまう被害者側との、微妙な心理的バランスの中で起きうる事案では、と思うのです。

でもよくよく考えてみれば、そんなことが許されるわけがありませんし、拒否できないはずも、仕方ないはずもないのです。
これも思考停止の一例。そう言えるのではないでしょうか(両者思考停止と指摘したからといって、この事案の犯罪性を否定する意図はないことをご理解ください。加害者と被害者という関係性に何ら変わりはないこと、誤解のないように念のため言い添えます)。

モリゾッチはこう思います。
たった一度の人生を、思考停止したまま終わりたくはない。

「人は神の道具」
皆さん、お気づきでしょうか?
実は、このように主張する人にとって、「神は人の道具」なのです。
なぜなら、実は彼らは人を操るための道具として「神」を使っているからです。
本作の登場人物も、「神」の名を借りて自分のために人を操っていました。

言うまでもないことですが、これは「神」に限ったことではありません。
「革命」の名を借りて人を操る‥‥。
「組織」の名を借りて人を操る‥‥。
「演技」の名を借りて人を操る‥‥。
考えると、悲しくなります。

出典:BDパッケージより

☆何を信じて誰を守るのか?

本作のラスト近く、「導師」が逮捕されて、聖杯の手がかりまであと一歩と迫ったとき、ソフィーはロバートにこんな話をします。
祖父(ソニエール館長)の父親は警察官だったが、祖父は自分の父親のことをとても信頼できる人間だったと話していた。そんな思い出話をしたあとで、彼女はロバートの方へ向き直ってこう言います。
「人って結局、誰を守るか、何を信じるか、よね」

人の本質は、何を信じて誰を守るのか、でわかる。
人の価値は、何を信じて誰を守るのか、で決まる。

ソフィーはきっと、そんなふうに言いたかったのでしょう。
もしかしたら、あなたは何を信じて誰を守るの、とロバートに訊きたかったのかもしれません。

さて、もしも自分が訊かれたら、どう答えるでしょう。
モリゾッチは、思考停止に陥って誰かに操られるのはゴメンですから、自分よりあまり大きいもの、例えば「組織」や「宗教」などは信じないようにしようと思います。
個人的な思いを、上の形になんとか当てはめるとすれば、今の時点では「自分を信じて家族を守る」、あるいは「家族を信じて家族を守る」となるでしょうか。
何だ、つまらない人間、とか言われそうですが。でも、これが精一杯の答えです。

皆さんは、何を信じて誰を守りますか?

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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