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『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』レビュー☆自分より相手のことを思えるか?
原題はフランス語で『Mon inconnue』。直訳すると、私の見知らぬ人。
もしも最愛の人と出逢っていなかったら、という素朴な疑問に着想を得たファンタジーです。愛する妻がある日突然見知らぬ人になってしまったとしたら?
- 『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』
- 脚本
ユーゴ・ジェラン/イゴール・ゴーツマン/ベンジャミン・ペアレント - 監督
ユーゴ・ジェラン - 主な出演
フランソワ・シヴィル/ジョセフィーヌ・ジャピ/バンジャマン・ラヴェルネ - 2019年/フランス・ベルギー/119分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
作家志望のラファエルは同じ高校に通うピアニスト志望のオリヴィアと出逢い、恋に落ちる。2人の交際は順調に発展し、お互いの夢を応援し合いながら、やがて結婚へ。
その後ラファエルが書き上げた小説をオリヴィアが出版社に送ったことがきっかけとなって、ラファエルはめでたく作家デビューを果たし、とんとん拍子に人気作家となっていく。
一方オリヴィアもピアニストとしていくつかの賞を獲り順調にステップアップを重ねるが、大事なコンクールの本番の日、それまで一度も欠かさず応援に駆けつけていたラファエルは打合せが長引いて来られず、彼女は優勝を逃してしまう。
月日は流れ、出逢いから10年。
ラファエルの小説はシリーズ化され、今や人気絶頂。次回作や映画化の打合せ、テレビ出演などで超多忙な毎日を送っている。ピアノ教師となったオリヴィアはといえば、忙しいラファエルが自分を顧みないことに寂しさを感じながら、豪華なマンションで深夜まで帰らぬ夫を待ち続ける日々だ。
そんなある日、2人は決定的な喧嘩をしてしまう。
ラファエルは怒りに任せて深夜に家を飛び出し、バーで明け方まで飲んだくれる。泥酔して部屋に帰り着いた彼は、やっとのことでベッドにたどり着き、オリヴィアの横で眠りにつく。背を向けたオリヴィアの頬を、涙が流れ落ちる。
翌日、ラファエルが目を覚ますとオリヴィアの姿はなく、世界が一変していることに気づく。彼は人気作家ではなく、しがない中学の国語教師。一方オリヴィアは、誰もが知る国民的人気のピアニストになっていた。
どうやらここは、高校生の時に2人が出逢わなかったもうひとつの世界。
つまりこの世界では、2人はただの「見知らぬ人」同士なのだった‥‥。
☆主演2人と音楽が素晴らしい
音楽の印象がとても強く残る作品です。
ラファエルが高校の音楽教室でオリヴィアと出逢う冒頭のシーン。オリヴィアがピアノで弾いているのは、シューベルトの「セレナーデ」。日本人にも馴染みのある、美しい調べです。
このあと、オープニング・タイトルに載せて、付き合い始めた2人の10年間を一気にモンタージュで見せるのですが、これがこの作品の最初の見どころです。セリフを一切使わず、短いカットを積み重ねて、観る者を引き込んでいきます。
ラファエルを演じるフランソワ・シヴィル。
長髪高校生時代のダサさが好感度大ですが、成功して垢抜けるに従って徐々にオラオラ感を漂わせて、2人の破綻をうまく暗示しています。
オリヴィア役のジョセフィーヌ・ジャピは初めて見る女優さんでしたが、初めてという気がしなかったのは、レベッカ・ファーガソン(『ミッション: インポッシブル』シリーズや『グレイテスト・ショーマン』などでお馴染みのスウェーデン生まれの女優さんですね)に似ているからだと、あとで気づきました(キアラ・マストロヤンニもちょっと入ってますかね)。溌剌とした雰囲気の中に気品も感じさせ、本作のオリヴィアはまさにハマり役という気がします。
中盤の見どころは、もうひとつの世界でも知り合いになった2人が、オリヴィアの実家を訪ねる一連のシーンです。湿地帯を駆ける白い馬とフラミンゴで有名な南仏・カマルグの美しい自然に目を奪われます。
この実家のピアノで2人が「セレナーデ」を連弾する(といっても、ラファエルは指1本で教えられた通り弾くだけですが)シーンで、切なさは一気にピークに達します。
湿原の中の道を自転車で走りながらオリヴィアが歌うのは、フランソワーズ・アルディの「恋の季節」。これはなんと1962年のヒット曲なのですが、月明かりに照らされたカマルグの情景に不思議にマッチします。
恋の季節は長いようで短く、人はそれを思い出す‥‥という内容が、ラファエルの心に突き刺さっていくように感じます。
☆マルチバースと「多世界解釈」
そして終盤の見どころで流れるのは、オリヴィアがコンサートで弾くショパンの「幻想即興曲」ですが、その前に「もうひとつの世界」というものについて。
「パラレルワールド」とか「並行宇宙」などと呼ばれ、SF作品でよく見かける概念ではありますが、本作では物語の柱となる要素にもかかわらず、これについての説明はほとんどありません。
唯一あるのは、以下のような場面です。
ラファエルの高校時代からの親友フェリックス(彼は本作のお笑い担当です)が、急に別人になってしまったラファエルを心配して、ちょっと調べてきた内容を話します。アインシュタイン、ワームホール、並行宇宙などという単語が並び、別の世界へ来てしまったに違いない、という話になります。
それを聞いたラファエルは合点がいったのか、ならば元の世界に戻る方法があるはずだ、と行動を開始します。
出てきた単語から想像できるのは、宇宙論における「マルチバース」、つまり、宇宙が急激に膨張していく過程では元になる親宇宙から子宇宙、孫宇宙が泡のように無数に生まれ、そのすべての宇宙が別々に進化していく、という並行宇宙論です。
ところで、「並行宇宙」と聞くとモリゾッチはもうひとつ別の理論を思い出します。
かつて量子力学に関する本を読んでいたとき、「多世界解釈」という、理論というか仮説について記述した章があり、確かこんなことが書かれていたと思います。
量子力学といえば、人間の目には見えないミクロの世界を扱う物理学ですが、例えば、原子核の周りを回っている電子の位置は、計算で求めることができないのだそうです。
電子は特定の軌道上を回っているのではなく、原子核の周りに確率的に存在しているに過ぎないから、というのですが、これは別の言い方をすれば、電子は原子核の周りをあたかも霧や雲のようにモヤッと取り囲んでいる(これを「電子雲」と表現します)、となるのです。たとえ水素のように電子が1個の原子であっても、この「霧や雲のようにモヤッと」という存在の仕方は変わらないのです。
ヒュー・エヴェレットというアメリカの物理学者はこれを、無数の平行した世界の重ね合わせを見ている、と考えました。1957年に発表された彼の論文は、後に「多世界解釈」として知られるようになったのです。
「多世界解釈」についての章には、こんなことも書かれていました。
私たちが何かの選択をするたびに、世界(=宇宙)は枝分かれをする。散歩の途中にY字路に出くわしたと想像してみてほしい。右へ進んだとすると、右を選んだ世界(=宇宙)に自分は存在しているが、それと平行して左を選んだ世界(=宇宙)もどこかに存在している。
このように人が何かを選択するたびに世界(=宇宙)は分裂を繰り返し、無数に平行宇宙が増え続ける‥‥。
☆自分のエゴと相手の幸せ
さて、そろそろラファエルとオリビアの物語に話を戻しましょう。
高校時代に2人が出逢った世界では、ラファエルはオリヴィアの応援もあり(何せ出版社に原稿を送ったのが彼女ですから)人気作家という夢が叶います。
一方2人が出逢わなかった世界では、オリヴィアは夢を叶えてプロのピアニストになり、自分は一介の国語教師。おまけに、そんな世界が嫌で元の世界に戻りたい自分は、元の世界に戻るために無理矢理オリヴィアに接近し、彼女の心を乱している。
自分のエゴと彼女の幸せ‥‥。
本作のクライマックスでラファエルが感じていたことは、言葉にすればそういったことだったような気がします。
元の世界で2人がうまくいかなくなったのも、自分のエゴのせい?
その世界へ戻ろうとするのも、自分のエゴ?
だとしたら、自分は?
映画の結末はご自分の目で確かめていただくとして、モリゾッチからささやかな提案をひとつ。
夫婦や家族、恋人や友人関係で自分のエゴを押し通してきたという自覚のある方(かく言うモリゾッチも、そうでないという自信はあまりありませんが)、一度自分より相手のことを優先して考えてみてはいかがでしょう(自戒も込めて提案します)?
「多世界解釈」的に言えば、これまでとは別の世界(=宇宙)へ足を踏み出すことになりますが、勇気を持って進めば怖くありません。その人との関係がいまよりもっと深まって、最終的にお互いの人生をちょっとだけ豊かにしてくれる。
そんな可能性もあるのではないでしょうか。
そう考えると、少なくともこれからは、別の世界(=宇宙)へ行くことをそれほど恐れる必要はないかもしれませんね。
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