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『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』レビュー☆愛はすべてを越えて
ビリー・アイリッシュの歌う主題歌が、第94回アカデミー歌曲賞を受賞しました。
タイトルに「007」と入っているシリーズとしては通算で25作目の作品であり、ダニエル・クレイグ主演シリーズの最終作となりました。
- 『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』
- 脚本
ニール・パーヴィス/ロバート・ウェイド/キャリー・ジョージ・フクナガ/フィービー・ウォーラー=ブリッジ - 監督
キャリー・ジョージ・フクナガ - 主な出演
ダニエル・クレイグ/レア・セドゥ/ラシャーナ・リンチ/ベン・ウィショー/ラミ・マレック - 2021年/イギリス・アメリカ/163分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
宿敵スペクターの首領ブロフェルドを捕らえたボンドは、それを機に現役を引退して(ここまで前作)、共に戦ったマドレーヌ(かつてスペクターの一味であったミスター・ホワイトの娘)とイタリアのマテーラでバカンスを過ごしている。
マドレーヌはボンドの過去の恋人ヴェスパーの墓がマテーラにあることを知っていて、ボンドに墓参りを促す。それが終わったら、まだ打ち明けていない自分の秘密を教えると付け加えた。ボンドはマドレーヌとの未来を確信して、翌日墓参りに出かける。
ところがボンドが到着するや墓石が爆発。さらに次々と襲い掛かるスペクターの残党。カーチェイスの末、危うく難を逃れたボンド。獄中のブロフェルドが彼らを操っていることを知る。そしてマドレーヌへの疑惑‥‥。
ボンドはマドレーヌとの未来を捨て、彼女と別れることを決意する。
それから5年。
ジャマイカで静かに隠居生活を送っているボンドのもとへ、かつての戦友であるCIAのフィリックスがアメリカ国務省のアッシュを伴ってやって来る。彼らの依頼を受け、スペクターの残党に誘拐された細菌学者を救出するため、キューバで開かれるスペクターのパーティーに潜入する。
ここでも、獄中からブロフェルドがリモートでパーティを仕切っていて、ボンドは発見され、天井から細菌兵器で攻撃される。
だが、スペクターの構成員が苦しみながら次々と倒れていく中、ボンドは無傷だった。
混乱に乗じて細菌学者を救出しフィリックスと合流するが、そこでボンドは、スペクターとは別の組織がこの学者に細菌兵器の改変を命じていたのだと知る。アッシュこそ、その組織の手下だったのだ。アッシュに細菌学者を奪い去られ、フィリックスは撃たれ、ボンドも危うく命を落としかける。
その組織を操る者とは?
そしてその目的は?
鍵を握る獄中のブロフェルドに会うべく、ボンドはロンドンの秘密情報部(MI6)を訪ねる。だが、ブロフェルドはすべての面会を拒絶していた。ただひとり、マドレーヌを除いて。
こうしてボンドは、5年ぶりにマドレーヌと再会し、謎の組織の手がかりを得るべくブロフェルドと対峙するのだったが‥‥。
☆過去はまだ死んでない
1962年の『007は殺しの番号』(原題は『Dr. No』で、1972年の再上映時に邦題も『007/ドクター・ノオ』に変更)に始まる「ジェームズ・ボンド」シリーズは、東西冷戦を背景に、イギリス秘密情報部の諜報員の活躍を描いたヒットシリーズです。
イアン・フレミングの原作では、ボンドの敵はソ連の特務機関「スメルシュ」(KGB内の一組織のようです)ということになっていますが、映画シリーズでは政治問題を避けるためか、巨大な多国籍犯罪集団「スペクター」との戦いに置き換えて描かれました。
したがってシリーズ初期からのファンにとっては、「007」の敵といえば「スペクター」と相場が決まっていたようです。
ところがこの「スペクター」、その後権利関係のトラブルにより、『007/ダイヤモンドは永遠に』(1971年)を最後に映画から姿を消すことになりました。
以来約45年。『007 スペクター』(2015年)によってシリーズへの復活を果たし、オールドファンから喝采を浴びたのは、まだ記憶に新しいところです。
本作は、その前作に直結する続編であり、宿敵「スペクター」との最終決着という意味合いも含む、壮大な作品になりました。
「ノー・タイム・トゥ・ダイ(No Time To Die)」という英語は、文字通り「まだ死ぬときではない」、「死んでる暇はない」、「死んでる場合じゃない」など、さまざまなニュアンスに訳されますが、シリーズ中何度も死の危機に瀕したボンドが、その度に心の中でつぶやいてきたであろう言葉です。
そしてさらに本作の終盤では、観ている誰もが、ボンドに向かってこの言葉を叫びたくなる展開が待っています。
ビリー・アイリッシュの主題歌「ノー・タイム・トゥ・ダイ」は、ボンドから別れを告げられたマドレーヌがひとり列車で去る場面で、彼女の絶望に寄り添うように静かに流れ始め、タイトルバックへと観客を誘います。
「決して泣いたりしない。(死にたい気分だが)死んでる暇はない」
ボンドのいない人生を生きる覚悟を決めたマドレーヌの心情を、切々と歌い上げます。
実は、本作のトップシーンは、彼女の幼少期の回想です。
母と暮らしていた自宅を能面で顔を隠した男に襲撃され、母は死にましたが、自分だけは助けられたのです。その後、彼女の脳裏からその能面の男の記憶が消えることは、一瞬たりともありませんでした。
マテーラのホテルでボンドに昔の恋人の墓参りを促したとき、彼女はこう言いました。
「過去はまだ死んでない」
それは自分に向けて発せられた言葉でもあったのです。墓参りが終わったらボンドに告げるはずだった自分の秘密とは、この能面の男の記憶に違いないのですが、打ち明けるチャンスはありませんでした。
ボンドにとっても、過去との決着は大きな課題でした。
かつての恋人ヴェスパー。『007/カジノ・ロワイヤル』(2006年)で描かれた話ですが、ボンドと知り合ったとき、彼女はスペクターの下部組織である「クァンタム」のスパイでした。ボンドと恋に落ちても正体を明かさず、クァンタムの、つまりスペクターの幹部であるミスター・ホワイトと通じていたのです。
ボンドがその裏切りに気づいたとき、組織の口封じにより、彼女は命を落としてしまいます。
マドレーヌは、「ヴェスパーを許してやって」と言って、ボンドを墓参りに送り出したのです。ヴェスパーを利用していたミスター・ホワイトは自分の父親です。ボンドが過去と決着をつけることが、2人の未来にとって欠かせない。マドレーヌはそう考えていました。
しかし、墓石が爆発してスペクターの残党に襲われたとき、ボンドの胸中に再びあの苦い思い出が蘇ります。愛する者からの裏切り‥‥。その苦い感情は、マドレーヌへの疑惑となって、ボンドの心を激しく揺さぶります。
結局ボンドは、過去と決着をつけることができず、マドレーヌとの訣別を選択します。
過去はまだ死んでいない。この言葉は、幼いマドレーヌの記憶に焼き付いた能面の男にとってもまた、当てはまる言葉でした。
その男の名は、サフィンといいます。
彼はかつてミスター・ホワイトによって家族を皆殺しにされた過去を持ちます。復讐のためミスター・ホワイトの家を襲撃しましたが、少年だった自分が生き延びたように、幼いマドレーヌの命は奪いませんでした。
そうです。このサフィンこそが、細菌兵器を操る謎の組織のリーダー。ボンドが最後に倒すべき敵なのです。
彼の目的はスペクターと獄中のブロフェルドへの復讐です。スペクターによって誘拐された細菌学者は公的機関で研究していましたが、もともとサフィンの手下でした。ブロフェルドはボンドの遺伝子情報を取り込むことで、ボンドだけに感染する細菌兵器を完成させたつもりでしたが、細菌学者が取り込んだ遺伝子情報はスペクター構成員たちのものだったため、ボンドは無傷でスペクターは全滅させられたのです。
次のターゲットは、獄中のブロフェルド。
しかしそればかりではなく、サフィンがその先に見据えているのは、全世界への攻撃だということがやがて明らかになってきます。
サフィンは、スペクターの残虐行為という過去に囚われた怪物です。その意味では、スペクターによって生み出されたモンスターと言っても、過言ではありません。
サフィンとの戦いは、ボンドにとって、宿敵であったスペクターとの最終決着という意味合いを帯びてきます。
5年前につけることができなかった、過去との最終決着‥‥。
☆待ち受けるのは、死か楽園か?
獄中のブロフェルドと対峙したとき、ボンドは、マテーラでの出来事がマドレーヌの裏切りによるものではなかったことを知らされます。
ボンドは5年前の別れを悔やみ、マドレーヌの家を訪ねて自分の気持ちを伝えました。わだかまりが解けた2人は、強く抱き合いますが、そこへひとりの少女が現れます。マチルドという名の5歳くらいのその女の子は、ボンドと同じ青い目をしています。
マドレーヌは認めませんが、ボンドの娘であることは明らかでした。
2人は未来を誓い合い、マドレーヌはようやく、幼少期の記憶をボンドに話すことができたのですが‥‥。その後サフィン一味の襲撃に遭い、マドレーヌとマチルドが連れ去られてしまいます。
こうしてボンドは、サフィンの野望を挫くため、そして何より愛する2人を救出するため、サフィンの秘密基地へと踏み込むことになります。
ところで、主題歌「ノー・タイム・トゥ・ダイ」には、こんなフレーズもあります。
「あなたは死の使いか、楽園へ誘う者か(Are you death or paradise)」
死か、楽園か‥‥。
もはや家族と言ってもいいボンドたちを待ち受けるのは、どちらなのでしょうか。
そう考えてくると、この主題歌が5年前のマドレーヌの心情に付けただけの曲ではないことが、段々とわかってきます。マドレーヌは1度ならず、2度までも‥‥。
歌詞に出てくる「you」は、最初はボンドのこととしか思えないのですが、映画終盤の展開を見れば、「運命」を指しているようにも思えてきます。
運命に見放されても、決して泣かない。死んでる暇などない‥‥。
さて、挿入歌についても触れておきましょう。
本作のラストで流れるのが、ルイ・アームストロングの「愛はすべてを越えて(We Have All The Time In The World)」です。とても古い曲ですが、それもそのはず、『女王陛下の007』(1969年)の挿入歌に採用された曲です。
歌詞を要約すると、だいたいこんな感じです。
時間ならたっぷりあるさ
愛するためだけの時間が
ほかに何も要らないとやがて気づくだろう
『女王陛下の007』といえば、スペクターのブロフェルドが殺人ウイルスを世界中にばら撒こうとする話が中心ですが、ボンドはスペクターの計画を阻止したあと、事件を通じて知り合ったトレイシーという女性と結婚します。アストンマーティン・DBSに乗ってハネムーンに向かう2人でしたが、追跡してきたブロフェルド一味に銃撃され、新婦は命を落としてしまう‥‥というラストが衝撃的でした。
お気づきのように、本作は『女王陛下の007』へのオマージュという色彩が大変濃い作品です。
ブロフェルドの殺人ウイルスは、コンセプトとしては本作のサフィンの細菌兵器と同じです。挿入歌も同じなら、その挿入歌のタイトルをそのままボンドの台詞として使っている点も同じです。
どういうことかというと、『女王陛下の007』では、ハネムーンに向かう車の中でボンドが彼女に言います。
「世界は2人のものさ(We Have All The Time In The World)」
本作では、冒頭イタリアのマテーラの海岸線を走る車の中で、もっとスピードを上げて、とマドレーヌから言われたボンドが、こう返します。
「時間ならたっぷりあるさ(We Have All The Time In The World)」
字幕の翻訳こそ違いますが、英語で聞けばまったく同じ台詞です。しかも、よくよく聴いてみれば、その時流れているのは「愛はすべてを越えて」のアレンジされたメロディーなのです。(本作では最終盤でもう一度この台詞が登場しますが、ネタバレが過ぎるので、ここでは割愛します)。
マテーラのシーンを観たとき、勘のいいボンドファンは『女王陛下の007』を思い出して、マドレーヌが死んでしまうのでは、と考えたかもしれませんが‥‥。
☆現実の世界にボンドは存在しない、けれど‥
挿入歌に話を戻します。
物語の流れには一見沿わないようなメジャーな曲調と、ルイ・アームストロングの渋いながらも暖かい歌声が、ラストシーンからエンドロールにかけて流れます。タイトルバックのビリー・アイリッシュとは、年齢から歌い方から、何もかもが好対照です。
そう考えたとき、この2つの曲が対となって、単なるオマージュという以上の、オマージュとしての意味合いをある種超えた、ひとつのメッセージを投げかけているようにモリゾッチは感じました。
「愛はすべてを越えて」という日本語のタイトルになぞらえて言うのであれば、こんな感じです。
愛は「死」をも「時」をも越えて、生き続ける。
「ノー・タイム・トゥ・ダイ(No Time To Die)」だけど「愛はすべてを越えて(We Have All The Time In The World)」‥‥死んでる暇はないけど、愛する時間はたっぷりある。死んでる場合じゃなくて、愛することが何より大切だ。
モリゾッチが感じ取ったメッセージは、言葉にすればだいたいこんなようなことになります。
皆さんは、この作品から何をお感じになるでしょうか?
最後に、サフィンについて。
秘密基地に乗り込んだボンドと相対して、サフィンが自分の正当性を主張する場面があります。そこで明らかになるのは、大勢の命を奪うことをなんとも思っていないということ。それどころか、自分は正しいことをしていると本気で信じている様子なのです。
なんの高揚感もなく、淡々と、大勢の人を殺す計画を実行しようとしています。もはや目的が何であるのかはどうでもいいと言わんばかりです。ただ正しいから、やる。
常軌を逸しています。
思えば、コロナ禍とロシアのウクライナ侵略の同時進行という私たちの現実(この記事は2022年5月22日に書いています)‥‥未知のウィルスと戦いながら、第3次世界大戦もしくは核戦争の入り口に立つ人類という現実‥‥これは、一歩間違えば人類の存亡に関わるという点で、サフィンの計画実行前夜の世界と酷似しているように思います。
本作の企画は2016年に始まったそうですから、2022年の我々の現実を予見することは困難で、もちろん単なる偶然に過ぎません。偶然でなんの関係もないとわかっていても、モリゾッチは次のように考えないわけにはいきませんでした。
我々の現実の世界にジェームズ・ボンドは存在しない。
だが、サフィンは?
侵略を正当化する某国指導者の演説や声明をニュース等で見ると、他国へ軍隊を送り込んであれだけ多数の市民を虐殺しておいて、それを正しいことだと言っています。
常軌を逸しています。
一説によるとその指導者は、暗殺を恐れるあまり、自分が死んだ瞬間に核ミサイルの発射ボタンが押されるシステムを用意しているのだとか。まるで、スパイ映画の悪役です。
常軌を逸しています。
暗殺を恐れてる暇はないけど、みんなを幸せにする時間はたっぷりある。大国のリーダーなら、暗殺を恐れてる場合じゃなくて、世界中のみんなを幸せにすることが何より大切だ。
映画でも観て、そのことを感じ取ってもらえたら。
そう願うのは、無理なことなのでしょうか?
よく知られていることですが、その指導者はソ連のスパイ出身で、ということはイアン・フレミングの原作の世界では、バリバリのボンドの敵対勢力だったわけです。少年時代に観たスパイ映画に憧れてKGBに入ったということですから、なんとも皮肉です。
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