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『オッペンハイマー』レビュー☆それでも明日はやってくる

©︎ 2023 Universal Pictures. All Rights Reserved.
その他の森

アメリカで2023年7月21日に『バービー』と同日公開され、両作のタイトルを合わせた「バーベンハイマー」という造語が大きな話題になりました。日本での公開はその『バービー』から遅れること7ヶ月半となった、この作品を取り上げます。


  • 『オッペンハイマー』
  • 脚本・監督
    クリストファー・ノーラン
  • 主な出演
    キリアン・マーフィー/エミリー・ブラント/マット・デイモン/ロバート・ダウニー・ジュニア/フローレンス・ピュー
  • 2023年/アメリカ/180分

以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

1926年、ハーバード大学を最優秀の成績で卒業したロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、その後イギリスやドイツへの留学を経て理論物理学の道へ進み、1929年の博士号取得後は、カリフォルニア大学バークレー校で教鞭を取ることになる。

第二次世界大戦さなかの1942年10月、彼はアメリカ陸軍のグローヴス(マット・デイモン)から呼び出しを受ける。
原子爆弾を開発するための極秘プロジェクト「マンハッタン計画」のチームリーダーとして、陸軍は彼に白羽の矢を立てたのだった。

なんとしてもナチス・ドイツより先に原爆を完成させなければ、との思いからロスアラモスでの研究・開発を主導した彼は、1945年7月16日、ついに人類史上初めての核実験「トリニティ」を成功させる。

戦後「原爆の父」と称賛された彼だったが、自分が開発した原爆によって多くの犠牲者が出たことに苦悩し始める。
ソ連との軍拡核競争を危惧して水爆の開発に反対した彼は、水爆推進派のストローズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)によってソ連のスパイとの嫌疑をかけられてしまう。

彼の妻キティ(エミリー・ブラント)も大学時代の恋人ジーン(フローレンス・ピュー)もともに共産党員であり、かつて共産党系の集会に参加したことも事実だった。
1954年、ついに彼は聴聞会において疑惑の追及を受けることになるのだが‥‥。

出典:ポスターより

☆ノーラン節に圧倒される3時間

2023年7月、アメリカで同日公開された2本の映画を組み合わせた画像がSNSに流れ、作品の公式アカウントが好意的反応を示して炎上したのも、まだ記憶に生々しいところですが‥‥。その影響もあってか、本作の日本での公開は彼(か)の作品よりも大幅に遅れ、おかげでアカデミー賞7部門受賞という冠まで付いて、ようやく本邦初お披露目となりました。

その出来映えは期待に違わず。
ノーラン節はすこぶる健在で、戦争の世紀と言われる20世紀の初頭から中盤まで、量子物理学の世界からややこしい政治の世界まで、その視点は軽やかに時空を飛び交いつつ、長大で難解なこの伝記物語を、まるで死ぬ間際に見るという細切れの「走馬灯」のように、アットランダムに並ぶエピソードの羅列として展開してくれます。

特に3つの時代が自在に入り繰る構成は、まさにノーラン監督の独壇場。
つまり本作には、以下の3種類の時代が描かれるのです。

第1の時代は、オッペンハイマーがアメリカで理論物理学の第一人者となり、マンハッタン計画を率いて原爆を完成させるまでの時代。

第2の時代は、ストローズの企てによって窮地に追い込まれたオッペンハイマーが聴聞会で厳しい追及に遭う時代。

そして、一番新しいにも関わらず唯一モノクロで描かれる第3の時代は、オッペンハイマーを陥れたストローズが閣僚就任のための議会公聴会に臨み、かつての企みを暴かれる時代。

これらの時代が単に入り乱れるだけでなく、それぞれに挟み込まれる記憶や心象風景の短いカット。映像だけでなく、記憶や心象風景を表すさまざまな音、ものすごい音量の、あらゆる音‥‥。
それらがない交ぜになって、波のように押し寄せてくる異様な圧力を感じます。それと同時に、なんとも言えない居心地の悪さも。

挟み込まれるのは、ときに宇宙の光景。例えば、星の誕生。まばゆい光と漆黒の闇。水、炎、原子核、電子、爆発、燃え盛る炎、すべてを焼き尽くす業火‥‥。
それらすべての音。さらに、足を踏み鳴らす、不気味な音。人々がいっせいに‥‥、核実験の成功を祝って足を踏み鳴らす、地鳴りのような轟音‥‥。何度も繰り返す、息苦しい轟音。

そこにおびただしい数の役者が登場し、おびただしい数のセリフが飛び交い、不安と緊張を煽るBGMが絶えず大音量で鳴り続け‥‥、それらすべてがひと固まりになって、洪水のように観る者の心に襲いかかる。

ノーラン監督がこの3時間のために注ぎ込んだとてつもないエネルギーを感じ、観る側にもそれなりのエネルギーが要求されるのだと思い知らされる。
本作は、言ってみればそんな作品です。

つまるところ、ノーラン節に圧倒される3時間。

やはり、3時間は長いです。
席を立つとき、みんなこう言っていました。
はー、どっこいしょ、どっこいしょ(って、ソーラン節かよ!)。

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☆広島・長崎の惨状が描かれない理由は?

痩せ細った西洋版の寅さん、とも見えなくはない風貌の主人公ですが、ロマンチストで「チョー」が付く奥手の寅さんとは違い、この天才科学者は女性関係も派手だったことが知られています。フローレンス・ピュー演じるジーンのパートは、そうした一面に光を当てる役割を果たしています。

鮮烈な印象を残すのは、戦後の聴聞会の場でオッペンハイマーが彼女の死について問われた場面。
精神を病んでいたジーンは、マンハッタン計画が始まった頃、睡眠薬の大量摂取によって亡くなります。すでにエミリー・ブラント演じるキティと結婚していたオッペンハイマーでしたが、ジーンの死の少し前まで密会していたという事実が明らかにされます。

目立たない殺風景な小部屋でスーツ姿の男たちに囲まれた聴聞会。
そこに挟み込まれる彼の心象風景。
それは、聴聞会の席に全裸で座る彼。その膝の上に全裸でまたがり、彼に抱きつくジーン。彼の背後には妻キティが付き添っているのですが、彼の肩越しに妻と愛人の目が合い、激しい火花を散らす‥‥。

3時間の長丁場。
観客を飽きさせることなく、天才科学者の人物像にいかにして迫るか?
そのための工夫が随所に精緻に施され、水爆開発には反対するが聖人君子からはほど遠く、天才的頭脳とは裏腹に俗っぽい側面も併せ持つ、そんな彼の実像をあぶり出していきます。

まさに、「世界を変えた」と言われる天才科学者の実像に迫る天才監督の仕事、と言いたいところですが‥‥。
ここまで精緻に工夫を凝らしてオッペンハイマーの人生に迫ろうとする映画の中で、彼が創り出した物がこの世界にどんな結果をもたらしたのか、そこを描かない理由はなんなのでしょうか?

つまり、広島・長崎の惨状が描かれない理由は?

アメリカで公開されて以降、この点が議論の的になり、さまざまな意見や解説が飛び交いました。
この映画はオッペンハイマーの1人称で語られるので、彼が直接見ていないものは描かれないのだ、とか‥‥、核実験の成功を祝う人々のカットに火傷を負った少女のカットを短く挿入しているが、少女を演じたのはノーラン監督の実の娘で、これは監督の反戦の意思を示しているのだ、などなど。

そして公開直後の日本においても、SNSなどでは「気にならない」という好意的な意見が多いように感じます。

しかし、そうした事前情報に触れた上で鑑賞してもなお、やはり違和感を禁じ得なかった、というのがモリゾッチの正直な感想です。

1人称で語る映画というのなら、オッペンハイマー自身が映るのは鏡のショットだけ、となっていれば納得できます。しかし、これはそんな実験的な映画ではありません。そもそも、どの場面で何を映すかというのは、役者にどんな芝居をさせるかというのと同じくらい、いやときにはそれ以上に重要な、監督にとって譲れない演出プランの要です。なぜならそれは、作品の出来映えを大きく左右する要素だからです。

ノーラン監督には1人称にこだわらず、自由にカメラを切り替えて、監督らしい映画の世界を構築してほしい。ファンはそう思っているはずですし、実際作品はそうなっています。

オッペンハイマーが戦後、広島・長崎の記録フィルムを見せられるシーンでは、映されるのは彼のアップだけです。しばらくフィルムを見て、顔を背け続ける彼の顔を、カメラは撮り続けています。
記録フィルムの映像が映し出されることはありません。

実の娘を使ってまで挿入した「火傷した少女」のカットよりも、100倍も1,000倍も効果的な記録フィルムが、そこにあるにも関わらず、です。

巷間ささやかれるように、アメリカでの観客の反応を気にして‥‥というのが、最もありそうな理由という気がします。原爆投下は第二次世界大戦を終わらせるために必要なことで、正しいことだった。アメリカでは、そんなふうに考える人が珍しくないようですので。

それはそれ。
アメリカの現実がそうであるなら仕方のないことだと思いますが‥‥。
ならば、というか、そうであるにしても‥‥、ノーラン監督ほどの優れた映画作家が、そんなふうに作られた「原爆の父」の映画を観て日本人の多くがどう感じるか、よもやわからなかったはずはないだろうに‥‥、と。

本作を観るモリゾッチの中に湧き起こる心象風景。
それは、「日本人軽視」の文字に他なりません。
終戦間際に、矢継ぎ早に2つの都市に下された、「投下」の決断と同様に。

日本公開直前に行われた第96回アカデミー賞授賞式で、本作は7冠を達成しました。作品賞とクリストファー・ノーランの監督賞、キリアン・マーフィーの主演男優賞と並んで、ロバート・ダウニー・ジュニアが助演男優賞を受賞したのですが、皮肉なことに、というのか、なんの因果か、というべきか‥‥。それは、この助演男優賞のスピーチの際に起きました。

勇んで壇上に立ったロバート・ダウニー・ジュニアは、前年の受賞者でプレゼンターのキー・ホイ・クァンと目も合わさず、彼の手からオスカー像を奪い取ってスピーチを始めたのです。いいえ、決めつけてはいけませんが、確かに、そのような行いをしたように見えたのです。

その振る舞いはアジアンヘイト(アジア系への差別)として物議を醸し、関係者は火消しに追われたのですが‥‥。

日本人軽視とアジアンヘイト。
これが現在のハリウッドの、いや、21世紀のアメリカ社会のひとつの現実。ノーラン監督の狙いとはなんの関係もなく、計らずも本作があぶり出すことになったこの現実を、胸に留めておきたいと思いました。

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☆それでも明日はやってくる

さて、それではノーラン監督の狙いはなんだったのか?
監督が本作に込めた思いとは?
それは、ラストで描かれるアインシュタインとオッペンハイマーの会話に凝縮されている。そう言っていいと思います。

原爆が完成したあとの世界では、その破壊力を恐れて、どの国も戦争を起こせなくなる。国連が「世界政府」として紛争をコントロールし、武力による衝突は回避される。
そんな夢物語を思い描いて原爆開発にのめり込んだオッペンハイマーでしたが‥‥。戦後の冷戦。再び始まる軍拡競争を目の当たりにして、ついに、こう考えざるを得なくなります。

自分が創り出したのは、世界を破滅させる道具だった。

彼が実際に古代インドの聖典から引用した次の一文は、あまりにも有名です。
「我は死神なり、世界の破壊者なり」

とてつもない重さの鉛を飲み込んでしまったような気分になります。最悪です。エンドロールの頃には、もう吐きそうです。
しかし‥‥。
映画館を出ていつもの現実の中に溶け込んでいくうちに、観客の多くは(日本人でさえも)こう思うはずです。

それでも明日はやってくる。

考えてみれば、この最悪の出来事はいまから80年も前に起きたこと。破滅の危機と背中合わせの我々の世界は、しかし、どうにかこうにか、この80年間やってこれたのだ。
ノーラン監督が心血を注いだこの3時間のおかげで、我々はあらためてそのことに気付かされます。

そうです。
死神が創り出した物にただ怯えていても、必ず明日はやってくる。
世界はまだ滅びていないし、滅びることを望んでもいない。

思えば、この監督の前作『TENET テネット』(2020年、レビューはこちらからどうぞ)は、「未来人」によって仕掛けられた第三次世界大戦を阻止する物語でした。彼ら「未来人」の最大の武器は時間を逆行させる装置。映画の中には順光する時間と逆行する時間が入り乱れ、奇想天外な戦いが繰り広げられました。

オッペンハイマーから見れば「未来人」である我々は、残念ながら時間を逆行させる装置を持っていません。80年前に戻ることができないなら、さて、どうすればいいのか?

みんながそれを考え始めるきっかけを、ノーラン監督はこの作品を通じて、作り出したかったのではないでしょうか。
監督、その試みは成功でしたよ。
僭越ながら、モリゾッチはそう声をかけました。心の中で、ですけど。

明日がずっと続いていくために、我々はどうすればいいのか?
監督も、次回作で考えてみてください。期待しています。
はー、どっこいしょ、どっこいしょ(って、だからそれはノーラン節じゃなくて‥‥)。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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