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『インターステラー』レビュー☆愛は時空を超えるか?
宇宙の深淵へ旅する科学者たちの姿を描いた本作。その外観はハードSFの王道をなぞっているかのように見えますが、しかし、作品の核心にあるのはブラックホールでも相対性理論でもなく、極めて個人的で人間的な「感情」なのでした。
- 『インターステラー』
- 脚本
ジョナサン・ノーラン/クリストファー・ノーラン - 監督
クリストファー・ノーラン - 主な出演
マシュー・マコノヒー/アン・ハサウェイ/ジェシカ・チャステイン/ケイシー・アフレック/マット・デイモン/マイケル・ケイン - 2014年/アメリカ・イギリス/169分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
物語は、地球の環境破壊が進み、作物が枯れ、人類の滅亡が現実味を帯びてきた近未来から始まる。かつては優秀なNASAのパイロットだった主人公クーパー(マシュー・マコノヒー)は、今ではトウモロコシ農家として暮らしている。娘のマーフ(幼少期:マッケンジー・フォイ/成人後:ジェシカ・チャステイン)との絆は強く、その親子関係が映画全体の感情的支柱となっている。
ある日、クーパーは偶然の出来事から、密かに存続していたNASAの施設に導かれる。そこでは、地球外に人類の新たな居住地を求めてブラックホールの彼方へ飛び立つ「ラザロ計画」が進行していた。人類の未来を託されたクーパーは、猛反対する娘マーフと和解する機会もないままに宇宙船エンデュランス号に乗り込み、アメリア・ブランド博士(アン・ハサウェイ)ら数名の科学者たちとともに、時間と重力の歪む銀河の彼方へと旅立つ。
最初の過酷なミッションにより、地球上の23年分に相当する時間を費やしてしまったクーパーは、次のミッションで合流した「ラザロ計画」の先駆者マン博士(マット・デイモン)から信じられない話を聞く。
この計画を推し進めたのはアメリアの父・ブランド教授(マイケル・ケイン)だが、彼の真の目的は、地球に住む人類の新たな惑星への大量移住ではない。
つまり「ラザロ計画」は、人類の凍結受精卵を新天地の惑星で孵化させ、種を保存するための計画だったのだ。教授は娘のアメリアだけでなく、多くの科学者を騙してこの計画に参加させていた。
クーパーもまた、娘や息子たちを移住させるために、困難な任務を引き受けたひとりだった。
真実を知ったクーパーは、燃料が尽きる前に地球へ帰還しようとするのだが‥‥。

☆「必ず戻る」という親子の約束
本作のストーリーは、理論物理学者キップ・ソーンの科学監修のもと、相対性理論、ブラックホール、ワームホール、時間の遅れといった最先端の科学概念を織り込みながら進んでいきます(キップ・ソーンは科学監修だけでなく、本作の製作総指揮にも名を連ねています。本作公開後の2017年になりますが、彼は重力波検出装置の構築及び重力波発見への決定的な貢献によって、ノーベル物理学賞を受賞しました)。
しかし、そうした理論物理学や宇宙論の仮説を説明的に語るのではなく、ドラマとしてストーリーに巧み取り込んで映像化していく点が、クリストファー・ノーラン監督の卓越した演出力のなせる技。時間が惑星ごとに異なって進むという、相対性理論を借用した設定は、クーパーとマーフの「時空を貫く父娘愛」と重ね合わされ、観客の感情に強烈なインパクトを与えずにはいません。
映画は、滅亡へと向かう地球という閉塞的な世界から始まります。
主人公クーパーはかつてNASAのパイロットでしたが、今はトウモロコシを育てながら家族を養う農夫となっています。妻を亡くし、息子と娘を育てる彼の日常には、どこか後悔と不完全燃焼の影が差しています(ちなみに、トムという役名のマーフの兄は、少年期をティモシー・シャラメが、成人後はケイシー・アフレックが演じます)。
そのなかで、彼の心をつなぎとめているのが、娘のマーフでした。
彼女は聡明で好奇心旺盛、そしてなによりも父を深く愛しているのです。
この親子の関係が、映画全体の感情的なエンジンと言えます。
地球を救うための宇宙探査という極秘の任務が決まり、クーパーが家を離れる朝のシーンは、本作における最初の感情のクライマックス。
マーフは、自身が「幽霊」と呼んでいる自宅本棚の超常現象から何かを感じ取り、父を行かせまいとする。しかしクーパーは、「必ず戻る」と誓って家を出る。マーフの涙と怒り。クーパーの苦悩に満ちた背中——。この別れが、以降の物語すべてに影響を及ぼしていくことになります。
次に大きく感情を揺さぶられるのは、その旅立ちの朝から地球で23年ほどが過ぎた頃。
最初のミッション(その舞台は、極端に時間の進むのが遅い惑星でした)から母船に戻ったクーパーが、地球に残した家族からのビデオメッセージを見るシーンです。
すっかり変わり果てた息子と娘の姿がそこにあります。このビデオメッセージも宇宙の暗闇を漂うだけだろうと、諦め切っています。クーパーたちから地球への連絡は途絶えていたため、それも無理はありません。マーフは言います。出て行く朝に、あなたは「帰ってきたら同じ年齢かも」と冗談を言ったけど、今日私はあの日のあなたの年齢になったわ。
あの惑星の1時間は、地球の7年。
理屈ではわかっていたつもりでしたが、ほんの数時間のミッションが取り返しのつかない尊い時間だったということを思い知らされるクーパー‥‥、涙が止まりません。

☆「人類」のために身近な人を犠牲に
辛い思いを引きずりながらミッションを続けるクーパーでしたが、次の惑星でマン博士を救出した直後、再びマーフからのメッセージが届きます。ブランド博士が死んだこと、死ぬ間際に彼が「嘘をついていて、すまなかった」と言ったことを伝え、最後にこう言います。「あなたたちは、地球にいる私たちを見捨てたのですか?」
そして、マン博士から聞かされる衝撃の真実。
「ラザロ計画」の真の目的は、プランA(=人類の移住)ではなかった。最初からプランB(=凍結受精卵による種の保存)だけが目的だった——。
計画の提唱者であるブランド教授の計算では、すでにプランAは不可能という解が出ていた。
しかし教授はそのことをマン博士以外には知らせず、多くの研究者やスタッフ(自分の娘までも!)を欺き続けた。
その理由は、自分を犠牲にして「人類」という種のために働く人など、ほとんどいないから。
マン博士の言葉を借りれば、「人類」の進化はまだまだその程度のものだから、ということになるのですが‥‥。
と、ここで、物語の衝撃的な展開とは無関係に、素朴な疑問がモリゾッチの頭をかすめました。
「人類」という種の利益を、自分や身近な人たちなどの個の利益に優先させる性質は、その逆を志向する性質よりも、進化の系統樹の先の方に位置するものなのでしょうか?
ミツバチのコロニーは、確かに「種の利益」を最優先しているように見えますが、私たちが所属する一般的な人間の社会は、彼らより遅れているということなのか?
「種の利益」を最優先というと、戦前の「軍国日本」や共産主義革命後の全体主義国家を思い出して、何やら恐ろしい気配が‥‥あ、いや、でもそれが進化というものか?
しかし案外、自分や身近な人のことだけを考えて奮闘する個人が、種の存続に役立っていたりして‥‥。
などと考えながら観ていると——、あのマン博士がいきなり、恐ろしいほどに「個の利益」最優先の行動に出るではありませんか。
つまり彼は、クーパーたちを氷に閉ざされた惑星に置き去りにして、(母船を奪って)自分ひとりで地球へ帰ろうとするのです。
そもそも、この星は人類の生存に適している、というマン博士からの信号を受けてこの惑星にやってきたクーパーたちでしたが、生きて地球に帰りたいという欲が出て、ウソの信号を送ってクーパーたちを呼び寄せたマン博士の術中にはまったのです。
「個の利益」恐るべし‥‥。

☆「約束」の行方を描く時空の叙事詩
終盤はスペース・アクション的要素も盛り込みつつ、五次元空間のビジュアル化という極めて抽象的、かつ宇宙論的なシーンが展開され、幼いマーフが「幽霊」と呼んでいた自宅本棚の超常現象(すべての始まりはこれだったのですけどね)までたどり着きます。
特に、その途中に登場するブラックホール「ガルガンチュア」の描写は、科学的リアリズムとアーティスティックな想像力が融合して創り出した映像美であり、まさに映画表現の極致。圧倒されます。
物理学と哲学、感情と理性、家族愛と人類愛、そして科学と信仰が織りなす、壮大なシンフォニーとも言える本作。人類の存続という壮大なテーマを描きながら、最終的に映画がたどり着くのは、「ひとりの父が、ひとりの娘に伝えたかった想い」の物語。ブラックホール、重力波、五次元空間——そのすべては、感情という目に見えない力を説明するための比喩装置であるかのようです。
マシュー・マコノヒーの演技は、決して英雄的ではありません。彼が演じるクーパーは、弱さや後悔を抱えながら、それでも愛の力だけを頼りに進み続けます。
だからこそ私たちは彼に共感し、彼とともに泣くのです。
そして、ジェシカ・チャステイン演じるマーフもまた、父を失った悲しみと、父への信頼を捨てきれない内なる葛藤を、その一言一言に滲ませて見事です。彼女の存在がクーパーの旅をより強く動機づけ、そして彼女の「信じる力」が、結果として人類を救います。その救いは、科学によってというよりは、「父が娘に残した約束」によってもたらされたと言えるでしょう。
映画の中盤、アン・ハサウェイ演じるアメリア・ブランド博士が語る「愛は人類に備わった、何かを伝える力かもしれない」という台詞は、物理学に彩られた物語のなかで異彩を放っています。愛は重力のように時空を越えられるかもしれない、という大胆な仮説。
私たちは誰しも、時間と空間の制約の中で、物理法則に縛られて生きています。しかし、誰かを想う気持ちは時空を超えて届くと信じたい‥‥。本作はその希望を、宇宙の果てから手渡してくれる作品なのかもしれません。
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