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『落下の解剖学』レビュー☆真実は一面的ではない

©︎ 2023 LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE
ミステリーの森

女性監督による法廷ミステリーをご紹介します。
夫婦とは? 家族とは? そして真実とは?
さまざまなクエスチョンが観る者の心をかき乱す作品です。


  • 『落下の解剖学』
  • 脚本
    ジュスティーヌ・トリエ/アルチュール・アラリ
  • 監督
    ジュスティーヌ・トリエ
  • 主な出演
    ザンドラ・ヒュラー/スワン・アルロー/ミロ・マシャド・グラネール/アントワーヌ・レナルツ
  • 2023年/フランス/152分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

フランスの人里離れた雪山の山荘で、男が転落死をとげる。
彼はベストセラー作家サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)の夫で、視覚障がいのある11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)と妻との3人で、その山荘に暮らしていたのだ。

事故と思われた彼の死は、検死結果から事件、つまり他殺の可能性が浮上して、妻サンドラに殺人の嫌疑がかかる。彼が転落したと思われる時間帯に山荘にいたのは、寝室で昼寝中のサンドラだけで、雪に閉ざされた山荘に第三者が忍び込んで彼を殺したとは、考えにくいからだった。

サンドラは旧知の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)に弁護を依頼。薬物に依存していた夫は自殺したのだと主張する。犬との散歩から帰ったときに父の死体を発見したダニエルは、当日の夫婦の様子を知る唯一の証人だった。だがダニエルの証言は二転三転‥‥。裁判で夫婦の間に問題がなかったことを証明する決め手はなかった。

やがて死んだ夫のUSBメモリーから、転落前夜の激しい夫婦喧嘩の録音が見つかり、検事(アントワーヌ・レナルツ)は夫婦が大きな問題を抱えていたことを法廷で指摘する。
作家を目指しながら書けないことに悩んでいた夫と、ベストセラー作家になった妻。息子が視神経に障害を負うことになったのは夫の過失によるもので、その負い目からも妻に隷属するようになった夫‥‥。

前夜の激しい夫婦喧嘩は、そんな夫による妻への反抗が発端か?
果たしてあの落下は事故か? 自殺か? 殺人か?
そして息子ダニエルは、最後にもう一度証言台に立つことを決意するのだった‥‥。

出典:DVDパッケージより

☆落ちていく夫婦の物語

2時間半を超える長尺の作品でありながら、山荘と法廷以外の場所はほとんど出てこないという、大変思い切った作りの映画です。映像的に凝っているとか、斬新な編集とか、目を見張るCGというものもありません。ただただストイックに、夫婦の物語に迫っていきます。

冒頭。
女子大生を山荘に招き、上機嫌でインタビューに応じるベストセラー作家サンドラ。ワインを片手に陽気に笑う作家は、自分が取材する側であるかのように女子大生に質問をぶつけます。戸惑う女子大生。

不意に屋根裏部屋から鳴り響く大音響のラテン系音楽。
作家の夫が取材を邪魔する目的で鳴らしているのでしょうか。
インタビューと笑い声と大音響の音楽。

雪に閉ざされた山荘に、不協和音が満ちていきます‥‥。

興が削がれた作家は結局インタビューを中断し、女子大生を帰します。
彼女が車で山荘を去ってから約1時間後に、あの「落下」が起きたのです。

やがて始まる裁判は、この夫婦の実相を、山荘に満ちていた不協和音の正体を、少しずつ明らかにしていきます。

例えば、妻の浮気が始まったのは、夫の過失で息子の視力が失われた頃でした。
おまけに彼女はバイセクシャル、つまり両性愛者。
そんな事実が明らかになってみると、冒頭の女子大生とのインタビューの場面は、まったく違った意味合いを帯びてきます。

作家は女子大生を誘惑しようとしたのか、はたまた、リラックスした状態で取材を受けたかっただけなのか?

女子大生も法廷に呼ばれて証言しますが、真実は闇の中。
あれは誘惑だったのか?
はたまた、誘惑ではなかったのか?

夫婦に関するさまざまな情報が明らかになっていきますが、すべてがこんな感じで闇の中。
観客は、いわば疑惑の海に放り出されたまま終盤を迎えるのです。

©︎ 2023 LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

☆曖昧な状態に放置される疑念

この緊迫した展開の中で、どっちつかずの宙ぶらりんな観客の心に強烈なインパクトを与えるもの。それが、作家を演じるザンドラ・ヒュラーの圧巻の演技です。裁判の被告とされ、裁くような目で見られるのが恐ろしいと涙を流すか弱き未亡人であり、また同時に、エゴイスティックに夫を支配する冷酷な鬼嫁の一面も見せます。

その振れ幅の大きさを目の当たりにして、ますます疑惑の深淵に引きずり込まれていくような恐怖を感じる観客は、少なくないのではないでしょうか。

1978年に東ドイツで生まれたザンドラ・ヒュラーは、ドイツ、オーストリア、アメリカ、イギリス、フランスと国際的に活躍する女優です。学校の演劇クラブで芝居に目覚め、10代で舞台女優としてデビュー。ドイツ国内やスイスで経験を積み、『レクイエム〜ミカエラの肖像』(2006年)の主演で第56回ベルリン国際映画祭女優賞とドイツ映画賞を受賞。以降映画俳優として目覚ましい活躍を見せています。

フランス映画である本作がパルム・ドール(最高賞)を受賞した第76回カンヌ国際映画祭では、彼女のもうひとつの主演作『関心領域』も最高賞に次ぐグランプリを獲得していますが、こちらはアメリカ、イギリス、ポーランドの合作(作品の舞台はナチス支配下のドイツ)と、まさに世界を股にかけた活躍ぶりが話題になりました。

本作で演じる作家サンドラは彼女と同じドイツ生まれという設定ですが、英語とフランス語を器用に操るマルチリンガルぶりは、国際派女優の面目躍如というところでしょうか。
本作の演技で第96回アカデミー主演女優賞にもノミネートされましたが、これは実に87年ぶりにドイツ人女優が主演女優賞候補になった瞬間でした。

そんな実力派女優に当て書きしているかのような脚本は、彼女と同じ1978年生まれのフランス人女性、ジュスティーヌ・トリエ。本作の脚本と監督を兼任し、アカデミー監督賞にノミネートされた初のフランス人監督となりました。

同い年の2人の最初の出会いは2012年。
この年ザンドラ・ヒュラーが審査員を務めたベルリン国際映画祭で短編映画賞を受賞したのが、ジュスティーヌ・トリエでした。
女優と監督としてタッグを組むのは、『愛欲のセラピー』(2019年)以来2作目となります。

そして共同脚本のアルチュール・アラリは、ジュスティーヌ・トリエの私生活でのパートナー。1981年生まれのフランス人男性で、監督・脚本家・俳優としてマルチに活躍する映画人ですが‥‥。
いまのところ実績で大きくリードしているのはジュスティーヌの方で、なんだか、ちょっと本作の夫婦の関係がダブるというか‥‥、まあ、いまのところの実績では、ということですけど。

作家にしろ、映画製作者にしろ、同じ道を志しても女性の方がやり手で成功するというのは、いかにも今日的というか、リアルというか、とにかく実例がたくさんありそうな設定だと感じます(歌手とかモデル、俳優もそうですね)。そうしたカップルのすべてが、本作の夫婦のように大きな問題を抱えているとは思いませんが‥‥。

いずれにしても、共同して脚本を作る2人が自分たちと相似形の夫婦を主人公に据え、しかもこんな疑惑と不協和音に満ちた夫婦関係を描き出すとは‥‥。

©︎ 2023 LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

☆真実は複雑で曖昧で多面的

録音されていた前夜の夫婦喧嘩で烈火の如く夫をやり込め、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめす妻のサンドラですが(激昂のあまり暴力を振るう様子まで録音されていました)、その録音が流された法廷で、検事から執拗に、冷酷に、そして強圧的に、夫を殺したのではないかと追求されます。

彼女は小さな声で、こう返します。
その喧嘩はわたしたち夫婦の一面でしかない。真実はもっと複雑で、つかみ所のないもの。

ジュスティーヌ・トリエとアルチュール・アラリが本作を通して表現したかったこと。それは、主人公のこのつぶやきに凝縮されていると感じます。
夫婦に限らず、あらゆるカップル。そして親子、友人。人間関係は複雑で、つかみ所のないもの。その真実はいつも、複雑で曖昧で多面的‥‥。

複雑な物事の一面だけを捉え、短絡的で乱暴な論理でバッサリと斬るスタイルが昨今人気です。短い動画で拡散されやすいという理由もあるでしょうが、一面的で単純な理屈の方が理解するのが楽で、人々が飛びつきやすいことは確かでしょう。

人間は楽をしたい生き物ですから、複雑で曖昧で多面的な真実など決して見たいと思わないのです。
その傾向が如実に現れたのが、2024年のアメリカ大統領選挙だったと言えるでしょう。すべてを移民とインフレのせいにする一面的で単純極まりない主張が、世界中を暗く落ち込ませるあの選挙結果をもたらしたのです(この記事は2024年11月10日に書いています。あ、落ち込んだのはモスクワ界隈以外と言っておきましょう)。

比較的歴史の浅いアメリカの地で、いま民主主義は迷子になりかけています。民主主義は死んだ。そう言い切る人さえいます。
そんな時代にヨーロッパから届けられた本作は(考えてみれば、ヨーロッパ諸国も極右政党の台頭に手を焼く今日この頃ですね)、楽をしたい生き物である人間は、努力しないと複雑で曖昧で多面的な真実にたどり着かない、ということを教えてくれています。

長い歴史をかけて人間の営みを見てきたヨーロッパ文明圏の知恵でしょうか‥‥。

知恵と言えば‥‥。
一説によれば、ザンドラ・ヒュラーは自分が演じる作家が殺人犯なのか、知らされていませんでした。撮影中何度かその答えを尋ねたそうですが、ジュスティーヌ・トリエは決して答えなかったのだとか。

殺人犯である。いや、殺人犯ではない。
答えがどちらであったとしても、女優はその事実(=真実)から逆算して演技を組み立てて撮影に臨んだことでしょう。そしてそうなれば、彼女の演技が何を意図し、どんな事実(=真実、つまり設定)に基づいて組み立てられたものかを、多くの観客は感じることになるでしょう。

なぜなら、役者とはそういうものだから。
観客がそれを感じ取れるように表現するのが、優れた役者の習性だから、と言った方がいいかもしれません。

主演女優に物語の核となる設定(=真実)を明かさない。
それは、目的を達成するための映画製作者ならではの知恵と言えるのかもしれません。

では、トリエ監督が目的としたものとは何か?

それについて、共同脚本のアルチュール・アラリはこう語っています。
「最後に証言台に立つ息子ダニエルと同じ立場に観客を置いておきたかった」
最後の最後まで観客にどんな予断ももたせないというのが、2人が目指したことだったのです。

視力に障害を負ったダニエル。
すべての公判を傍聴した彼は、深く傷つきながら、懸命に「彼なりの真実」にたどり着こうとします。
そして、懸命に証言します‥‥。

本作を最後まで観終わったあと、あなたは何を思うでしょう?
あの日あの山荘で起きたのは単なる事故か、自殺なのか、それとも殺人か‥‥?

すべての観客に「自分なりの真実」を見つけてほしい。
複雑で曖昧で多面的な真実から逃げないでほしい。
本作のラストはまるでそう訴えかけているかのようだと、モリゾッチは思いました。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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