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『ナイル殺人事件』レビュー☆愛こそすべてというけれど
このミステリーの原作は、アガサ・クリスティーが1937年に発表した『ナイルに死す』という推理小説。ご存じベルギー人の名探偵エルキュール・ポアロが、船上の複雑な殺人事件に挑むお話です。
- 『ナイル殺人事件』
- 脚本
マイケル・グリーン - 監督
ケネス・ブラナー - 主な出演
ケネス・ブラナー/ガル・ガドット/アーミー・ハマー/エマ・マッキー/トム・ベイトマン/アネット・ベニング/ソフィー・オコネドー/レティーシャ・ライト/ジェニファー・ソーンダース/ドーン・フレンチ - 2022年/アメリカ・イギリス/127分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
ポアロ(ケネス・ブラナー)は、エジプトで再会した友人のブーク(トム・ベイトマン)に誘われて、とある大富豪の新婚旅行ツアーに参加することになる。莫大な財産と美貌を併せもつそのツアーの主リネット(ガル・ガドット)は、しかしある悩みを抱えていた。
彼女の夫サイモン(アーミー・ハマー)は彼女の友人だったジャクリーン(エマ・マッキー)の元婚約者。つまり彼女は、友人の婚約者を略奪したのだった。
サイモンを諦めきれないジャクリーンは彼らのツアーに付きまとい、新婚の2人を悩ませ続けていた。そしてポアロは、ジャクリーンのバッグに22口径のピストルが忍ばせてあるのを見てしまう。
ポアロはリネット夫妻にツアーの中止を提案するが、彼らは予定を変更して、豪華客船でナイル川を下るクルーズを敢行する。出港時の乗船客はリネットによって招待された者だけ。事実上の貸切状態だった。
乗船しているのは、ポアロとブークのほかには、まずブークの母ユーフェミア(アネット・ベニング)。会場を盛り上げるブルース歌手のサロメ(ソフィー・オコネドー)とその姪にしてマネージャーのロザリー(レティーシャ・ライト)。
リネットの元恋人で医師のウィンドルシャム、リネットの従兄弟で財産管理人のアンドリュー。
そのほかには、リネットの名付け親で後見人でもあるマリー(ジェニファー・ソーンダース)と、その看護師のミセス・バワーズ(ドーン・フレンチ)などであった。
その客船に途中の寄港地からジャクリーンが乗り込んできた。
不穏な空気が漂う中、夜更けのラウンジでジャクリーンがサイモンに発砲する事件が起きる。サイモンは足を負傷して医師ウィンドルシャムの部屋に運ばれ、興奮したジャクリーンには看護師のミセス・バワーズが朝まで付き添った。
そして翌朝、前夜の発砲事件よりも先にひとりで就寝したリネットが、射殺体で発見された。コメカミを撃ち抜かれていた。ジャクリーンの22口径は、船内のどこにも見当たらなかった。
ポアロは、全員に昨夜の行動を訊くところから捜査を開始したのだった‥‥。
☆ミステリーだがテーマは愛
ケネス・ブラナー監督・主演のクリスティーものといえば、『オリエント急行殺人事件』(2017年、レビューはこちらからどうぞ)がすぐに浮かびますが、こちらはそのヒットを受けた第2弾。舞台を列車からクルーズ船に移し、またまた豪華で難解なパズルの世界へ、観客を引き込んでいきます。
ブラナー監督の才人らしい手慣れた語り口は健在ですが、本作では、ミステリーとは無縁の、ポアロの人間的な部分に光を当てるエピソードが目を引きます。
なにしろトップシーンは、エジプトでもナイルでもなく、第一次大戦と思(おぼ)しきベルギーのとある戦場です。
後に名探偵となる若きポアロは、鋭い観察眼を駆使して部隊の危機を救いますが、油断した上官が敵の仕掛けた地雷に引っかかってしまい、その巻き添えになって大怪我を負ってしまいます。
特に顔面に一生消えない深い傷を負ったポアロでしたが、大きな髭を生やしてその傷を隠してしまえばいいとアドバイスしたのは、病室に通ってきていた彼の婚約者カトリーヌでした。醜い姿になってしまった自分のことは忘れてくれ、とポアロは頼むのですが、彼女は聞き入れません。
一度誰かを愛したら、何があっても愛し続けるものよ。
それが、カトリーヌの考え方でした。
そして、それがそのまま、本作のテーマにもなっているのです。
何があっても、愛は消えない。
ポアロに向かってそう呟いたのは、友人に婚約者を略奪されたジャクリーンでした。
まだナイル川クルーズが始まる前、テーブルの上に投げ出したバッグから22口径の小さなピストルを出しながら、そう言ったのです。
愛こそすべて。愛にルールなんてないの。
これは略奪した側、リネットの言葉です。
ジャクリーンとの婚約を破棄して自分と結婚した夫サイモン。その行動に違和感を隠さないポアロに対して、彼は彼女のために愛を諦めるべきじゃない、と主張します。同時に、自分の行為も正当化したいのは明らかです。
本作で描かれるのは、この三角関係だけではありません。
ポアロの友人ブークはブルース歌手サロメの姪ロザリーと恋仲ですが、母ユーフェミアが猛反対しています。経済力のないブークは結婚して独立するために母の支援が必要なのですが、ロザリーが黒人であるため母の同意が得られない、という問題を抱えています。
リネットの後見人である中年女性マリーは、リネットの夫サイモンとともに彼女の莫大な遺産を相続する立場にありますが、道ならぬ恋を隠し通すことに必死です。看護師として付き添うミセス・バワーズ(こちらも中年女性です)は、実は彼女の愛人なのです。1937年という時代を考えれば、この関係は誰からも理解されない、秘密にしておかなければいけない関係なのです。
ポアロによって暴かれたそうした関係が絡み合い、事件は複雑な様相を呈していきます。
そして物語の中盤、若きポアロと婚約者のその後についても明かされます。
ポアロの病室を見舞うため、いつものように列車に乗った婚約者カトリーヌは、敵の迫撃砲によって命を落としたのでした。
カトリーヌを失って、私はこういう人間になった。
シャンパンの酔いがいつになくポアロを饒舌にさせたのは、間違いありません。目を潤ませてそう語るポアロに、世界一の名探偵の面影はありません。
愛は命の源。人生の原動力。つまり人生は愛によって左右され、人々は愛に翻弄され続ける。
きっと何千年の昔から、そうした人々の姿を見つめ続けてきたナイル川。
このクルーズ船の人々の姿は、そんなナイルの流れに、どのように映っていたのでしょうか?
☆愛こそすべてというけれど
愛によって他人の人生を翻弄し、自らの人生も破滅させることになったリネットを熱演するのは、イスラエル生まれのガル・ガドット。
並はずれた意志の強さを漂わせた華やかな風貌は、まさに本作のリネットそのものと言えるでしょう。
イスラエル時代には兵役も経験し、ミス・イスラエルに選ばれたこともあります。
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016年)でのワンダーウーマン役が話題になり、翌年のヒット作『ワンダーウーマン』(2017年)で映画初主演。
それ以降も順調にキャリアを重ねています。
序盤で見せる未来の夫サイモンとのダンスシーンは、迫力も妖艶さもあり、圧巻です。サイモンに惹かれていくリネットの熱情がよく表現され、まんざらでもない、というか徐々に盛り上がっていくサイモンの表情と、脇で2人を不安げに見守るジャクリーンの視線‥‥と、その後の展開を暗示する見事な導入部となりました。
さて、そのリネットの発した言葉。
愛こそすべて、とはよく聞く言葉ですが、すべてであるからこそ慎重に扱わなければいけないのもまた、愛ではないでしょうか。
愛のために人を傷つけ、愛のために人を裏切り、ましてや愛のために命を奪うとしたなら‥‥。
愛という想念に踊らされた、それは、あまりに哀れな姿と見えてしまうのですが、そう感じるのはモリゾッチだけでしょうか。
リネットが相続した莫大な財産も絡み、最終的には5人の命が失われることになるこの事件。ラストシーンでは、トレードマークの大きな髭を剃り落としたポアロの顔も見ものです。
明晰な頭脳をもつ変わり者。
そんな従来の画一的なポアロ像を打ち破り、人間ポアロに迫る演出も見どころのひとつに加えたことで、本シリーズの今後がどんな展開を見せてくれるのか。ケネス・ブラナー監督の才人ぶりに、期待がかかるところです。
名探偵ポアロが登場するアガサ・クリスティーの小説は長編が33作、短編は50作を超えると言われます。
ブラナー監督には、前作の『オリエント急行殺人事件』(2017年、レビューはこちらからどうぞ)と本作に続いて、さらに多くの作品群の構想があるとも伝わる中、人間ポアロの描かれ方にも注目していきたいと思います。
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