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『デューン 砂の惑星 PART2』レビュー☆神は作られる存在なのか?

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ファンタジーの森

スティーヴン・スピルバーグ監督は、「今までで最も見事なSF映画のひとつ」と本作を絶賛。クリストファー・ノーラン監督は「原作以上の世界観を構築した」と激賞。2021年のパート1から3年。どのような続編になったのでしょうか。


  • 『デューン 砂の惑星 PART2』
  • 脚本
    ドゥニ・ヴィルヌーヴ/ジョン・スペイツ
  • 監督
    ドゥニ・ヴィルヌーヴ
  • 主な出演
    ティモシー・シャラメ/ゼンデイア/レベッカ・ファーガソン/オースティン・バトラー/フローレンス・ピュー/クリストファー・ウォーケン
  • 2024年/アメリカ/166分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

前作でハルコンネン家の策略によって家族を失ったポール・アトレイデス(ティモシー・シャラメ)が、アラキスの先住民・フレメンの一員として生き延び、新たな運命へと歩む姿を描く。物語は前作直後、ポールと母レディ・ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)がフレメンに受け入れられ、彼らの掟や習慣に馴染んでいくところから始まる。

ジェシカはベネ・ゲセリットの計略に従い、神話の「救世主」の到来をフレメンに信じ込ませることで彼らの支持を得ようとし、宗教的影響力を強めていく。一方、ポールは砂漠での修行を重ね、砂虫(サンドワーム)を操る技術を習得し、次第に「救世主」としてのカリスマ性を帯びていく。しかし、彼自身は未来視により、自らの選択が数十億の命を奪う「聖戦」につながる可能性を知り、苦悩する。

ポールとチャニ(ゼンデイヤ)は互いに惹かれあうが、チャニはフレメンの純粋な戦士であり、ベネ・ゲセリットによる宗教的操作や権力には懐疑的だ。ポールが預言者的存在として祭り上げられるのに対し、彼女はその変化を冷ややかに見つめる。

一方、ハルコンネン家では、病弱なラッバーンに代わり、新たにバロンの甥フェイド=ラウサ(オースティン・バトラー)が登場。狂気と美貌を併せ持つ冷酷な戦士であり、皇帝シャダム四世(クリストファー・ウォーケン)からも期待される存在となる。

一方ポールは、砂虫の身体から採取される、「命の水」と呼ばれる強毒の青い液体を飲み、死の淵を彷徨う。チャニの涙によって命を吹き返した彼は、この儀式を経て、超人的な知覚力と未来視の力を完全に覚醒させる。その直後、母ジェシカの妊娠により生まれたアリア(未熟児ながら知性を持つ存在)を通じてさらなる真実を知る。

クライマックスでは、皇帝がアラキスに到着。ポールは砂虫に乗って皇帝軍を強襲し、ついには皇帝と直接対峙する。皇帝に勝利すれば、政治的安定のために皇帝の娘イルーラン(フローレンス・ピュー)を妻とするーーと宣言するポール。そのことに、ショックを受けるチャニ。

そして、皇帝が自らの代役として指名したのは、フェイド=ラウサだった。
ポールは、こうしてフェイド=ラウサとの決闘に挑むのだった‥‥。

出典:ポスターより

☆構成と演出の妙〜原作からの再創造

フランク・ハーバートの原作小説『デューン砂の惑星』の後半を基にしつつも、ヴィルヌーヴ監督と脚本家ジョン・スパイツの手によって物語は大胆に再構成されています。極めて複雑で、多層的な物語構造をもつ原作の「圧縮」ではなく、「選択」と「集中」による「映画としての再創造」と言っていいでしょう。

特筆すべきは、宗教と権力の関係性をあえて強調し、ポールが「望まない救世主」として変貌していく過程を丹念に描いている点です。
また、フレメンという文化の掘り下げや、ジェシカの「母」としての顔と「策士」としての顔の二面性が浮き彫りになるなど、原作に比べて女性キャラクターの主体性が際立っています。

テンポは決して速くはありませんが、視覚と音響の密度によって一つひとつの場面が濃密に展開し、観客の集中を絶やさせない構成になっています。

前半は極めて静かです。
セリフは最小限、音楽は抑えられ、ただ砂と風と瞳の動きが観客にすべてを語ります。
しかし中盤から後半にかけて、一転して戦闘シーンや砂虫ライドが圧倒的なスケールで展開します。ここでのペースの切り替えが絶妙で、まるで「抑制された時間」に育まれた「爆発する時間」の誕生を見せられているかのよう‥‥。

計算し尽くされたヴィルヌーヴ演出の冴えを感じます。

戦闘シーンにおいても、ヴィルヌーヴ監督は決して感情を煽るような撮り方をせず、固定カメラや広角レンズを用いて戦場を俯瞰します。そこにはヒロイズムではなく、むしろ運命と死の静謐な重さが漂っています。

一方で、砂漠の惑星アラキスはひとつの登場人物である、と言っていいでしょう。朝日、砂嵐、満天の星空――いずれのショットも、自然を超えた神話的スケールで描かれます。しかし、それはただの絵葉書的美しさではありません。光と影が交錯することで、登場人物の心象を映す鏡ともなっているのです。

砂虫登場シーンでは、影と震動、粒子によって「存在の巨大さ」を表現します。観客は見るのではなく「感じる」ことになる、と言っていいでしょう。

アラキスの光と影と対比をなすのは、ハルコンネンの黒い造形美。
人工照明と幾何学的建築によって描かれるハルコンネン家の世界は、まさに「死と機械の王国」です。ここでは人間が「モノ」として扱われる演出が支配し、フェイド=ラウサの登場シーンなどは、ほぼホラーに近い空気を漂わせます。

この光と影、色彩と無彩色の対比によって、映画全体の視覚的な構成に見事なリズムが生まれています。

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☆「映画体験」としての優秀さ

本作は、圧倒的没入体験とストーリーテリングを高いレベルで融和させた作品です。政治、宗教、家族、預言という多層的テーマと、アクション大作の快感を融合し、SF映画における金字塔と言っていい完成度を誇ります。多くの批評家や映画監督がこぞって称賛し、名だたる映画賞を総なめにした事実は、その「映画体験」としての優秀さを物語っていると言えるでしょう。

VFXと世界観構築の質については、『アバター』のように世界そのものに没入させ、『インターステラー』のように科学的深みをもちつつも、戦闘シーンでは『マッドマックス』に匹敵する躍動感を実現させました。

クリストファー・ノーラン監督は、冒頭紹介したコメントのほかに、『スター・ウォーズ』シリーズと比較して次のようにも述べています。
「このPART2は『帝国の逆襲』だと思う。PART1で描かれたすべてが信じられないほどエキサイティングに展開している」

こうした「映画体験」としての優秀さを語る上で忘れてならないのは、若い主役2人の表現力だと思います。

ティモシー・シャラメ演じるポールは、本作で完全に「覚醒」しながらも、それが決して単純なヒーロー譚ではないことを示します。彼は「救世主」としてフレメンに崇拝されつつも、その地位に上ることを心の底から拒否している――その矛盾が、演技の根底にあります。

ポールは、皇帝シャダム四世への復讐と政治的な力を得るためには、預言の成就に自らを重ねねばならない。一方で、それは「宗教的狂信」を煽り、銀河を戦火に包む「聖戦」へとつながっていく。この二律背反を、シャラメは表情や目線、言葉の間に漂う「沈黙」で表現しています。

特に注目すべきは、砂虫に乗り、周囲が歓声を上げる中、ポールが無表情に近い顔で静かに佇むシーン。観客が熱狂するような「英雄の瞬間」でさえ、彼自身は戸惑いと苦悩を抱えている。その抑制された演技が、ポールが「意図せず神格化されていく恐怖」を見事に伝えています。

そして、チャニを演じるゼンデイヤ。
前作では「夢の中の象徴的存在」だったチャニが、本作では明確な主役のひとりとして描かれます。ゼンデイヤは単なるヒロインではなく、「ポールを最も近くで見つめ続ける存在」として、彼の変化を鏡のように映し出します。

特に印象的なのは、ポールが「救世主」になっていく過程を、彼女が疑問の目で見つめる構図です。フレメンの中で唯一、「預言」を無条件に信じることなく、ポールの人間性をよりどころに信頼を寄せる存在。それが、ポールが「救世主の仮面」をかぶるにつれて、少しずつ心の距離が生まれていく――ゼンデイヤはその過程にある微妙な感情の揺れを、過不足なく演じています。

たとえば、ポールがついにフレメンを率いて戦いに立ち上がる場面。周囲が熱狂する中で、チャニだけは複雑な表情を浮かべています。その視線は「これは本当に望んだ未来なのか?」という問いをはらみ、観客に疑問を投げかけます。

また、ポールとの関係性は単なる恋愛ではなく、「選ばれし者とそれを愛した者」の悲劇性を帯びています。皇帝の娘との政略結婚という、ポールの決断を受けた最後の別れ際、ゼンデイヤは怒り、悲しみ、喪失感、失望といった感情を一瞬のうちに表現しており、その姿は観る者の胸を打ちます。

このように、ポールとチャニの関係性は本作の骨格であり魂である、と言っていいでしょう。
英雄として祭り上げられることを拒む男と、彼を愛しながらも変わっていく姿に恐れを抱く女。その関係性が、物語の主題――「権力は人を変える」そして「神は作られる存在なのか」――に深く結びついていきます。

圧倒的な映像美の中で、この主役2人が表現する関係性の変化こそ、本作の真の見どころなのです。

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☆上映時間の制約か、未消化な部分も

さて、そんな優れた「映画体験」を提供してくれる本作ですが、残念なことに未消化というか、充分に描かれずに物足りなさを感じる部分も、ないわけではありません。
おそらくは、3時間近くに及ぶ長尺作品のため、端折らざるをえなかった点も多いのでしょうが‥‥。

一例を挙げれば、ポールがフレメンたちを率いて挙兵する場面。
未来を見通す力を得たポールは、こう言います。
見通せる未来のほとんどは、我らが敗北する未来だ。だが、自分には見えるのだ。わずかな勝利へとつながる、その狭くて困難な道が‥‥。

とても印象的なシーンです。
そして、未来を見通すという、前作からある程度予告されていた、ポールの並外れた能力に関するエピソードです。
しかし実際には、その道がどれほど狭く、どれほど困難であったかが、描かれることはなかったのです。

砂虫に乗っての行軍は凄ぶる順調で、敵は(ハルコンネンと皇帝の軍のことですが)不意を突かれて、なし崩し的な大敗北を喫したように見えます。

なぜ、この作戦が成功したのか?
なぜ、フレメンは勝利したのか?
ポールの力の源泉を示す部分であっただけに、端折られたのは残念でなりません。

最後に用意されたフェイド=ラウサとの決闘も同様です。
なぜ、ポールは逆転できたのか?
彼の力の源泉は何か?

それがきちんと描かれていれば、鑑賞後の満足感は5割り増しだったのではないでしょうか。
本当に惜しいところだと思いますが‥‥、ただ、見方を変えれば、その部分は続編で明らかにされる、と考えることも‥‥。

ポールの力の源泉。
それを描くのが続編のテーマなのだ。
そう考えると、またグッと3作目が楽しみになってきます。

それぞれの惑星を治める諸侯たちの「大領家連合」はポールの皇位継承を認めていません。ポールと彼らの宇宙の覇権を賭けた戦いが、幕を開けようとしています。

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