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作家・曽野綾子さん死去‥作品と功績を偲ぶ
1 訃報の詳細
芸術院会員の作家・曽野綾子(その・あやこ、本名・三浦知壽子)さんが、2月28日午後2時59分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。
93歳。
葬儀は近親者で済ませた。
2 作品と功績
曽野綾子さんは高校時代にカトリックの洗礼を受け、キリスト教的倫理観に基づき、宗教や戦争・社会などを深く洞察した小説を数多く残したことで知られる。
1931年9月17日東京生まれ。
幼稚園から大学まで聖心女子学院に通う。
大学在学中、同人誌「新思潮」に参加。
1953年、作家で元文化庁長官の三浦朱門(1926年〜2017年)さんと結婚した。翌年『遠来の客たち』が芥川賞候補になるなど注目を集めたが、これは、実父が箱根富士屋ホテルの支配人をしていた関係で、実際にホテルに滞在して手伝いをして過ごした高校時代の経験を活かした作品とされる。
それ以降、短編・長編小説や随筆、ノンフィクション、海外児童文学の翻訳など実に多才、多作な執筆活動を続けた。
代表作となった1970年の随筆、『誰のために愛するか すべてを賭けて生きる才覚』はミリオンセラーになった。
自らの長男をモデルにした『太郎物語 高校編』(1973年、ちなみに長男の三浦太郎氏は文化人類学者)は、NHK銀河テレビ小説『太郎の青春』としてドラマ化された。続いて『太郎物語 大学編』(1979年)は同様にNHKで『太郎の卒業』としてドラマ化された。
1980年には、妊娠中絶の問題に切り込んだ『神の汚れた手』で第19回女流文学賞に選ばれるが辞退。
1997年、第31回吉川英治文化賞。2012年には、第60回菊池寛賞を受賞。
それ以降も、旺盛な執筆活動を続けた(以下はすべての著作ではない)。
『思い通りにいかないから人生は面白い』(2013年)
『想定外の老年 納得できる人生とは』(2013年)
『人間にとって成熟とは何か』(2013年)
『不幸は人生の財産』(2013年)
『安心と平和の常識 「安心して暮らせる生活」など、もともとこの世にない』( 2014年)
『辛口・幸福論 生きるすべてを「真剣な遊び」に』(2014年)
『老いの冒険 人生でもっとも自由な時間の過ごし方』(2015年)
『人間の分際』(2015年)
『人間の愚かさについて』(2015年)
『私の漂流記』(2017年)
『夫の後始末』(2017年)
『人間の義務』(2020年)
『コロナという「非日常」を生きる』(2020年)
『自分の価値』(2021年)
『人生は、日々の当たり前の積み重ね』( 2022年)
これら著作のタイトルを見るだけでも、より良い人生への示唆にあふれている。
また、若い頃には映画化された作品も多数。
『「キャンパス110番」より 学生野郎と娘たち』(1960年):原作『キャンパス110番』
『わが恋の旅路』(1961年):原作『わが恋の墓標』
『二十一歳の父』(1964年):原作は同名小説
『海抜0米』(1964年):原作は同名小説
『ぜったい多数』(1965年):原作は同名小説
『殿方御用心』(1966年):原作『キャンパス110番』
『あゝ君が愛』(1967年):原作は『二つの昇天』
『砂糖菓子が壊れるとき』(1967年):原作は同名小説
『誰のために愛するか』(1971年):原作は同名エッセイ集
『蒼ざめた日曜日』(1972年):原作は同名小説
『青春の構図』(1976年):原作は同名小説
と、1960年代と70年代には邦画界の人気作家であったことがうかがえる。
それ以降の映像化作品として知られるのは、『天上の青』。
これは、1988年から1990年まで毎日新聞に連載された、曽野綾子さんが初めて手がけた長編犯罪小説である。
1971年に群馬県で発生した連続婦女暴行殺人事件(俗に大久保清事件)を題材にしている。
海に近い自宅の庭で朝顔を手入れしていた雪子の前に車に乗った男が現れ、朝顔の種を分けてほしいという。冬になって再び現れて種を受け取った男は、それ以降は雪子の家をしばしば訪れるようになる。しかし、男は女性と関係を持っては殺害し、遺体を埋める殺人魔であった。
男は殺人やレイプを繰り返す一方、そのたびに雪子のもとを訪れては優しく接する。やがて男は逮捕され、雪子も様々な形で事件を知らされることになり‥‥。
といった物語だが、タイトルの「天井の青」とは、作品に登場する朝顔の品種の名前である。
1992年にフジテレビで、山口果林と白竜の出演でドラマ化された。
その後NHKでも再映像化され、1994年にBS-NHKで、1995年に総合テレビでも放映された。その際の脚本は井上由美子。出演は、佐藤浩市、桃井かおり、美保純、内藤剛志らで、第10回の文化庁芸術作品賞を受賞している。
このように、戦後日本の文化・芸術に多大な貢献をし、日本人の娯楽や考え方に多くの影響を与えた曽野綾子さん。
大学の後輩である美智子上皇后と親交が深いこと、また、元ペルー大統領のアルベルト・フジモリ氏が失脚後日本に長期滞在した折、自宅に私人として受け入れたエピソードなどが知られている。
そのほか、国の各種審議会委員のほか、1995年から2005年まで日本財団の会長を務め、2009年10月からは日本郵政社外取締役も務めるなど、執筆以外の活動でも話題を集めた女性だった。
謹んで、ご冥福をお祈りしたい。
3 まとめ
- 作家・曽野綾子さんが亡くなった
- 2月28日午後2時59分
- 老衰のため
- 93歳だった
- 代表作は『誰のために愛するか』、『神の汚れた手』
- ご冥福をお祈りしたい
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