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『ラストナイト・イン・ソーホー』レビュー☆華やかな世界には醜い悪意が潜んでいる

出典:本作DVDパッケージより
ファンタジーの森

ソーホーといえば、ニューヨークのダウンタウンを思い浮かべる方も多いと思いますが、こちらは本家本元、イギリスはロンドンの歓楽街ソーホーを舞台にした映画です。


  • 『ラストナイト・イン・ソーホー』
  • 脚本
    エドガー・ライト/クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
  • 監督
    エドガー・ライト
  • 主な出演
    トーマシン・マッケンジー/アニャ・テイラー=ジョイ/マット・スミス/ダイアナ・リグ
  • 2021年/イギリス/115分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

ファッションという華やかな世界に憧れるエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、デザインの勉強をするため田舎の家を出て、ロンドンのデザイン学校に入学する。
しかし期待していた寮生活は思っていたほど快適ではなく、一人暮らしを始めることに。彼女が見つけたアパートは、ソーホー地区の古い3階建て。大家のミス・コリンズ(ダイアナ・リグ)が1階に暮らしていた。その家の一番上の部屋が、彼女の新居となった。

その部屋で眠りにつくたびに、不思議な出来事が起きた。
夢の中で、彼女は1960年代のソーホーの街にいた。歌手を夢見てこの街にやってきたサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)という女性と出会うと、彼女はなぜかサンディと一体化して、サンディの人生を共に生きているような感覚を得る。

サンディは本名をアレクサンドラという。
ショービジネスの本場ソーホーで成功するべくナイトクラブに売り込みをかけるが、歌手たちのまとめ役をしているジャック(マット・スミス)に気に入られ、採用される。
やがてサンディはジャックと恋に落ちる。不思議なことに2人が愛し合うベッドは、なぜかエロイーズの部屋のベッドだった。

エロイーズは髪の色も髪型もサンディのようにして、学校の実習では60年代風のデザインに取り組んだ。ひとり暮らしの家賃を稼ぐため、パブでアルバイトも始めた。
順調な実生活を送るエロイーズだったが、毎晩夢で見るサンディの人生は、それとは反対に少しずつ歯車が狂い始めていた。

ソロ歌手の仕事は与えられず、バックダンサーの役ばかり割り振られていたサンディ。ジャックに呼ばれて行った常連客の席で、歌いたければ客の夜の相手をしろと露骨に言われる。
激しく抵抗するサンディ。

そんなことが繰り返され、サンディのことが心配でたまらなくなるエロイーズ。
だがある日、彼女は夢の中で決定的な光景を見る。

ベッドの上で言い争いをするジャックとサンディ。
やがて激昂したジャックが、サンディを切り刻んでいく。エロイーズの部屋の、あのベッドで‥‥。

目覚めたエロイーズは、サンディがかつてこの部屋に住んでいたのではないかと考える。自分が毎晩夢で見ていたことは、60年代に実際に起こったことではないのか。だとしたら、サンディを殺したジャックはいまどこに?
真相を知るため、動き出した彼女だったが‥‥。

出典:DVDパッケージより

☆2大若手女優の共演と007映画への敬意

2大若手女優の共演が話題を呼んだファンタジック・ホラーです。
監督のエドガー・ライトは1974年イングランドの生まれ。「ロンドンの街と60年代が好き」と語る彼は、自分が生まれる前の、活気に満ちた絶頂期のソーホーの華やかで隠微な空気を、多数の60年代ポップスとともに描き出しました。

主演を務めたトーマシン・マッケンジーは、2000年ニュージーランドの生まれ。
『ジョジョ・ラビット』(2019年)でのユダヤ人少女役が話題となり、その後も『ロストガールズ』(2020年)、『オールド』(2021年)、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021年)と話題作への出演が続く注目の新星です。

その相手役のアニャ・テイラー=ジョイは1996年アメリカ・マイアミの出身。
『EMMA エマ』(2020年)、『X-MEN』シリーズのスピンオフ『ニュー・ミュータント』(2020年)、Netflixオリジナルシリーズ『クイーンズ・ギャンビット』(2020年)など多彩な活躍を見せる若手実力派です。

ヒロインのエロイーズが夢の中で60年代のソーホーを初めて歩き回るシーン。ライト監督は『007/サンダーボール作戦』(1965年)の巨大な看板を歓楽街の中心に掲げました。
彼がかねてから「007映画を監督したい」と公言していることを知る人は、思わずニヤリとしたことでしょう。

1962年の『007は殺しの番号』(原題は『Dr. No』で、1972年の再上映時に邦題も『007/ドクター・ノオ』に変更)に始まる「ジェームズ・ボンド」シリーズは、60年代のソーホーを描く上で欠かせないアイテムであることは間違いありません。
が、しかし、本作を観ると、それだけでは説明できないような、ライト監督の同シリーズへの並々ならぬ愛情を感じます。

例えば、サンディがジャックと初めて言葉を交わした際、「何か飲むか」と訊かれてこう言います。
「ヴェスパー」
これは、ヴェスパー・マティーニとも言われるジンをベースとするカクテルのことです。イアン・フレミングが小説『カジノ・ロワイヤル』(1953年に出版されたジェームズ・ボンドが登場する最初の作品)の中で考案したもので、作中のボンドの恋人ヴェスパー・リンドの名前にちなんで名付けられました。映画『007/カジノ・ロワイヤル』(2006年)にも登場しています。

エロイーズがバイト先のパブを初めて訪ねたとき、パブの女性オーナーから同じように「何か飲む?」と訊かれます。エロイーズは夢の中のサンディのセリフを思い出し、「ヴェスパー」と答えますが、「ここはメイフェア(ロンドンの超高級住宅街)じゃないのよ」と、代わりにジン・トニックを出されるというシーンがあります。
このパブのオーナーを演じているのはベテランのマーガレット・ノーラン。『007/ゴールドフィンガー』(1964年)でボンドガールのひとりを務めました。

ボンドガールといえば、エロイーズが住むアパートの大家ミス・コリンズ役のダイアナ・リグは、『女王陛下の007』(1969年)でボンドの花嫁となるトレーシーという女性を演じたことで有名です。
本作では、ソーホーという歓楽街の奥深さを体現するかのような、翳りのある独特な存在感が印象的です。

ライト監督が出演をオファーしたのは、ボンドガール経験者という彼女たちのキャリアへのリスペクトがあってのことだと思います。結果として、本作がこの2人のベテラン女優の遺作になったわけですが、それもライト監督の007映画への愛情あればこそ、という気もしてくるのです。

(C)2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED

☆鏡を用いた見事な演出

さて、「遺作」の話題のあとに幽霊の話というのも、なんですが‥‥。
出だしはまるでファッション・デザイナーをめざす女性の青春物語のようにスタートする本作ですが、中盤以降は大勢の幽霊が登場し、ホラー要素も盛り沢山です。

その一方で、全体を通して非常にファッショナブルな絵作りがなされていますので、ホラーがあまり得意でないという方にも観やすい作品になっていると思います。

本作の絵作りで特徴的なのは、鏡の使い方です。

魅力的な映像を作り出すためには、撮影手法や演出という話の前に、60年代のソーホーを再現するための装置や道具といった美術さん的な部分も比重は当然大きいのですが、そして本作におけるそれらが見事な出来栄えであったことは、多くの人が認めるところだとは思うのですが‥‥。

やはりこの企画の成否を決めるのは、異なる時代に存在する2人の女性(エロイーズとサンディのことです)が一体化するという難しいシチュエーションを(こういうふうに言葉で書いていても、どういうことかをイメージするのは容易ではありませんよね)、映像でどう表現するかということに尽きると思います。

そのためにライト監督が選んだ手法が、鏡のカットを多用することだったのです。

それはサンディの登場シーン。
場所はロンドンを代表するナイトクラブ「カフェ・ド・パリ」のクローク。華やかな光に吸い寄せられるようにして店に入ったエロイーズが、上着を預けて身繕いのため鏡の前に立つ。すると、鏡の手前の後ろ姿はエロイーズなのに、鏡の中に映っている鏡像はなんとサンディ。アクションはまったくシンクロしています。

そして背後に立つ店員に声をかけられ、鏡から振り向いた実像はサンディのアップ。もう一度鏡に向き直るのに合わせてカメラが鏡へパン(カメラの場所は固定した状態で、カメラの向きを変えて、撮影している画面のフレームを横に移動させる撮り方)すると、今度は鏡像がエロイーズになっています。
鏡の中のエロイーズは「この人誰?」という顔でサンディを凝視していて、実像のサンディが店内へ移動すると、慌てて彼女を追いかけます。

サンディはそのあと、緩やかにカーブする豪華な階段を降りてダンスフロアへ向かうのですが、その階段の横の壁は総鏡張りです。鏡像のエロイーズは階段を降りながら、初めて見る実像のサンディから目が離せません。

(C)2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED

☆異なる時代に生きる2人が一体化

鏡のカットはこのあとも頻繁に登場し、夢の中でサンディと一体化したエロイーズのその時々の心情を、鏡像のお芝居で表現していきます。
サンディのことが心配で心配でたまらなくなった中盤では、鏡像であるエロイーズが突如鏡を叩き割って、実像のサンディを抱きしめるシーンもあります。

これはライト監督の遊びといえば遊びですが、不幸な境遇に落ちていくサンディのことが心配で叫び出したくなるようなエロイーズの気持ちを、よく表したカットだと思います。

2人が一体化していることの表現は、鏡のカット以外にもさまざまな工夫が見られます。その代表とも言えるのが、ナイトクラブでのダンス・シーンでしょう。
ジャックに「ダンスはできるのか?」と訊かれたサンディは、「試してみる?」とダンスに誘います。そして2人による華麗なダンスが繰り広げられるのですが、ジャックの相手をしているサンディが、時々エロイーズと入れ替わるのです。

ここでもライト監督は、遊び心に溢れるカットを編み出しました。
それはジャックのミタメ(外見という意味の「見た目」ではなく、ジャックの眼に見えている映像という意味の撮影用語)として撮影されるカットで‥‥、つまり画面の下からジャックの腕が伸びていて、その手の先にはサンディがカメラを見つめて踊っていて、2人は激しく回転しながらダンスをしているので、カメラ自体も回転していて、つまりナイトクラブの壁や客たちが飛ぶように背景を流れる中で、手の先のサンディが画面左にフレームアウト(画面の外へ去る)すると、すかさず画面右からエロイーズがフレームイン(画面の中へ入る)する‥‥、エロイーズがアウトするとサンディがインする‥‥。

つまり、それを何度も何度も繰り返し、しかもカットを割らず(切り替えず)、ワンカットで見せるという演出です。

これはCGや合成処理によっても可能ですが、おそらくカメラマンと役者が呼吸を合わせて何度も挑戦したのではないかという気がします。
こんな難しいカットにトライしている現場を想像するとなんだか楽しそうでワクワクしてきますが、完成したこのカットは、まさに映画の観客をワクワクさせ、華やかなソーホーを舞台にした夢のような物語へと引き込んでいく上で、極めて効果的なカットになりました。

そればかりでなく、本作の撮影をうまく進めていく上でも極めて効果的なカットとなったことは、想像に難くありません。
主要なキャストとスタッフの心がひとつにならないと成功しないカットですから、盛り上がらないはずはありませんね。

(C)2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED

☆華やかな世界には醜い悪意が潜んでいる

さて、そんな遊び心とセンスにあふれたおしゃれな映像が魅力の本作ですが、ホラー的な要素へと繋がる暗い影の部分も同時に描かれています。
そのことについて、ライト監督は次のように語っています

「過去数十年を美化するのは簡単なことだ。自分が生まれてなかった時代だとしても、“活気あふれる60年代にタイムトラベルできたら最高だ”と考えても許されるかもしれない。だけど、そこには頭から離れない疑問がある。『でも本当に最高かな?』…特に女性の視点で見るとね。60年代を生きた人と話すと、大興奮しながらワイルドな時代の話をしてくれるんだ。でも、その人たちが語らない何かのかすかな気配をいつも感じる。(中略)だから、この映画の主眼は、バラ色の光景の裏に何があるか、いつそれが現れるかを問うことなんだ」

『ラストナイト・イン・ソーホー』オフィシャルサイトより

つまり、華やかな世界には醜い悪意が潜んでいる。
そのことをはっきりと認識するところから、この企画がスタートしていることがわかります。
そして我らがサンディの痛ましい青春は、その「ワイルドな時代」を象徴する「語られない何か」の記憶として、若きエロイーズの夢に蘇ることになったのです。

物語後半に登場する亡霊たちが誰であるのか、そして60年代のソーホーで起きた「事件」はどのように決着するのか。
本作を鑑賞される際には、ぜひ、そのあたりを楽しみにしてご覧いただければ、と思います。
ライト監督ならではの、ホラー要素満載の見せ場も用意されています。

最後に一点。
華やかな世界に潜んでいる醜い悪意について。

お察しのように、これは60年代のソーホーに限った話ではありません。ショービジネスのあるところ、いや、盛り場と言われるところには、ナイトクラブ、芝居小屋、興行師、踊り子、ホステス‥‥、つまり、そのようないわゆる水商売の世界では、大なり小なり似たようなことが昔からあったのだろうと思います。

盛り場の風俗とは近縁関係にある芸能界にも、やはり同様のことはあったと思われます。
ハリウッドの#MeToo 運動はまだ記憶に新しいところですし、日本の芸能界でもベテラン俳優や映画監督による性加害が最近話題になったばかりで‥‥、つまり、かなり昔から(どれくらい昔かはわからないくらい大昔のような気がします)つい最近まで連綿と繰り返されてきたこと、という理解が正しいのでしょう。

いい悪いに関わらず、それは存在してきた‥‥。
いいか悪いかで言えば、それは悪いに決まっています。やめさせた方がいいし、やめさせるべきです。声を上げないよりは上げた方がいいですし、当該業界の支配的な地位にある人は、いや若手も含めた総動員体制で、どのような仕組みを作ればそれを防ぐことができるのか、真剣に検討するべきだと思います。

しかし、そのような最善の策を講じたとしても、果たしてそれを根絶することは可能なのか?
悪意という、人間の性分に根ざしたこの問題は、果たして完全に無くすことができるものなのか?
人間の中から「悪意」自体を無くすことができれば、可能なのかもしれませんが‥‥。

本作で具体的に描かれているのは性的搾取の問題ですが、間口を少し広げて考えてみると、ことはそれだけでは済まないと気づきます。
サンディのことを考えてみてください。彼女がソロ歌手としてソーホーという歓楽街で成功するために、実際にはどんなことが必要でしょうか?

まず男どもによる性的搾取があります(本作の通り)。
それををくぐり抜けたとして(あるいは、それに耐え続けたとして)、そのあとに何が彼女を待っているでしょうか?
ライバルとの激しい足の引っ張り合いです。同年代のライバルだけではありません。自分の地位を脅かされることを恐れる先輩歌手たちが、本気で彼女を潰しにくることもあるでしょう。
繰り広げられる陰謀、策略、密告、騙し合い‥‥。

歌うことが好きとか、歌が上手いということだけでは、とてもソーホーで成功することはできません。ソーホーだけでなくどこの盛り場でも、おそらく芸能界でも、事情は同じだと思います。

芸能界を少し離れて、個人的な経験を振り返ってみても、クリエイティブな業界における新しい才能への嫉妬には凄まじいものがありました。
シンプルないじめはもちろんのこと、ちょっとした企画の盗用に始まって、手柄の独り占め、プロジェクトからの閉め出し(参加させない)、悪い噂を流して仕事をやりにくくする、等々‥‥。そこまでするか、というような、まさに醜い悪意のオンパレードでした。

歌手と同じ数だけスポットライトがあって、すべての歌手に平等にステージに上がる機会が与えられればいいのですが、現実にはそうはいきませんし、仮にそうなってしまったら、誰も歌手になりたいとは思わなくなることでしょう。
結局、限られた人だけがステージに上がりスポットライトを浴びることになるので、誰もがその姿に憧れるのです。そして華やかなそのステージの裏側には激しい競争が存在し、性的搾取や足の引っ張り合い、策略や潰し合いの出番となるのです。

歌手はとてもわかりやすい例ですが、この構造は芸能界や盛り場だけにあるものではありません。どんな裏方でも、どんな職業でも、スポットライトが当たる人とそうでない人が選別される構造がある限り、そして人がスポットライトを求めて競争する構造がある限り、上記のような人間の「悪意」が暴れ回る余地が生まれるのです。
なぜなら、「悪意」は人の性分ですから。

スポットライトを浴びたい、選別されたいと願う人がいれば、必ずそのまわりにはそれを邪魔しようとする(足の引っ張り合い)人やその気持ちを利用しようとする(性的搾取)人が寄ってきます。
なぜなら、それがスポットライトというものだから。

性的搾取や足の引っ張り合いを肯定しているわけではありません(誤解のないようにお願いします)。なくすべきだと思っていますし、それがいつかなくなることをもちろん願っています。

その上で、本作のエロイーズのように、これから華やかな世界をめざそうと考えている若い人には、こんなふうにアドバイスしたいと思います。

あなたがめざそうとしている華やかな世界には、残念ながら醜い悪意が潜んでいる。
だから充分に気をつけて。
決してそれを侮らないように。
なぜなら、生身の人間の「悪意」ほど恐ろしいものはない。
何にも勝るホラーなのだから。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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