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『恋する惑星』レビュー☆あなたはどこへ行きたいの?
クエンティン・タランティーノが絶賛し、ウォン・カーウァイ監督の名を世界に知らしめることになった作品です。原題は『重慶森林』、英語タイトルは『Chungking Express』——30年経ったいまも色褪せない衝撃作をレビューし、考察します。
- 『恋する惑星』
- 脚本・監督
ウォン・カーウァイ - 主な出演
トニー・レオン/フェイ・ウォン/ブリジット・リン/金城武 - 1994年/香港/100分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
エイプリルフールに失恋した識別番号233の刑事(以下、233号=金城武)は、その日から彼女の好物だったパイナップルの缶詰を買い続けている。しかも、賞味期限が5月1日のものばかり。なぜなら、5月1日は彼の誕生日。その日まで30個の缶詰を買っても彼女が戻らなければ、恋も期限切れと諦めるつもりだ。
彼女は香港の繁華街にある重慶大厦(チョンキンマンション)に住んでおり、233号はよくその部屋を訪ねた。そのチョンキンマンションの一角にある「ミッドナイト・エクスプレス」というテイクアウトの軽食店の前で、仕事帰りの彼女を待っていたものだった。いまでも彼は毎日のようにその店に行く。しかし、彼女に会うことはもうない。
ついに誕生日がきても彼女は戻らず、233号は飲んだくれた。
あるバーで、この次に入ってきた女に恋をする、と決める彼。
入ってきたのは、5月だというのにトレンチコートを着て、サングラスをかけ金髪のウィッグを被った女だった。
金髪女は、チョンキンマンションを拠点とする麻薬ディーラー。
運び屋のインド人に麻薬を持ち逃げされ、ボスからは5月1日賞味期限の缶詰が届いた。どうやらそれは、彼女の命の期限を指しているようなのだが‥‥。
その頃、「ミッドナイト・エクスプレス」の店員フェイ(フェイ・ウォン)は、ときどきサラダを買いに店にやって来る警官633号(トニー・レオン)に密かに恋をしていた。
633号は最近彼女に振られたばかりで、おまけにフェイは、ひょんなことから633号のアパートの合鍵を手に入れた。中環至半山自動扶梯(ヒルサイド・エスカレーター)沿いにある彼のアパートを訪ねるフェイ。もちろん、633号は勤務中だ。
最初は散らかった部屋を少し片付け、掃除をする程度だったが、何度か訪ねるうちにCDを持ち込んで音楽をかけ、部屋の模様替えを始めるフェイ。だが、633号は帰るたびに部屋の様子が変わっていることに、あまり驚かない。というか、気づいていないようでもある。
何度めかにフェイが633号の部屋を訪ねたとき、ついに2人は鉢合わせをしてしまう。
驚きのあまり、叫び声を上げるフェイだったが‥‥。

☆都会の孤独、すれ違う魂の煌めき
舞台となった重慶大厦(チョンキンマンション)は、香港・九龍の尖沙咀地区に建つ複合ビルで、個人住宅のほかに安宿やアジア・アフリカ・アラブ系のさまざまな店が密集し、香港の複雑な民族構成を象徴する建物として人気の観光スポットにもなっています。
そんな複合ビルの一角にある軽食店に通ってくる、失恋した2人の警察官のそれぞれのエピソードを描く本作。趣の違う2つのエピソードでありながら、どちらも同じ香港の街の息づかいを伝え、カラフルでエネルギッシュで自由な空気感を切り取ることに成功しています。
後半のエピソードに登場する中環至半山自動扶梯(ヒルサイド・エスカレーター、もしくはミッドレベルズ・エスカレーターとも)は、香港島のビジネス街セントラルと高台の高級住宅地ミッドレベルズをつなぐ公共のインフラ。高低差135m、全長800mを合計23基のエスカレーターで約23分かけて乗り継ぐ、世界一のエスカレーターと言われています。
こうした香港の名所をうまく取り込みながら、手持ちカメラを多用したスタイリッシュな映像で(刑事233号の犯人逮捕劇や金髪女の逃亡劇など、手持ちカメラのブレを活かして、そのブレにギラギラとしたネオンサインがカラフルな残像を引きまくって‥‥。そうかと思えば、スローモーションのようにゆっくり動く233号のバックを早回しのように素早く動いていく人々、といったカットも)ぐいぐい押していくウォン・カーウァイ演出。
クエンティン・タランティーノが絶賛したというのもうなずけます。
映画的なオマージュも盛り込まれていて、香港の歌姫フェイ・ウォンのボーイッシュな短髪は、ジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』(1960年)のジーン・セバーグ。台湾映画のスターだったブリジット・リンが扮した謎の金髪女は、タフなヒロインの活躍を描いたジョン・カサベテス監督『グロリア』(1980年)のジーナ・ローランズを意識したと言われていますが‥‥。
そうした予備知識があってもなくても楽しめて、衝撃的に惹き込まれる作品であり、のちの映画作家たちに多くの影響を与えた作品であるということも、指摘しておかなければいけないでしょう。

では、スタイリッシュな映像と登場人物たちのモノローグを駆使して、ウォン・カーウァイ監督が表現したかったものとは何なのでしょう?
私たちは、この作品のどこにそれほど惹かれるのでしょうか?
まず前半のエピソードでは、刑事223と謎の金髪女との短い邂逅(かいこう)を描いています。
失恋の痛手を抱え、缶詰の賞味期限にこだわりながら、ポケベルに入るメッセージだけを頼りに日々をやり過ごす223。その無自覚な孤独に、同じように誰にも本当の姿を見せられずに生きている女が重なっていく‥‥。サングラスとコート、ウィッグは本当の彼女を守るための鎧のようだと、誰もが感じることでしょう。
「出会い」というよりは「すれ違い」と呼ぶ方がしっくりくるような、そんな淡く、微かな魂の交流。
後半のエピソードでは、633号は恋人に出ていかれたアパートの部屋で立ち直る術もなく、ただ石鹸やタオルに話しかける日々。彼に想いを寄せるフェイはといえば、その想いを伝える術もなく、ただ彼の部屋に不法侵入することを続けます。
なんと不器用な‥‥、そしてなんと孤独な‥‥、しかし切実に、人を想う彼らの魂。
人を求める彼らの心と、そこにある煌めきの、はかなく美しいこと‥‥。
特筆すべきは、こうした都会の孤独が、決して暗く重苦しいものとして描かれているわけではない、という点です。むしろ監督は孤独そのものに詩的な光を当てている、と言った方がいいかもしれません。すれ違いや別れをくり返し、それでも人はどこかで誰かと心を重ねることができる、という微かな希望。
2つのエピソードが交わることは決してありませんが、金髪女がたたずむ夜の街角でぬいぐるみを抱えたフェイが店から出てくる、というカットもちゃんと用意されていて、彼らの人生がすぐ隣で進行していることを感じ取ることができます(このカットはちょっと見つけにくいですが、機会があったら探してみてください)。
まさに彼らは日々すれ違い、そして、いつか心を重ねることができるかもしれない。そんな存在なのです。

☆ここではない、何処かへの憧れ
いつもはキリッとした制服姿の633号も、ひとりっきりのアパートに帰れば、なんと‥‥。トニー・レオンが披露してくれる白いブリーフ姿もなかなか衝撃的ですが、後半のエピソードでもっとも衝撃的なのは、サラダを買いに来た633号の目の前で(接客しながら)、ラジカセから流れるママス&パパスの「夢のカリフォルニア(California Dreamin’)」に合わせて身体をくねらせて踊り続けるフェイ・ウォンの登場シーンです(ヘドバンというのでしょうか)。
名前が表すように、フェイは自分自身——そう言わんばかりのフェイ・ウォンの自由奔放。
彼女の即興的なぎこちない仕草、ふとした視線、あるいは踊りだすような身のこなしが、セリフ以上に彼女の内面を雄弁に物語ります。
633号の部屋を模様替えするシーンでは、彼女自身が歌唱する「夢中人」がバックに流れ(これはご存知アイルランドのバンド、クランベリーズの「ドリームス」のカバー曲ですね)、孤独で不器用な彼女の行為を、まるで夢の中にいるようにキラキラと輝かせてくれます。
フェイが「ミッドナイト・エクスプレス」で働いている理由は、旅行資金を貯めるため。彼女は、カリフォルニアへ行ってみたいのです。店でも、いつも大音量で「夢のカリフォルニア(California Dreamin’)」をかけていて、633号の部屋にもCDを置いています。
実は633号を振った彼女はスチュワーデスでした。633号の部屋には、彼女が置いて行ったユナイテッド航空の旅客機の模型がまだ残っていたりして‥‥。
フェイは、ますます旅情をかき立てられるのです。
さて、このフェイが体現している「ここではない、何処かへの憧れ」という感情——世界中どこでも若い年代にはありがち、と言うこともできますが、本作公開時の香港を考えてみれば、より切実というか、より共感を得やすい感情であったのでは、という気がします(これは、監督の意図とは違うかもしれないのですけど)。
本作公開から3年後の1997年、香港はイギリスから中国に返還されました。これは、1984年から決まっていたことです。当時の中国のリーダー鄧小平は「一国二制度」を提唱し、共産主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束したのでしたが、裏を返せば、50年後にはやるよ、ということ。
50年後にはこの自由な香港はなくなってしまう。
香港市民は暗澹たる気分だったでしょう。
自分たちの故郷は、「ずっとはいられない場所」になったのです。
「ここではない、何処かへの憧れ」を抱かざるを得ない状況‥‥。
返還のタイミングが3年後に近づいた本作公開時は、そうした思いを強くする香港市民も少なくなかったのではないでしょうか。
その後の展開はご存じのとおりで、50年も待たずに、香港ではもう自由はなくなってしまいました。
アメリカが世界の問題児となってしまったいまは、フェイのようにアメリカに憧れる人ももういないのでしょうけれど‥‥(この記事は2025年7月に書いています)。

さて、フェイの思いを知った633号はついに彼女をデートに誘い、フェイは有頂天になるのですが‥‥、ここでまたしても2人はすれ違い、1年が経過します。
「ミッドナイト・エクスプレス」だった店で偶然再会した2人は‥‥。
以前にフェイが紙ナプキンに書いた飛行機の搭乗券を633号は持ち出します。雨に滲んでいて、行き先が見えなくなっています。
「これ、いまでも使えるかな?」と633号。
「新しいのをあげるわ」とフェイは、店の紙ナプキンを手に取ります。
書こうとして顔を上げた彼女は、こう言います。
「あなたはどこへ行きたいの?」
633号はいったいなんと答えたのか——未見の方は、ぜひご自分の目で確かめてみてください。
本作の原題は、前述したように『重慶森林』です。
重慶大厦(チョンキンマンション)などの高層ビルを樹木にたとえ、ビルが林立する大都会とそのビルの森に暮らす小動物のような人間の物語——ということなのか?
あるいは、都市のカオスを象徴するような多様で無国籍なチョンキンマンション——そこに集う見知らぬ人々を木々にたとえ、すれ違いながらそれぞれの方向へ生きていく孤独な人の集まりを「森林」と呼んでいるのか?
そして、英語タイトルは『Chungking Express』ですが、これは2つのエピソードの橋渡しをしている軽食店「ミッドナイト・エクスプレス(Midnight Express)」からきていることは明らかです。
「Midnight Express」は普通に訳せば「深夜急行」——フェイでなくても、旅情をかき立てられる響きです。
しかし、「Midnight Express」には「脱獄」の隠語としての役割もあります(1978年に公開されたアラン・パーカー監督の同名映画は、トルコの刑務所から脱獄しようとするアメリカ人の物語でした)。
そうしたことも加味すれば、この「急行」はただの旅情の象徴というわけではないでしょう。多様で無国籍なチョンキンマンション=都市のカオスと孤独からの「脱出」‥‥。
「あなたはどこへ行きたいの?」
同じ行き先をめざす旅の道連れは、誰にとっても大切な存在です。
あらゆる人が、人生の道連れを見つけるために格闘している。
それが、大都会の一面でもあるのでしょう。
そんな大都会を望遠鏡で覗いた宇宙人がいたら、「恋する惑星」と呼んだかもしれません。
本作は、決して完成された物語ではありません。起承転結のはっきりした筋があるわけでもなければ、感情の明確なカタルシスも用意されていません。
むしろ断片の積み重ね、未完成の情景、途切れた会話だからこそ、観る者の想像力をかき立てる力があるという気がします。
都市で生きるということは、誰かと一瞬だけ心を通わせることかもしれない。そしてその「一瞬」の中にこそ、人生を変えるような煌めきが宿る——そんな感覚を、本作は確かに残してくれます。
まるで夢の中のような、けれどもどこか懐かしくリアルな感情の軌跡。『恋する惑星』は、観るたびに異なる輝きを放つ、永遠のポエムのような作品と言えるでしょう。
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