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『ノッティングヒルの恋人』レビュー☆互いの住んでる世界が違って見えても

(C) 1999 Universal Studios. All Rights Reserved.
ラブロマンスの森

ロマンチック・コメディーの傑作をご紹介します。
公開から20年以上経っても多くの支持を集めているのは、人と人が惹かれ合うことの本質が、ここに描かれているからだという気がします。


  • 『ノッティングヒルの恋人』
  • 脚本
    リチャード・カーティス
  • 監督
    ロジャー・ミッシェル
  • 主な出演
    ジュリア・ロバーツ/ヒュー・グラント/リス・エヴァンス/ジーナ・マッキー/ティム・マッキナリー/エマ・チャンバース
  • 1999年/イギリス・アメリカ/123分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください

☆あらすじ

おしゃれで静かなロンドン西部の街、ノッティングヒル。
そこに住むウィリアム・タッカー(ヒュー・グラント)は、旅行書専門の書店を経営している。バツイチの彼は地味で控えめな性格で、変わり者の同居人と日々平凡な生活を送っていた。

ある日、ノッティングヒルを訪れていたハリウッドの大女優、アナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)が彼の店に偶然立ち寄った。内心とても驚いたが、その場は平静を装った彼。だが彼は彼女に本を売っただけではない。その後オレンジジュースを買いに行き、店に戻る途中曲がり角で不意にぶつかった相手が、偶然アナだった。

彼女のブラウスを汚してしまったので、着替えのためにすぐ近くの自宅へ案内するというオマケがついた。ウィリアムは彼女に一目惚れし、アナも彼に興味を持った。しかし、彼女は有名な女優であり、ウィリアムはただの書店経営者。2人の世界はまったく異なっている。そのことを、誰よりも2人がよくわかっていた。

だが数日後、リッツ・ホテルにいるという彼女からの電話が。
同居している変人のスパイク(リス・エヴァンス)から伝言を聞いて、耳を疑うウィリアム。急いでホテルに駆けつけるが、そこは新作映画のキャンペーン会場。雑誌記者のふりをしてアナと接触した彼は、デートの約束を取り付ける。

しかしその日は妹ハニー(エマ・チャンバース)の誕生日で、友人であるマックス(ティム・マッキナリー)とベラ(ジーナ・マッキー)夫妻の家でパーティーが予定されていた。思い出してうろたえるウィリアム。
私もそのパーティーに行くっていうのは、どう?
アナははにかみながら、でも少し悪戯っぽくそう言った。

ウィリアムはアナに友人たちを紹介する。彼女はすぐに打ち解けて彼らとの会話を楽しみ、豊かな時間が流れることに喜びを感じた。友人宅を出る頃には2人の距離は前より少し縮まって、親密と言ってもいいムードに包まれていた。
こうして2人は徐々に親しくなり、デートを重ねた。

しかし、アナは常にメディアの注目を浴びており、ウィリアムは彼女のプレッシャーや忙しさに対処しなければならなかった。

ホテルの彼女の部屋へ招かれた夜、突然押しかけてきたハリウッド俳優の恋人と鉢合わせになったこともあった。
その恋人と別れたあと、若い頃のヌード写真が流出してマスコミの標的になっている彼女を自宅にかくまったことも。

それだけではない。
2人が初めて一夜を共に過ごした翌朝、彼の自宅はものすごい数の報道陣に取り囲まれていた。

なぜだ?
ウィリアムは困惑するが、アナは激怒していた。
どうせ、あなたの同居人がマスコミに情報を流したんでしょ。
そういう情報は高く売れるのよ。

彼女は事務所に電話をして、迎えにきたマネージャーにガードされながらその場を去った。
そして、そのまま連絡は途絶えてしまったのだった‥‥。

出典:DVDパッケージより

☆ロマコメ達人の技が冴え渡る脚本

本作の魅力の一つは、主人公たちのキャラクターにあります。
ヒュー・グラント演じるウィリアムは、普通の人々の心を代表するような素朴さと温かさを持っています。一方のジュリア・ロバーツ演じるアナは、美しさとスターの輝きを持ちながらも、内面に繊細さと人間味を感じさせます。
彼らの達者な演技が2人の魅力的なキャラクターを引き立たせ、物語を彩ります。

また、ユーモアに富んだシーンが随所に散りばめられ、笑いと共感を引き起こします。
ウィリアムの友人たちや周囲のキャラクターたちが織りなすコミカルな展開は、物語に軽やかなトーンを与え、笑いと切なさと感動が絶妙に混ざり合い、心地よいエンターテイメントを提供してくれます。

脚本は、リチャード・カーティス。
その名前を聞けば、ロマンチック・コメディーの達人という言葉を思い浮かべる方も多いと思いますが‥‥。

ニュージーランド生まれながらキャリアのスタートはイギリスで、テレビシリーズ『Mr.ビーン』などで頭角を表し、劇場映画としては『フォー・ウェディング』(1994年)に次いで2本目となる本作が大ヒット。
本作のあとは『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001年、レビュー記事はこちら)が大当たり。その後、脚本兼監督としても『ラブ・アクチュアリー』(2003年)や『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』(2013年、レビュー記事はこちら)などをヒットさせています。

その脚本の特徴はといえば、まず挙げられるのがユーモアと感動を見事に組み合わせている点です。彼はキャラクターたちの人間味や心情を丁寧に描写する一方で、コミカルなシーンや笑わずにいられないような失敗、あるいは鈍臭い一面やお茶目な行動などを、巧みに組み込んでいます。これによって、観客は笑いと涙を共有しつつ物語に引き込まれていくのです。

そして、彼の脚本には様々なバックグラウンドや個性を持つキャラクターが登場します。彼はそれぞれのキャラクターに固有の魅力と深みを与えることで、観る者に強い共感を抱かせます。キャラクターたちは時にはコミカルでありながらも、人間らしい葛藤や成長を遂げる姿も描かれています。

さらに、彼の作品はほとんど常に、楽観的な視点やポジティブなメッセージを伝えることを目的としています。彼は人と人の信頼関係や愛の力を描きながら、希望や幸せの追求をテーマにしています。そのため、観る者は心温まるそのストーリーによって勇気や元気をもらい、自分の「お気に入り作品」として記憶に留めていくのです。

彼のヒット街道の起点となった本作にも、これらの特徴がすべて備わり、早くも「達人の技」が冴え渡っているのを感じます。

(C) 1999 Universal Studios. All Rights Reserved.

☆舞台出身職人的監督の才能開花

監督は、ロジャー・ミッシェル。
脚本のリチャード・カーティスとは同学年で、こちらは南アフリカの生まれ。イギリスで舞台の演出に関わるところからキャリアをスタートさせ、のちに映画の世界に入りました。

あとで編集することができない、常に「生」で勝負の舞台の人らしく、お芝居の間の作り方、特に主役2人の間の空気感など、とても繊細に演出されていると感じます。
監督としての彼の起用も、本作の成功の要因に数えられるでしょう(コミカルな要素を含むお芝居は、特に「間」が命というところがありますので)。

本作で最も印象に残るカットといえば、アナが去ったあと、傷心のウィリアムが何も手につかず、死んだように1年を過ごしたということを表すカットが挙げられます(このことに異論がある方は少ないのではと思いますが、いかがでしょうか?)。

街の中心の、蚤の市で有名なポートベロー通りを歩くウィリアム。
カメラは歩道から彼の全身を捉え、画面の右に向かって歩く彼の動きに合わせて横へ横へと移動していきます。カメラと彼との間にはさまざまな路面店が並び、さまざま人が手前や奥を行き交います。夏だった街に雨が降り、いつの間にか木枯らしが吹き始め、気づくと雪が舞い、積もり、そして日が差し、春の花を売る屋台まで、ワンカットのようにつながっていきます(実際には季節ごとに撮影されたカットを、編集でワンカットのようにつなげたのだそうです)。

ワンカットの移動ショットはいかにも映画的な手法とも見えますが、実はこれも舞台的な発想というか、舞台が得意としてきた演出手法を映画に持ち込んだものだという気がします。

役者が舞台手前で芝居を続けている間に、舞台奥のターンテーブルのような円形の床(「盆」といいます)の上に組んだセットが回転して転換する、という場面転換の手法はお馴染みだと思うのですが‥‥。
これには同じセットで小道具の飾りだけ変えて時間経過(例えば、夏から冬へ)を表現する場合もあり、セット自体を変えて場所の移動(東京のセットから大阪のセットへ、など)を表現する場合もあります。

ポートベロー通りを歩くウィリアムのカットは、このやり方を映画に持ち込んだものだと言えるでしょう。彼の背景では付き合い始めだった恋人たちが喧嘩別れしたり、お腹が大きかった女性に赤ちゃんが生まれたりと季節ごとに賑やかですが、彼だけは常に孤独で、虚しさを抱えて歩いていきます。
この場面にぴったりの演出で、観客のウィリアムに対する共感をグッと高めていく効果があると思います。

本作以降も、『恋とニュースのつくり方』(2010年、レビュー記事はこちら)などコミカルな作品で手堅い仕事を見せることになるロジャー・ミッシェル。そんな舞台出身の職人的監督の個性が最初に花開いたのが、本作だと言えるのではないでしょうか。

(C) 1999 Universal Studios. All Rights Reserved.

☆切なく美しい主題歌の叙情的歌唱

さて、本作の魅力を思いつくままに挙げてきましたが、もうひとつ忘れてならないのは心に響く音楽の魅力です。

一例を挙げれば、アナの恋人とホテルで鉢合わせしたウィリアム。向こうはハリウッド・スター同士のカップル。自分はただのしがない本屋‥‥。そんな思いを抱いてホテルを去るシーンで流れるのが、「How Can You Mend A Broken Heart(傷心の日々)」の優しいメロディ。
これはもちろん1971年にビージーズがリリースした名曲ですが、本作ではアル・グリーンのバージョンが使用されています。

また、先ほど紹介したポートベロー通りを歩くウィリアムの場面には「Ain’t No Sunshine(消えゆく太陽)」が流れ、「彼女がいないと陽の光も温もりもない」と歌います。これも、ビル・ウィザースによる1971年のヒット曲ですね。

そして極め付けは、主題歌の「She」です。
原曲はフランスのシャンソン歌手シャルル・アズナブールが1974年に発表した「Tous les visages de l’amour」ですが、この映画のためにエルヴィス・コステロが英語でカバーしました。

原題を直訳するば「愛のすべての顔」という意味になりますが、そのタイトルの通り、好きな人のいろいろな顔、さまざまな魅力や側面に翻弄される切ない恋心を歌った曲になっています。
英語版も同様に、「彼女は美女か猛獣か、彼女は日々を天国にも地獄にもする」と翻弄されながら、「彼女は僕が生きる理由、僕の人生の意味」と溢れんばかりの想いを、切々と訴えます。

愛する人への深い感情と、その人がもたらす喜びや苦しみを描いたその歌詞は、映画のストーリーと見事にシンクロして、観る者の心に響きます。
美しいメロディーと切ない歌詞、そこに重なるエルヴィス・コステロの叙情的な歌唱が、映画の魔法を一層深め、心地よい共感へと導いていきます。

いまや聴けば誰もが知っていて、映画音楽史に残る傑作との評価も定まったこの「She」には、「忘れじの面影」という邦題が付けられました。冷たくされても、会えなくなっても、その面影を忘れられない、というわけですね。
アナを想うウィリアムの心そのものではないでしょうか。

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☆互いの住んでる世界が違って見えても

異なる世界に住む2人の恋愛を描いていることから、しばしば『ローマの休日』(1953年)と比較される本作ですが、そして確かに、2つの作品には類似する要素も多いのですが‥‥、しかしひとつだけ決定的に違っているのは、本作にはヒロインの方から想いを告白する場面がある、という点です。

そのシーンは本作の最終盤、アナが久しぶりに彼の店を訪れます。以前のように2人でまた会いたい、と言いにくそうに伝えるアナを前にして、思案の末ウィリアムはこう答えます。

君はビバリーヒルズの人。
でも僕はノッティングヒル。

あんなにも恋焦がれたアナを目の前にして、彼は、またあの苦しみが繰り返すことを想像してしまいます。そして、こう続けます。

今度君が去ったら、僕はもう耐えられない。

それはあまりにも正直な発言。よくわかります。その通り、彼はもうこれ以上の苦しみに耐えられないでしょう。
少し間を置いて、アナは静かに言います。

正しい、判断だわ。‥‥正しいわ。
でも、忘れないで。

肩を小さく振るわせ、目に涙をいっぱいためて、彼女は続けます。

私だって、ひとりの女。
好きな男の人に、愛されたいと願ってる。

何も言えないウィリアム。
彼女はそのまま彼の頬に軽くキスをし、黙ってその場を去っていきます。
このシーン、ジュリア・ロバーツの演技が胸を打ちます。さすが、ハリウッドのトップ女優。数多くの映画をヒットさせてきた理由が、このシーンだけでもわかるような気がします。

本当に気持ちの込もった芝居は人の心を打つ力がある。
そのことを、何よりも雄弁に物語っているシーンでもあるでしょう。

なお、このシーンにはこんなエピソードも。
このときアナが着ている衣装は、なんの変哲もない薄いブルーのカーディガンにスカート、足元はなんとサンダルというスタイルですが‥‥。
まるで近所へ散歩に行くかのようなこの衣装は、すべてジュリア・ロバーツ本人の私物なのだとか。

女優としてでなく、ただのひとりの女性として、アナが初めてウィリアムと向き合おうとするシーン。このシーンをそう捉えていた彼女は、スタッフが用意した衣装が気に入らず、当日自分が着ていた私服で出演することを監督に提案したのだと、言われています。

事前に衣装合わせはしなかったのかな? という疑問は残りますが、この作品にかける彼女の気合いを物語るエピソードであることは間違いありませんね。

身分違いの恋。この言葉は昔からあります。
2人は住んでいる世界が違う。うまくいかない恋は、往々にしてこう言われたりします。
君はビバリーヒルズの人、僕はノッティングヒル‥‥。はい、現実はそういうものです。

でも、この作品がやりたかったことは、コメディーという魔法の力を借りて、映画の観客にこんな夢を見てもらうことではないでしょうか。
そうです。つまり、互いの住んでる世界が違って見えても、決して諦める必要はないのだ、と。

私だって、ひとりの女。
普段着のアナにそう言わせることで、『ローマの休日』(1953年)とは違う結末への扉を開いたのです。
脚本の力、演出の力、音楽の力、そして芝居の力‥‥すべての力が高いレベルで均衡を保っている本作だからこそ、なしえたことかもしれません。

ラストシーンは、グレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンによる往年の名作にならって、記者会見の会場。
かの名作と違う結末とは‥‥?

ぜひ作品を鑑賞して、ご確認ください。
公開から20年以上を経てなお多くの支持を集める理由も、ご理解いただけると思います。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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