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『ティファニーで朝食を』レビュー☆自由という名の心の檻

出典:本作DVDパッケージより
ラブロマンスの森

ティファニーの店舗の前で、パンとコーヒーの朝食を食べるオープニングがあまりにも有名な作品です。原作者トルーマン・カポーティは、ヒロイン役にマリリン・モンローをイメージしていたといいますが‥‥。


  • 『ティファニーで朝食を』
  • 脚本
    ジョージ・アクセルロッド
  • 監督
    ブレイク・エドワーズ
  • 主な出演
    オードリー・ヘプバーン/ジョージ・ペパード/パトリシア・ニール
  • 1961年/アメリカ/115分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

大都会ニューヨークのアパルトマンに暮らすホリー(オードリー・ヘプバーン)は、金持ちのオヤジたちとデートすることと、刑務所にいる大物マフィアと定期的に面会するという奇妙なバイトで生計を立てている。
キャットという名の猫と暮らし、そのうちに独身の大富豪を見つけて結婚するという夢を見ながら、自由気ままな暮らしを満喫している。

彼女の上の部屋に越してきたポール(ジョージ・ペパード)は売れない作家。数年前に本を出して以来書けない日々が続き、裕福なマダム(パトリシア・ニール)の愛人をしている。
いわば、このアパルトマンに囲われた形だ。

そんな2人が出会い、ホリーは遠くに住む兄の面影をポールに重ね、ポールは自由奔放で無邪気なホリーの魅力に惹かれていく。

そんなある日、テキサスからやって来た中年男がホリーを連れ戻そうとする。彼はホリーの夫だった。いや、ホリーではない、彼女の本当の名はルラメイ。不幸な生い立ちで、14歳のときにこの男の妻になったのだった。だが束縛を逃れ、自由を求めてニューヨークへたどり着いた彼女‥‥。

絶対にテキサスへは戻らない。
夫に別れを告げる彼女。
その横に、彼女を愛おしむように付き添うポールの姿があった。

ポールは愛人契約を解消し、作家として再スタートを切ろうとする。
だが、ホリーとして生きることを決めた彼女は自分の夢をあきらめない。ブラジルの大富豪ホセと結婚し、ブラジルへ行くことを決めてしまうのだった‥‥。

出典:DVDパッケージより

☆乗り気でなかったO・ヘプバーン

早朝の5番街をまっすぐに走ってくる1台のタクシー。
停車したその先にあるのは、高級宝飾店ティファニーのショーケース。降り立った若い女性が、持っていた紙袋からパンとコーヒーを取り出し、ショーケースを覗き込みながら朝食をとる‥‥。

このトップシーンでオードリー・ヘプバーンが着用していたジバンシィの黒いドレスは、いまでは「世界一有名なブラックドレス」と形容されるようになりました。

結果的に彼女の代表作となったこの作品ですが、オードリー本人は当初まったく乗り気でなかったと伝わります。ヒロイン役の第一候補がマリリン・モンローだったことも無関係ではないでしょうが、一説によれば、「奔放で外交的なヒロインを魅力的に演じることは、内向的な自分には難しい」と考えていたのだ、とも。

当時彼女はすでにトップ女優。
私生活では結婚もして、さらに出演依頼を受けたときには妊娠中の身。
何もいま冒険をしなくても‥‥そう考えるのも、無理はありません。

エージェントなどが、「これはオードリーのイメージを壊す役ではなくて、次のステージへステップアップするために必要な役なのだ」と懸命に説得したようですが‥‥。
その説得を受け入れたオードリーの決断に、拍手を送りたいと思います。

本作が今日(こんにち)まで名作と評価されてきた最大の理由は、「奔放で外交的な」ヒロインを根は「内向的な」オードリーが演じたことにある。
そう考えるからです。

この人の力も大きく影響しました。
のちに『ピンク・パンサー』シリーズを世に送り出すことになる、監督のブレイク・エドワーズ。

30代の若さでこの作品に抜擢された彼は、オードリー演じるヒロインの分身ともいえるキャット(と呼ばれている猫)に、同じ毛色の12匹の猫を駆使して演技させる一方、パーティーのシーンをお得意のドタバタコメディーにして、ニューヨークの社交界を風刺することも忘れませんでした。

しかし、なんといっても彼の最大の貢献は、台本では「雨上がり」となっていたラストシーンを、あの「土砂降りの雨」に変更して撮影したことではないでしょうか。
土砂降りの雨の中の、ずぶ濡れのホリーとポール、そしてキャット‥‥。

有名なオープニングとは正反対の味わいとなったこのエンディングが、本作の感動をより深めていることは疑いようがありません。たとえ(原作小説を翻訳した村上春樹が指摘しているように)、映画は原作とはかなり違うもの、となっているとしても‥‥。

©︎ 1961 Paramount Pictures Corporation and Jurow Shepard Productions.

☆ラストシーンは意外とウェット

さて、そのラストシーンをホリーとポールはどういう状況で迎えるかというと‥‥。
大富豪とともにブラジルへ飛び立つ前日、突然ホリーは警察に逮捕されてしまいます。わけがわからないホリーですが、実は彼女のバイトが原因でした。刑務所のマフィアと面会した際、毎回バイトの依頼人への意味不明の伝言を預かっていたのですが、それがどうやら麻薬の密売に手を貸すことになっていたらしいのです。

翌日、保釈された彼女を迎えに行ったポールは、キャットとともに彼女をホテルに連れて行こうとタクシーを拾います。事件がすでに大々的に報じられてしまったため、身を隠す必要があったのでした。ということは、事件のことは当然ブラジルの大富豪ホセの耳にも入っており‥‥。

タクシーの中で着替えながら、空港へ急ごうとするホリーですが、ポールはホセからの手紙を預かっていました。もちろん、結婚の話はなかったことに‥‥という内容。
ホリーはショックを受けます。混乱し、悲嘆に暮れる彼女。

そんな彼女に、ポールは「愛している」と伝えます。
彼女の返事は、「檻に閉じ込められるのは、いや」でした。
彼女はポールの気持ちに気づいていましたが、自分の夢が捨てられないのです。

この街にいてもマスコミに追われるだけだから、とブラジルへ行こうとします。ホセのことはもうあきらめましたが、「あとでブラジルの大富豪50人のリストを送ってちょうだい」と強がって、連れて行けないキャットを無理やりタクシーから下ろそうとするのですが‥‥。

このときのキャットが、実にいい芝居をしています。
タクシーのドアが開いて、歩道に降ろされるのですが、そこは土砂降りの雨。歩道に一度は前脚を下ろしてみたものの、これはムリ、という感じでタクシーの中に戻ろうとします。しかしホリーに追い立てられ、仕方なく雨の中へ消えていきます。

それを見ていたポールもタクシーから下りますが、最後にかけた言葉が彼女の胸に刺さります。
「君は自由と思っているかもしれないが、自分が作った檻の中に閉じこもっているんだよ」

愛は束縛、自由の敵。男の価値は財力で、女の価値は若さと美貌。
そうした流行りの言葉に囚われて、自分の心に自分で檻を作っているのではないか。それを自由と勘違いして‥‥。それを夢だと勘違いして‥‥。

彼女は顔を上げ、土砂降りの雨の中へ飛び出して行きます。
ポールを追う彼女。やがて彼女は、キャットを探しているポールに追いつきます。
目を見交わす2人でしたが、キャットの姿は、もうその辺りには‥‥。

ドライでタフな女性を描いた原作小説を知る人には(ホリーの原形はトルーマン・カポーティの実の母親と言われていますが、彼女は幼い息子を田舎に預けて、ニューヨークで男たちと過ごす日々だったとか)、この文字通り「ウェットな」エンディングは、かなり意外な展開かもしれません。

しかし、土砂降りの雨の中で物陰からキャットの鳴き声が聞こえ、それをきっかけに「ムーン・リバー(Moon River)」のメロディが流れたときには、思わず胸がキュンとしてしまう人が続出したことでしょう。

このシーンがあるから、本作のヒロインはオードリーで正解。
いや、オードリーだからこのラストシーンが成立した。
いずれの説にも、異論のある人はいないのではないでしょうか。

©︎ 1961 Paramount Pictures Corporation and Jurow Shepard Productions.

☆ムーン・リバーの意味を探る

ヘンリー・マンシーニが「1オクターブ+1音」というオードリーの音域に合わせて作曲した「ムーン・リバー(Moon River)」は、第34回アカデミー賞の歌曲賞と作曲賞に輝きました。ちなみに同じ年の第4回グラミー賞でも、最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞しています。

この曲を、アパルトマンの窓に腰掛けたホリーがギターを弾きながら口ずさむシーンは、映画史に数多く登場する劇中の歌唱シーンの中でも、特によく知られた、そして人々の記憶に残り続ける、非常に有名なシーンだと思います。

プロの歌手のような歌声ではなく、ニューヨークでひとり暮らしをするホリーの、つまり、どこにでもいる普通の女性の趣味の歌として実によく演じられていて、彼女の心の中にある願いのようなものが、その曲を通して自然に観る者の胸に伝わってきます。

一時は吹き替えも検討されたと伝わりますが、歌唱に自信のなかったオードリーを説得したのはエドワーズ監督の功績。その結果、監督の狙い通りのシーンになったのではないでしょうか。

さて、できあがった曲にあとから詩をつけたのは、作詞家のジョニー・マーサー。しばしば、「意味がわかりづらい」と言われるこの歌詞ですが、今日はその意味するところに迫ってみたいと思います。

Moon river, wider than a mile
I’m crossing you in style some day
Oh, dream maker, you heart breaker
Wherever you’re going, I’m going your way

Two drifters, off to see the world
There’s such a lot of world to see
We’re after the same rainbow’s end, waiting round the bend
My huckleberry friend, Moon River, and me

ジョニー・マーサー「ムーン・リバー」より

ジョニー・マーサーは、ホリーと同じくアメリカ南部(ジョージア州サヴァンナ)の生まれ。故郷に流れるバック・リバー(Back River)という川と、自身の少年時代の思い出をモチーフにしたと言われています。ちなみに、この曲のヒットを受けて、バック・リバーは「ムーン・リバー」と名称変更したのだとか。

川を擬人化したり、抽象的で断片的なフレーズを積み重ねることによって、多くの人が自分の身に引き寄せて解釈できるように、うまく工夫された詩だという気がします。そのせいで、具体的・限定的な解釈はしづらくなっていて、そのあたりが「意味がわかりにくい」という評価につながっているのかもしれません。

「rainbow’s end」という特徴的な表現は、「虹の端には宝物がある」という古い言い伝えからきているのだろう、という解釈もあるようですので、そうしたことも参考にして、我流ですが和訳をしてみました。

ムーン・リバー 1マイルよりも広い川
堂々と渡ってみせる いつの日か
君は僕に夢をくれ 僕を傷つけもする
君が行くところなら 僕はどこへでもついて行く

君と僕 2人して世界を漂う
まだ見ぬ世界が 広がっている
僕たちが追いかけている虹のような幸せは あの曲がり角で待っているよ
懐しい友だち ムーンリバーと僕

「ムーン・リバー」和訳 by モリゾッチ

2行目の「you」は確かに川のことですが、3行目以降は果たしてどうでしょうか?
「どこへでもついて行く」って、川がどこかへ行くとは‥‥。
そう考えて、3行目以降の「you」は、自分の恋の相手、あるいはパートナーと解釈する人も多いと思います。

それでも充分意味は通ります。
そしてその場合、最後の行に「懐しい友だち」と再び擬似化した川が出てきて、少し戸惑うのですが‥‥。

自分の大切な人を川に見立てている?
しかし、「懐しい友だち」と呼んでいるのは‥‥?
そう考えて、モリゾッチがたどり着いた解釈は‥‥。

川に見立てているのは、自分以外の誰かではなく、幼い日の自分自身。

人は誰も、少年(少女)時代の自分を背負いながら、幸せ探しの旅を続ける。
近所の川で無邪気に遊び、人生に漠然とした夢を抱いていた、あの日の自分。
そして、曲がりくねった大きな川は、まるで人生そのもののようでもあり‥‥。

そういえば、本作のホリーにとってキャットは、幼い日の自分のような存在でした。
まだ何者でもない、少女時代の自分。
名前の付いていない、ただの「キャット」‥‥。

土砂降りの雨の中で、ずぶ濡れのキャットを胸に抱いて、ポールと何度も何度も唇を重ねるホリーの姿。あのラストカットは、彼女の幸せ探しの旅路の終着点を示しているように感じます。

幸せは「あの曲がり角で待っているよ」とモリゾッチが訳した「round the bend」は、ネイティブの人に訊くと「すぐそこに」くらいのニュアンスだとも言います。
終着点は、「すぐそこに」あったのですね。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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