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『ラ・ラ・ランド』レビュー☆夢を叶えることが幸せなのか?
夢追い人の街、LA が舞台のミュージカルを取り上げます。
第89回アカデミー賞で『イヴの総て』、『タイタニック』に並ぶ史上最多14ノミネートを受けました。2016年最大のヒットと言える作品です。
- 『ラ・ラ・ランド』
- 脚本・監督
デイミアン・チャゼル - 主な出演
ライアン・ゴズリング/エマ・ストーン/ジョン・レジェンド - 2016年/アメリカ/128分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
夢を追いかける2人
ミアは女優になる夢を追って、ハリウッドの映画スタジオのカフェで働いている。オーディションに明け暮れる毎日だが、なかなか光明は見えない。
セバスチャン(セブ)はピアニスト。といっても好きな音楽では喰えず、レストランバーでBGMを演奏しているのだが、店の指定とは違うフリージャズを弾いてしまいクビになったりしている。ジャズこそが人生をかけるに値すると信じる彼は、いつか自分の店を持って好きなジャズを思い切り演奏したいという夢を持つ。
そんな2人が偶然に出逢い、デートを重ね、一緒に暮らし始める。
ここは、夢追い人が集まる街、ロサンゼルス‥‥。
互いに夢と現実との差に愕然としながらも、励まし合い、幸せに包まれるセブとミア。
セブの悩みはズバリ資金不足。長く続く仕事が見つからないのだ。仕事は見つかっても、好きでもない曲を弾くことをよしとしない彼の性格が問題だった。かつてのバンド仲間で今は商業的成功を収めたキースから誘いを受けても、音楽性の違いからいい返事を返さずにいた。
ミアの悩みは、このままオーディションを受け続けるだけでは何のチャンスも掴めないのではないかということ。どのオーディションにも手応えを感じられず、その他大勢の女優の卵たちの中に埋没していく自分が不甲斐なくて仕方なかった。
やがてすれ違いが‥
ミアの才能を信じて疑わなかったセブは、自分で脚本を書いてみたらとミアにアドバイスする。学生時代には脚本を書くことに熱中したという話を彼女から聞いたからだった。脚本兼主演女優だ。誰でもできることじゃないぞ。
ミアはセブに、キースのバンドに参加することを勧めた。店を開くための資金を貯めるには、それが一番いい方法だと思ったからだ。
ミアはアドバイスに従って、自分で脚本を書き始めた。小さな劇場を1日だけ借りて、自作自演の一人芝居を公演することが当面の目標になった。
セブはキースのバンドのキーボードとして、ツアーに参加するようになった。収入は大幅にアップしたが、全国を回るためミアと暮らすアパートに帰れない日が増えた。
そして、月日は流れた。
ある日ミアがアパートに帰ると、セブが料理を作って待っていた。ツアーの合間を縫ってとんぼ返りし、彼女をびっくりさせようとしたのだ。
久々の再会に盛り上がる2人。
だが話をするうちに、セブがこの生活をまだまだ続けようと思っていることをミアは知る。明らかに自分の趣味に合わない音楽にもかかわらず、このまま続けていこうとしているセブ。そればかりか、彼はツアーに同行しないかとミアを誘ってくる。その方が一緒に過ごす時間が長くなるから、と。
ミアは理解できなかった。
ミアの公演の本番がもうすぐだということは、彼も知っているはずなのに。
公演の準備を理由に同行を断ったミア。思わず言ってしまった。店を開く夢はどうしたの? あのバンドのあの音楽であなたは満足なの?
なぜそんなことを今頃言うんだ? あのバンドを勧めたのは君じゃないか?
セブは反論した。つべこべ言うな。これが今の俺の夢だ。
激しい口論。
いたたまれず、ミアは家を飛び出した。
そしてミアの一人芝居の公演当日。
セブはバンドの写真撮影があって公演に間に合わない。撮影を終えて急いで駆けつけたセブが見たのは、肩を落として劇場を去ろうとするミアの姿だった。客席の反応の悪さに、ミアは深く傷ついていた。
励まそうとするセブにミアは言った。
女優はもう諦める。あなたは夢を捨てて大人になった。私も他の仕事を探す。
茫然とするセブをひとり残して、ミアはそのまま故郷へ帰ってしまうのだった‥‥。
☆撮影クルーと音楽の力
この映画のタイトルを聞いていつも思い出すのは、第89回アカデミー作品賞のあの幻の受賞シーンです。
作品賞のプレゼンターとして登壇したウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイのご両人。言わずと知れた『俺たちに明日はない』のボニーとクライドですが、受賞作の名前を書いた封筒を開けると一瞬息を飲み、顔を見合わせて、戸惑うクライドにじれた様子のボニーが「『ラ・ラ・ランド』」と発表したのです。
お祭り騒ぎのように客席にいたプロデューサー、監督、俳優陣がステージに上がります。なにしろ『ラ・ラ・ランド』はその夜すでに、主演女優賞、監督賞など6部門を制覇していたのです。
プロデューサー陣が順に受賞スピーチをしていきます。2人目が終わり3人目がスピーチを始めようとした瞬間、ステージに異変が起こります。インカムを付けたスタッフが入り乱れ、一瞬騒然とします。やがてプロデューサーのひとりがマイクに向かって告げます。
間違いだ。受賞したのは自分たちじゃない。
そうです。受賞したのは『ムーンライト』でした。『ムーンライト』はLGBTを描いた映画として初めて作品賞を受賞することになったのですが、その受賞を告げたのは、結果的に『ラ・ラ・ランド』のプロデューサーでした。
なぜこんなことになったかというと、票の集計を行う大手会計事務所の担当者のミスで、ボニーとクライドに渡された封筒は主演女優賞発表用の封筒(の予備)だったのです。エマ・ストーンの名前が書いてあったので、ウォーレン・ベイティは戸惑ってしまったのでした。
この件で印象深かったのは、『ラ・ラ・ランド』のプロデューサーたちの非常に友好的というか、紳士的な対応でした。『ムーンライト』に渡せて光栄だ、という言葉を残して、真の主役のために急いでステージを明け渡したのです。
作品賞を取り逃したにもかかわらず、作品の株をいちだんと上げることになった一幕でした。
さて、『ラ・ラ・ランド』が制覇した6部門の中には撮影賞と作曲賞・歌曲賞も入っていますが、そのことがまさにこの作品の魅力を雄弁に物語っていると思います。
作曲のジャスティン・ハーウィッツは、昔懐かしいミュージカル映画全盛期を思い出させる要素を、ふんだんに楽曲に盛り込みました。ノスタルジックなコンセプトのノスタルジックな物語に、その楽曲がよく乗ります。
1カット長回しを多用する撮影手法もまた、物語や楽曲の性質・気分にうまくマッチし、作品のコンセプトを提示し、主張することに見事に成功しています。
まず映画冒頭の高速道路での1カット長回しが圧巻です。
オープニング・ナンバー「Another Day of Sun」が流れ、大渋滞中の車から次々と降り立ったダンサーたちが所狭しと踊り狂います。ボンネットを踏み鳴らしたり、車の屋根で踊り、屋根から屋根へ、バク転、側転、なんでもあり。トラックの荷台を開けるとバンドが演奏中でした。
やがてカメラは高く上がっていき、見渡す限り大渋滞の高速道路の下には交差するように別の高速道路が見えていて、そちらは普通に車が流れています。まさに、朝の通勤風景。
曲の終わりに合わせて、踊っていたダンサーたちが車に乗り込み、ドアを閉めます。
ここでタイトル・クレジットが入ります。
カットはまだまだ続いています。
ゆっくりとカメラが下がっていくと、渋滞の中の1台の車に近づいていきます。運転しているのはセブです。それからカメラはスーッと滑るように前の車の窓へ。1台前の車には、ミアが乗っています。
ここまで、つまりオープニング・ナンバーから主人公たちの紹介まで、1カットなのです。
本物の高速道路を丸2日借り切り、100名のダンサーが投入されたと伝わります。
しかし、いったい何度リハーサルを行い、本番も何テイク撮ったのでしょう?
よく見ると、冒頭まだダンサーが降りてくる前に映る車のボンネットや屋根が、ボコボコになっていることに気づきます(これ、日本だとアウトだと思いますが、アメリカだと最初からボコボコでもあまり違和感ないから不思議です)。
☆役者もすごく頑張った
セブとミアが偶然に再会したあと、停めた車を探して丘の上で歌い踊るシーンも、すべて1カットです。
流れる曲は「A Lovely Night」。丘から見えるロサンゼルスの街と空がほんのりオレンジに染まって、2人の再会を祝福するように美しい光を放ちます。
暮れゆく夕陽が空と街を染めて世界を美しい光で包み込む、そのほんのわずかな時間のことを、スカイラインとかマジックアワーとか言いますが、これはまさにスカイライン狙いのシーンで、1日に何回も撮れるシーンではありません。しかも5〜6分はあるシーンで、最初から最後まで2人の爪先から頭まで全身が入った1カットです。ごまかしようがありません。
一体何日かかったのか、想像がつきません。
芝居のプロではあってもダンスのプロではない2人の主役の頑張りは、並大抵のことではなかったと思います。オープニングの高速道路のシーンでのダンサーたちの頑張りにも、同じことが言えます。そしてもちろん、1カットで撮影しているスタッフたちの技量、熱量、努力と工夫の量‥‥、凄まじいものがあると思います。
そうしたすべてに対して、心の中で惜しみない拍手を送っている自分に気づきます。
これが、この映画の何にも勝る魅力だと思います。
☆夢を追う2人はとても幸せそうだが
さて、セブとミア、それぞれの夢がどうなるのかは映画を見て確かめていただくとして、モリゾッチが見終わって感じたのは、夢を叶えることが幸せなのだろうか、ということでした。
夢を叶えられなかった人生の方が幸せだ、と言っているのではありません。
人は確かに夢が叶えば幸せになれると信じて、夢を追いかけます。夢と現実とのギャップに苦しみ、ジリジリとした焦燥感に押しつぶされそうになります。
まだ自分が人生で何を成すのか、自分は何者になるのか、なれるのか、それがわからずもがき続ける日々‥‥。
中年以上の方の多くは、そうしたほろ苦い記憶が心のどこかに眠っていることに気づくのではないでしょうか?
この映画でも、夢を追う2人の焦り、苦しみは、よく描かれています。
またそれと同時に、その2人がとても幸せそうに描かれています。
夢を叶えてしまったら、もう追いかける夢はないのか‥‥。
そんなことも考えてしまいます。
夢を叶えるよりも、追いかける方が幸せなのだとすると、大半の人にとって一番幸せな時期は人生の前半だということになります。
それだけではありません。その一番幸せな時期に、自分はいま幸せだと気づくことは、恐らくないのです。過ぎ去ってから、あの頃大変だったけど実は幸せだった、と気づく‥‥。
『ラ・ラ・ランド』は、色んな意味で大変ノスタルジックな映画だと思います。
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