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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』レビュー☆帰りたくなる未来はあるか?
80年代を代表するヒット作。SF映画の金字塔。映画史上に残る最高傑作のひとつ。
さまざまに形容される作品をご紹介します。もっとも、知らない人はかなり少ないと思いますが。
- 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
- 脚本
ロバート・ゼメキス/ボブ・ゲイル - 監督
ロバート・ゼメキス - 主な出演
マイケル・J・フォックス/クリストファー・ロイド/トーマス・F・ウィルソン/リー・トンプソン/クリスピン・グローヴァー - 1985年/アメリカ/116分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
マーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)は1985年に生きるパッとしない普通の高校生だが、親しくしている科学者のドク(クリストファー・ロイド)に深夜に呼び出され、とある実験に立ち会わされる。ドクは、スポーツカーのデロリアンをタイムマシンに改造したのだった。
だが、直前に起きたハプニングによってマーティはひとりでデロリアンに乗り込み、偶然1955年にタイムスリップしてしまう。燃料が尽きて1985年に戻れないマーティは、1955年のドクに助けを求めようとするが、その過程で若き日の父ジョージ(クリスピン・グローヴァー)と母ロレイン(リー・トンプソン)の出会いを邪魔してしまい、このままでは2人は結婚せず、自分は生まれないことになってしまう(つまり消滅する!)と気づく。
なんとか無理矢理にでも2人をくっつけようと奮闘するマーティだが、高校一の不良でケンカっ早いビフ(トーマス・F・ウィルソン)がことごとく邪魔をしてくる。彼はマーティの母ロレインに片思いをしていたのだった。
果たして、マーティは消滅することなく、無事に1985年に戻れるのだろうか‥‥。
☆青春コメディーでもあるSFファンタジー
1985年の全世界興行収入の1位に輝いた本作は熱狂的な支持を受け、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(1989年)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990年)という2本の続編を生みました。タイトルの頭文字をとった「BTTF」という略称で親しまれ、コロナ禍の2020年には、公開から35周年を記念して「バック・トゥ・ザ・フューチャー トリロジー」という豪華パッケージ版が発売されたことも記憶に新しいところです(3作一挙上映などで劇場も盛り上がりましたね)。
監督のロバート・ゼメキスが脚本のボブ・ゲイルと数年前から構想していたタイムトラベル・ファンタジーでしたが、当時はなかなか資金の出し手が見つからず、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)、『E.T.』(1982年)のスティーヴン・スピルバーグによる製作総指揮という形を整え、さらにゼメキス監督自身の『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(1984年)の大ヒットという実績があって、ようやく実現にこぎ着けた企画だと伝わります。
タイムトラベルのための次元転移装置や莫大なエネルギーを生み出す発電装置などがぎっしりと詰め込まれたデロリアン。そしてそのデロリアンが時空を超えたあとに路面に残る二筋の炎‥‥。
そうしたタイムマシンにまつわる演出が当時としては斬新で、アイキャッチとして絶大な効果を発揮しました。
マーティとドクという年齢の離れた凸凹コンビの関係も、ユニークでありながら、どこか盤石の安心感のようなものがあり、多くの観客を惹きつけました。
そしてやはり、高校生の主人公がタイムスリップした先が自分の両親の高校生時代という、つまり息子も両親もみんな揃って高校生という青春グラフィティぶりがなんとも楽しくて、そこに散りばめられたふたつの時代の風俗描写も絶妙にタイムトラベルと絡み合い‥‥。
青春グラフィティとタイムトラベル・ファンタジーの、当時としては革新的な融合。
そのさじ加減の見事さが、本シリーズの最大の魅力と言えるでしょう(PART3では、年上のドクにも青春が訪れることですしね)。
☆PART2の悪役はトランプ?
さじ加減の見事さとは、一例を挙げればこんな感じです。
マーティの父になるはずのジョージ(このときはまだ高校生)がマーティの母になるはずのロレイン(同じく高校生)の父親の車に轢かれそうになったとき、とっさに飛び出して助けたのは1985年からタイムスリップしたマーティでした。
しかしそのためマーティが車に轢かれてしまい、ロレインの家に運ばれて看病されます(意識不明で昏睡状態なので、普通は救急車で病院へ運ぶ事例だと思うのですが、まあ、細かいことは置いておきましょう)。その過程でロレインはすっかりマーティに恋してしまい(自分の息子とも知らず!)、しかもマーティの名前をカルバン・クラインだと勘違いします。
パンツに名前が書いてあるからなのですが‥‥。
確かにアメリカ人は持ち物に名前を書く習慣があるようですが、それよりも、意識不明の人を勝手に裸にしてはいかんだろう、と突っ込みたくなりますね。
マーティがビフを怒らせて車で追い回されたとき(アメリカでは16歳から運転免許が取得できる州が多いのですね)、近くの女の子が遊んでいた木製のキックボードを借りて、ハンドルの部分を取り払ってスケートボードにして逃走します(「他人のものを無断で借用して、しかも壊してしまうというのはいかがなものか」的な視線に対しては、当の女の子が目を輝かせてキックボードの動きを見ているカットで一応の対策は打った形です)。
キックボードにしろ、カルバン・クラインにしろ、1985年のマーティにとっての当たり前が、1955年の人には初めて見る物。そうした小道具の使い方が絶妙で、楽しめます。
マーティが着ていた赤いダウンベストが救命胴衣にしか見えず、船乗りと間違えられる、なんてことも。
高校のパーティーでマーティが即興で演奏した「ジョニー・B.グッド」を、舞台袖にいたバンドマンが従兄弟のチャックに電話で聴かせる、なんてジョークもタイムトラベルものならでは、ですね(ロックンロールの創始者と言われるチャック・ベリーが代表曲「ジョニー・B.グッド」を発表したのは1958年のことです)。
タイムトラベルものならでは、という観点でいえば、シリーズ中最大のおもしろネタはPART2の悪役かもしれません。
悪役といっても、本シリーズの悪役はどの作品もビフと決まっています。それぞれの時代のビフ、ということですね。マーティはどの時代へ行っても、悪役のビフと対決することになります。
PART2では2015年のビフ(老人です)が1955年のビフ(高校生)に『スポーツ年鑑』を渡し、高校生のビフはそこからスポーツ賭博で大儲け。1985年には巨大なタワーの最上階に住むカジノ王となっているのですが‥‥。
このカジノ王のビフ、見た目も言動もトランプにそっくり。
そんな噂がささやかれ始めたのは、トランプが共和党の大統領候補に名乗りを上げた2015年ごろ。そして、ニュースサイトのインタビューでその真偽を確かめられた脚本のボブ・ゲイルは、こう答えました。
映画を作ったときにそれを考えていたよ!もちろんさ
出典:ビフのモデルはトランプ氏、「バック・トゥ・ザ…」脚本家明かす
カジノ王ビフの巨大タワーのモデルになったのは、不動産王トランプが1984年に建てたトランプ・プラザホテルなのだとか。
ということは、現在の私たちの世界は、未来の情報によってねじ曲げられてしまった「もうひとつの世界」の延長線上にあるのでしょうか?
それとも、PART2のストーリーは、(作り手の意図とは無関係に)今日の我々の世界の一面をある種予言していた、と捉えるべきでしょうか?
☆映画自体がタイムマシン?
映画が現実の一面を予言する。そう考えることはとても楽しい空想ですが、そしてもちろんあり得る話ですが‥‥。
より現実的に考えると、この映画自体がタイムマシンである。これはおそらく、ほぼ間違いのない事実だと言えます。
どういうことでしょうか?
本作に始まるこの3部作を鑑賞するとき、私たちは間違いなく1980年代に旅をしています。
まだ未来に希望がもてた、みんなが元気だった、あの80年代‥‥。
バブルとも、浮かれた時代とも言われるが、多くの人が同じ価値観を共有できた、おそらく最後の時代‥‥。
本シリーズに終始流れているお気楽なムード、底抜けに陽気で前向きなトーンは、製作された80年代の気分が色濃く反映されたもの。そうした時代の気分に合致したからこそ大ヒットとなったわけですが‥‥、いま、2024年にいる我々から見れば、そんな80年代の空気に触れられる貴重なタイムマシン。
それが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作。
35周年企画風に言うならば、トリロジーですね。
というわけで、話を本作に戻しましょう。
1955年にタイムスリップしたマーティは、ドクの助けを借りて、次元転移装置を起動するための莫大なエネルギーを雷から得るというアイデアにたどり着きます。それは、たまたま1985年の時計台保護運動のチラシがマーティのポケットに入っていたからなのですが、そこには、街のシンボル的な時計台が1955年の落雷で故障したままで、現在の市長が取り壊しを主張していると書かれています。
そのチラシをよく見ると、落雷のあった日付と正確な時刻が記されていたのですね。
その日その時刻に合わせて、雷の電力をデロリアンに流す仕組みを用意すれば、マーティは1985年という未来へ帰る(バック・トゥ・ザ・フューチャー)ことができるのです。
ちなみに、マーティがなぜそのチラシをポケットに入れていたかというと‥‥、恋人のジェニファーが泊まっているおばあちゃんの家の電話番号が書いてあるからなのです。ジェニファーが、メモ用紙代わりに使ったのですね。
翌日、マーティとジェニファーはデートに出かける約束なのです。
だからマーティは、何がなんでも1985年に帰らなければいけないのでした。
ああ、愛すべき80年代。
夢と希望に満ちた80年代。
華やかで美しく、陽気で楽しい、帰るべき80年代‥‥。
さて、いまの私たちに、帰りたくなる未来はあるでしょうか?
過剰とも言えるほど80年代を美化したくなるこの気持ち、わかる人にはわかってもらえることと思います。
それはきっと、秋風の影響。
暗黒の時代に突入したと形容されることもあるこの晩秋のせいかもしれません(この記事は、2024年11月に書いています)。
これから迎えるであろう冬の時代。
私たちはどうやって過ごしていくでしょう?
なんとか無事にあの時代をやり過ごした。胸を撫で下ろしながらそう言い合える未来は、やってくるのでしょうか?
PART3のラストで、ドクはマーティに向かってこう言いました。
「未来は白紙だ。これから君たちが作っていくんだよ」
このシリーズを締めくくるにふさわしい素敵なセリフ、とだけ言っておくことにしましょう。
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