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『パーフェクト・ケア』レビュー☆子羊よりライオンたるべきか?
金持ちほど欲深い、とは昔からよく言われますが、この作品を観ると本当にそうだなあと思います。強欲なヒロインを演じたロザムンド・パイクは、第78回ゴールデングローブ賞で主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞しました。
- 『パーフェクト・ケア』
- 脚本・監督
J・ブレイクソン - 主な出演
ロザムンド・パイク/ピーター・ディンクレイジ/エイザ・ゴンザレス/ダイアン・ウィースト - 2020年/アメリカ/118分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
人間は2種類に分かれる。奪う者と奪われる者。つまり、子羊とライオン。
そう信じるマーラ(ロザムンド・パイク)は、裕福な高齢者の資産を狙う悪徳法廷後見人である。同性の若い恋人フラン(エイザ・ゴンザレス)をアシスタントとして雇い、高齢者を扱う医師やケアホームと結託して成功を収めている。
マーラは資産家の高齢者に狙いを定め、法廷後見人を立ててケアホームに保護することが必要な病状だと裁判所に信じ込ませる。首尾よく裁判所の決定を得て合法的にケアホームに隔離したあとは、携帯を取り上げ、外へは一歩も出さず、身内の面会も受け付けない。
そしてケアホームの費用を捻出するためという名目で、意思表示できない(ということになっている)本人に代わって、後見人の権限で本人の家財や不動産を処分する。こうして現金化された本人の全財産は、銀行口座とともにマーラの管理下に置かれるのだ。
つまり、世の中の年寄りは皆哀れな子羊で、彼らの血も肉もすべて奪い尽くす獰猛な雌ライオン、それがすなわちマーラなのである。
マーラとフランの新しいターゲットは、いつもの医師から紹介されたジェニファー・ピーターソン(ダイアン・ウィースト)という身寄りのない資産家。いつもの手口でケアホームに隔離したまではよかったが、身寄りのないはずの彼女の背後には、なぜかロシアン・マフィアの大物(ピーター・ディンクレイジ)の影がちらつく。
そんなとき、驚くような情報を持ってフランが飛び込んでくる。ジェニファー・ピーターソンは4歳で死んでいるというのだ。
では、あの老婆は一体誰なのか?
そして、マーラに老婆を紹介したあの医師の死体が発見される。
厄介なものに手を出してしまった。ようやく、そのことを理解するマーラとフランだった‥‥。
☆この世はズル賢いヤツの勝ち?
まず最初に、本作は典型的なコメディー映画ではありません。笑えるシーンがぎっしり詰まった作品を想像すると、完全に裏切られます。
犯罪ものですし、マフィアも登場し、サスペンス要素もふんだんにあります。暴力シーンもありますし、出てくる人物は皆、自分の欲をマジで追求していきます。
しかし、起こっていること全体を俯瞰で見ると、ひとつの喜劇的な物語であることは間違いありません。ブラックなクライム・コメディーとでもいうのでしょうか。
「100%共感不能」というキャッチフレーズ(日本語公式サイトより)は、そのあたりの微妙な本作のトーンをうまく表現していて、ニヤッとしてしまいます。
そんなわけで、新感覚といいますか、複雑で多面的な性格をもった本作ですが、ゴールデングローブ賞とキャッチフレーズに敬意を表して、「コメディー」のカテゴリーに入れています。
いずれにしても、ロザムンド・パイクの怪演を得て、本作は息もつかせぬ極上のエンタテインメントに仕上がりました。
さて、確かにまったく共感できないヒロインの生き様ですが、その元になっているのが世の中に対する彼女の見方です。
実は、この作品が成功した最も大きな要因の2つ目(ひとつ目はいうまでもなく、ロザムンド・パイクを主演に起用したことですね)は、このヒロインの世界観にあると、モリゾッチは思っています。
それは映画の冒頭、ヒロインのモノローグで語られていますが、だいたい次の通りです。
この世の成功は、真面目な努力の積み重ねやフェアプレイだけでは手に入らない。知恵を駆使して狡猾に立ち回った者だけが、富と地位を手にする。
だから必然的に、人は奪う者と奪われる者に別れる。子羊となるか、それともライオンとなるか、だ。
世の中を斜めに見る、という言い方がありますが、彼女の世界観はまさにその典型的なものと言っていいと思います。
そして、どうでしょうか?
よく考えてみてください。
この世界に対する彼女の見方、これを100%間違いだと言い切れる人が、はたしてどれくらいいるでしょうか?
ここで白状します。
モリゾッチの場合、彼女のやってることに関しては「100%共感不能」ですが、その世界観については「50%共感可能」です。
つまり、確信はないけど、日々こんなふうに感じているということです。
この世界の半分くらいで、「知恵を駆使して狡猾に立ち回った者だけが、富と地位を手にする」ということが起きているのでは‥‥?
☆一番上手な泥棒が社長になる
実は最近、日本の国内だけでも、そう思わざるを得ないような事例がたくさんありました(この記事は2022年9月29日に書いています)。
テレビなどで大活躍の大物俳優が水商売の女性に対するセクハラで、テレビのレギュラーやCMの仕事をなくすことになりました。
セクハラといえば、業界のドンと言われた某エネルギー関連企業の会長(業界団体の会長も兼任)も、水商売の女性に対するセクハラで辞任に追い込まれました。週刊誌報道によれば被害女性は肋骨を骨折したとのことですので、その執拗さはハラスメントの域をこえて、暴行と呼んでもおかしくないレベルだった可能性があります。
そういう行為をする人物が首尾よく富と地位を得ていたという、この日本社会の現実。これはまさに、ブラック・コメディーではないでしょうか?
(骨折の有無に関わらず、心に傷を負われた被害女性には大変お気の毒で、こんなふうに言うのは申し訳ない気がするのですが‥‥。しかし、問題にしているのは被害に遭われた方のことではなく、加害者のことですので、どうぞご理解ください)
彼らは、獰猛な雄ライオンとしての本性を、夜のクラブで解き放ったということでしょう。
東京オリンピックをめぐる汚職事件は現在まだ捜査中ですが、報道されている内容が事実とすれば、きれいさっぱり何もありませんでした、真っ白です、とはならないでしょう。
これなども、収賄側が大手企業の元役員、贈賄側には創業者会長や創業者一族の経営者などが名を連ねて、富と地位のある者同士の間で、金と利権が自由にやり取りされていた構図が浮かび上がります。
企業経営のハウツー本などでは、経営者にとって最も大切な資質は、カリスマ性よりもむしろ実直さ、誠実さなどの人柄である、という記載を見かけたことがあります。
いわく、こんな感じです。
ライバルの一時的な成功や世の中の流行に惑わされず、自分たちの企業の強みを理解して、それを愚直なまでに押し進める経営者が、会社を大きくする。
会社を始めるときには、まずボードメンバー(経営陣)に誰を入れるかを決め、そのあとに会社の事業を何にするかを決めるのがいい。なお、ボードメンバー選考の基準は、あくまで人柄重視で。
さて、こういった記載には、どれほどの信憑性があるのでしょうか。
100歩譲って、ハウツー本に書かれているような経営トップや経営陣が実際に存在するとして、それははたして企業全体の何%を占めるものなのでしょう?
多数派でしょうか、それとも、少数派でしょうか?
事件として明るみに出るのは氷山の一角。
これはニュースなどの解説でよく聞かれる言葉です。犯罪や事件のすべてが明るみに出るわけではない。ひとつの事件が明らかになれば、その何倍、何十倍も、同様のことが起きている可能性がある。
もっともな指摘だと思います。
やはり、セクハラや汚職のようなことは、経営層と呼ばれる人たちの間では日常的に発生している。そう考えるのが、自然なのかもしれません(そんなことはない、と思いたい気持ちは山々ですが)。
つまり、成功している企業の多くは(少なく見積もったとしても、半分ほどは)、子羊というよりはライオン派の経営者に率いられている、と(そしてこの文脈の中でライオンといえば、勇敢とか王者の風格というような意味ではなく、獰猛に狡猾に奪い尽くすというイメージです)。
そうした経営者たちは「知恵を駆使して狡猾に立ち回って、富と地位」を手に入れた人たち。「奪う者」の側に立ち続けた人たちなのです。
モリゾッチがまだ若いころ師事した会社の先輩が、こんなふうに言っていたのを思い出します。
会社の金を一番上手に泥棒した奴が最終的に社長にまで上り詰め、会社の金をもっと自由に使うようになるんだ。中途半端な泥棒は、捕まるよ。
ユーモアのセンスが抜群で、でも真面目な一面もあり、「泥棒」とは縁遠い、信頼に足る先輩でした(彼はもちろん、社長にはなっていません)。
ここまで取り上げてきた事例は、俳優であれ経営者であれ、セクハラであれ汚職であれ、自分の欲のためにズルをしているという点では、すべて同じです。「真面目な努力の積み重ねやフェアプレイだけ」で勝負していない。そういう人たちが「富と地位」を手に入れ、手に入れた「富と地位」を利用して、ズルの上にまたズルを重ねる‥‥。
世の中のことはいいから映画のことを書いてくれ、という声が聞こえてきそうです。
ですが、もう少しお付き合いください。
なぜなら、世の中のこととかけ離れた映画の話を書こうとは、モリゾッチは思っていないからです。
そもそも映画と世の中は、切っても切れない関係です。
世の中で起きていることに刺激を受けて映画の企画が生まれ、完成した映画に大勢の人が心動かされることで、世の中に影響を与えていく。世の中と映画とは、そういう関係です。
映画の作り手は、いまの世の中の出来事や、人々の考え方・感じ方を反映させて映画を作ります。小説家や劇作家がそうするのと同じです。
そして多くの作り手は、「出来事」や「考え方」「感じ方」をただ反映させるだけでなく、それに対する自分なりの「解釈」や「メッセージ」を添えて作品として提示します(添えられている内容のわかりやすさや、添えられ方の気づきやすさなどは、作品によって、また作り手によって、まちまちですが)。
映画を鑑賞するということは、作り手がそこに込めた想い(つまり反映させたものと、添えて提示しようとしたもの)を感じ取り、自分の心の新しい引き出しとして記憶していくことだと、モリゾッチは思っています。
映画が、人生をちょっとだけ豊かにしてくれる瞬間です。
「キネマの森」(当ブログ)では、そうした考え方から、映画のテーマに関連して、現実の出来事に対する捉え方についても積極的に触れてきました。ロシアによるウクライナ侵攻などは、どうしても話題にする回数が多くなってしまった出来事でした。興味のある方は、当ブログの「おすすめ記事」もしくは、2022年2月から5月あたりの記事をご覧ください(「おすすめ記事」は当サイトHPのタイトル下に3つ並んだうちの、真ん中のボタンからご覧いただけます)。
ですから、本作が採用したヒロインの世界観は、いまの世の中の「考え方」や「感じ方」を反映させたものであることは明らかで‥‥、ということは、ここまで取り上げてきた日本の事例と似たようなことが、アメリカにもたくさんあるのでしょうが‥‥、あと一例だけ、日本の事例を紹介させてください。
宗教団体が信徒に過大な献金を強要するという事例。
本当にそういうやり方で巨万の富を得ているとすれば、そういう宗教団体を創設した人は(起業した人、と言いたくなってしまいますが)、教祖様と呼ばれたりするのかもしれませんが、おそらく本作のヒロインと同じ世界観の持ち主ではないかと。
自分たちが「ライオン」でいられるために、知恵の限りを尽くすという点でも、ヒロインのマーラと通じる点がありますね(誰ですか、ライオン+マーラでマーライオン、なんて言ってる人は?)。
☆金持ちほど欲深い
さて、ヒロインのマーラがひどい悪人であることは、もう充分ご理解いただけたと思います。
高齢者福祉に寄与する立派な後見人ビジネスという皮をかぶっていますが、やってることは犯罪です。獲物となるお年寄りから見れば、とんでもない存在。お年寄りを奪われた家族にとっても、憎むべき存在で、マフィアに睨まれたのならいい気味かも、なんて感じで序盤を観ていく観客は多いと思います。
しかし、やはりそこは映画です。
筋が進むにつれて、彼女はただ非道なだけの女ではなく、超人的にタフな精神力の持ち主であったり、意外にチャーミングな一面があったり‥‥ということが見えてきて、ときどき彼女を応援したくなってしまう瞬間も訪れます(そういうふうに作られていないと、多分この映画は失敗だったと思いますが)。
ジェニファーと名乗っていたあの老婆は、実はロシアン・マフィアの実の母親だったということが判明しますが、マーラは脅されても一歩も引く気配を見せません。
マフィアの使いの弁護士から金銭的な解決を提案されますが、逆に途方もない金額を要求して呆れられる始末。
拉致され、怖い目にあったあとも、マフィアのボスを相手に金額釣り上げ交渉を続けます。
マーラ、もうその辺でいいよ。いまでも充分いい暮らししてるんだし、くれるっていう額をもらって手を引けばいいじゃないか。別に億万長者にならなくても、人生は楽しくやっていけるさ。
そんなふうに、彼女を応援し更生させようとしている(お金を受け取ったら、更生したことにならないかもしれませんが)自分に気づきます。
が、しかし、マーラは諦めません。それどころか、交渉が決裂して殺されることになり、九死に一生を得たあとも、まだ莫大な金額をマフィアから引き出そうと挑戦します。
そうしているうちに、マフィアのボスと彼女の関係は、思いもよらない方向へ展開していくことになるのですが‥‥。
この、けして大金を諦めないという点が、彼女の特質です。
つまり、そうです。
金持ちほど欲深い、ということなのです。
それにしても、人間と欲との関係は不思議です。
ある種の人にとっては、欲は生と同義。
呼吸を止めることができないのと同じように、欲を追い求めることは止められません。
ある種の人にとって、欲はコントロール不能です。
それどころか、欲がその人をコントロールし始めます。
「欲」はまるで悪霊のように人に取り憑き、人を突き動かし‥‥。
たとえその人の命が終わっても、「欲」はまた別の誰かに取り憑いて‥‥。
さて、東京オリンピックをめぐる汚職事件を思い出してください。
収賄側の容疑者の自宅はニュースでよく目にしますが、誰が見てもわかる豪邸です。実家が資産家だったとも伝わります。大企業の役員を務め高給を手にし続けた人生で、70歳を過ぎてなお、犯罪に手を染めてまで金が欲しかったのかと、何と浅ましいことかと、言いたくなってしまいます。
しかし、これが「金持ちほど欲深い」ということなのです。
現在この地球上で一番大きな富と権力を手にしているのは、誰でしょうか?
おそらく隣り合った2つの大国の独裁者2人であろうと、モリゾッチは思います。
誰の頭にも同じ2人が浮かんでいると思いますが、さて、この2人、もういい、もう充分だ、と現状に満足の笑みを浮かべているでしょうか?
いやもっと、もっとたくさん、と悪霊に取り憑かれたように呟いているでしょうか?
金持ちほど欲深い‥‥。
子羊とライオン。
あなたはどちらの道を選びますか?
モリゾッチの答えはこうです。
脚の丈夫な子羊。
誰かから奪ってまで何かを得ようとは思いませんが、ライオンに奪われるのは真っ平です。なので、追いかけられても逃げ切れる脚力をもった子羊になりたい。
さて、ブレイクソン監督、いったいどんな「メッセージ」を本作に潜ませたのでしょうか?
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