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『麗しのサブリナ』レビュー☆予定調和と言うなかれ
いまから71年前に公開されたロマンチック・コメディーです。71年というと、ほとんど人の一生分とも言える年月。いまの私たちの感覚とはかなりズレている部分も多い物語ですが、なぜかホッとするような懐かしさを禁じ得ない作品です。
- 『麗しのサブリナ』
- 脚本
ビリー・ワイルダー/サミュエル・テイラー/アーネスト・レーマン - 監督
ビリー・ワイルダー - 主な出演
ハンフリー・ボガート/オードリー・ヘプバーン/ウィリアム・ホールデン - 1954年/アメリカ/113分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
サブリナ(オードリー・ヘプバーン)はニューヨーク州ロングアイランドの大富豪ララビー家のお抱え運転手の娘。ララビー家の次男デイビッド(ウィリアム・ホールデン)に恋焦がれているが、根っから遊び人のデイビッドに思いは通じず、相手にされていない。
傷心のまま、ひとりパリの料理学校への留学に旅立ったサブリナ。
それから2年後‥‥。
洗練された大人のファッションに身を包んで帰国したサブリナに、デイビッドはすっかり夢中。婚約者を放ったらかしにしてデートに誘うが、不注意から怪我をして立ち上がれなくなってしまう。
弟の代わりにサブリナの相手をしたのは、仕事人間の長男ライナス(ハンフリー・ボガート)だった。
実は弟デイビッドの婚約はララビー家の事業拡大のための政略結婚で、サブリナは邪魔な存在でしかなかったのだが‥‥。

☆O・ヘプバーンの主演第2作
銀幕の妖精と呼ばれたオードリー・ヘプバーンの、『ローマの休日』(1953年)に次ぐ主演第2作。公開当時のニューヨーク・タイムズ紙では、「彼女は昨年の王女役よりもこの役の方が光り輝いている」と絶賛されています。
イギリス国籍をもつオードリーは1929年ベルギーのブリュッセルに生まれ、イギリスやオランダなどで幼少期を過ごしました。第二次世界大戦のさなかにオランダでバレエを習い始め、プリマ・バレリーナとして舞台に立つ夢を抱きます。終戦後にはイギリスのバレエ団でも学びましたが、トップへの道は険しく、同じ舞台でも演劇の世界へ進路を変更することになります。
ロンドンのケンブリッジ・シアターなどでいくつかの舞台を経験したオードリーは、映画にも端役で出演するようになり、やがてパラマウントの関係者から推薦されて『ローマの休日』の王女役のテストを受けるのですから‥‥。
人生何が幸いするかわからない、ということですね。
それ以降の活躍はご承知の通り。
彼女はハリウッドの黄金期を代表するトップ女優となり、世界のファッション・アイコンとなりました。
本作に続いて『パリの恋人』、『昼下りの情事』(いずれも1957年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)が大ヒット。さらに『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『おしゃれ泥棒』(1966年)、『暗くなるまで待って』(1967年)と、映画好きならずともタイトルだけは知っているという、まさに名作・傑作のオンパレード。
その輝かしいキャリアを象徴するのは、アカデミー主演女優賞に5回のノミネートという偉業。しかも、最初のノミネートで見事受賞を果たした1954年には(作品は前年公開の『ローマの休日』)、ブロードウェイの舞台作品『オンディーヌ』でトニー賞の演劇主演女優賞も受賞していて、彼女はなんと、舞台と映画の主演女優賞を同じ年に獲得した史上2人目の女優となったのです。
ちなみに、彼女は死後にエミー賞とグラミー賞を受賞して、映えある「EGOT」達成者の仲間入りを果たしています(「EGOT」とは、エミー、グラミー、トニー各賞のイニシャルと、アカデミー賞のオスカーのイニシャルをつなげて、4冠達成者を称えるための称号です)。
本作は、そんな彼女がファッション・アイコンとして世界に認識された最初の作品。
オードリーとファッションとの関係ついて語ろうとすれば、デザイナーのユベール・ド・ジバンシィの名前をはずすことはできませんが、この2人が初めて手を組んだ映画が本作なのです。
実はオードリー、自分の体型にコンプレックスをもっていたと言います。
それもそのはず、「世界を代表する3大女優はBB、CC、MM」ともてはやされた当時‥‥。えっと、解説しますと‥‥、フランスのブリジット・バルドー、イタリアのクラウディア・カルディナーレ、アメリカのマリリン・モンローのイニシャル‥‥つまり、まあ、グラマーな女優さんが人気だった時代ということですね。
細身の体型にいまいち自信がもてなかった彼女でしたが、本作ではそんな悩みを逆手に取ったいうか‥‥、本場パリ・コレクションのモデル用に作られたジバンシーの細身のドレスを優雅に着こなしています。目立たない運転手の娘からの華麗なる変身‥‥そうした作品の意図にこれほどぴったりな衣装はないですよね。
そして本作の衣装といえば、極め付けは彼女の役名を冠して「サブリナパンツ」と呼ばれることになる、丈の短い細身のパンツルック。ぺたんこのパンプスと組み合わせてハンフリー・ボガートとの印象的なシーンで着用され、当時の女性たちの間で一大センセーションを巻き起こしたと言われます。
世界中の女性のファッションを変えた、と語られることの多いオードリー。そんなファッション・アイコンとしての快進撃は、本作から始まったのです。

☆名優・名監督の揃い踏み
そしてオードリーの相手役が、ハンフリー・ボガートとウィリアム・ホールデンというのですから、本作はいろんな意味で女性の目を楽しませてくれる作品と言えますね。苦味走った渋い色気の長男と、甘いマスクの艶やかな次男。これほど正反対で両方イケメンの兄弟もなかなかいないと思いますが‥‥、そんなふうに個性が違いすぎるからか、男優2人の仲はあまり良くなかったとも伝わります。
ハンフリー・ボガートは、1899年(なんと19世紀です!)アメリカ・ニューヨークの生まれ。
最初の映画出演はジョン・フォード監督の『河上の別荘』(1930年)と記録されています。『マルタの鷹』(1941年)、『三つ数えろ』(1946年)、『アフリカの女王』(1951年)などの代表作がありますが、なんといっても『カサブランカ』(1942年)のラストシーンでトレンチコートの襟を立てた姿が印象的で、「ボギー」という愛称とともに人々の心に残り続ける名優です。
ダンディズムという言葉がこれほど似合う役者は、ほかにいないかもしれません。
一方のウィリアム・ホールデンは、アメリカ・イリノイ州で1918年に生まれました。
代表作は、『サンセット大通り』(1950年)、『第十七捕虜収容所』(1953年)、『慕情』(1955年)、『戦場にかける橋』(1957年)と、映画史に残る名作ばかり。
50年代を通じてヒットを飛ばし続けた人気俳優であったことがわかります。
本作でもその二枚目ぶりは遺憾なく発揮され、というか‥‥。
こう言ってはなんですが、低身長で顔が大きめのハンフリー・ボガートよりも、スラリとした細身のスタイルが魅力的なオードリーとは、どう見ても彼の方がお似合いで‥‥(あ、いや、ボギーのダンディーな色気には誰も敵わないと認めますが‥‥、これはあくまで個人の感想です。多様な意見や感想で、世界は成り立っています)。
とにかく、ウィリアム・ホールデンとオードリーが絡む場面は見ていて楽しくなるという人が多いと思いますが、実はこの2人はプライベートでもとてもいい関係にあったことが知られています。
そうした空気感は、71年の時を経ても、画面から伝わってくるのですね。
本作は、そんな脂の乗り切った名優たちに加えて、監督もまた(未来のわたしたちから見れば)超有名人。
ビリー・ワイルダー監督は、1906年現在のポーランド(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)の生まれ。ドイツに出て脚本家になりますが、ユダヤ系であったためナチス・ドイツの台頭によってアメリカへ亡命したことが大きな転機となり、娯楽映画の職人、ハリウッドの名匠への道を歩み出すことになります。
本作の前に、ウィリアム・ホールデンと組んで『サンセット大通り』(1950年)と『第十七捕虜収容所』(1953年)をヒットさせ、すでに一定の評価を得ていたワイルダーですが、本格的な活躍は本作以降と言ったほうがいいかも知れません。
本作の翌年にはマリリン・モンローの『七年目の浮気』(1955年)、さらにたたみかけるように『翼よ! あれが巴里の灯だ』と再びオードリーと組んだ『昼下りの情事』(いずれも1957年)、『お熱いのがお好き』(1959年)、『アパートの鍵貸します』(1960年)と、まさに映画史を彩る名作を次から次へと生み出していくのです。
才能あふれる名優と名監督に見守られながら、オードリーの妖精のような魅力が一気に花開いた。
本作は、そんな瞬間をとらえた貴重な作品と言えるでしょう。

☆三角関係の結末は見え見えでも‥
ところで、まだご覧になっていない方も、本作のストーリーはだいたい想像がつくと思いますが‥‥。
次男デイビッドに夢中だったサブリナですが、怪我をした弟に代わってデートの相手をしてくれた長男ライナスの魅力に気づいてしまいます。
いまやデイビッドは自分に夢中なのに、自分はライナスに夢中。しかもライナスは仕事人間で、自分なんか眼中になし‥‥と、またもや傷心のサブリナですが、実はライナスも内心はサブリナに首ったけ。ただ、年長者の分別というか、やせ我慢というか、『カサブランカ』の主人公よろしくサブリナをあきらめようとするのが、さすが長男ライナス(まあ、弟の彼女を奪うわけにもいきませんもんね)。
というわけで、ヤキモキさせられるのですが‥‥。
というか、現代の私たちは正直に言えば、ヤキモキと同時にモヤモヤ‥‥。
ボギーとオードリーの年齢差は30歳!
ウィリアム・ホールデンとの年齢差でも11歳‥‥。
まあ、11歳はそれほど驚きませんが、30歳差のカップルってどうなの?
しかも、11歳差よりも30歳差を選ぶ20歳そこそこの女性って‥‥?
どう考えても、行きすぎた男性中心・男性優位のストーリーになんかモヤモヤ‥‥としてしまうのですが、それはやはり時代というもの。71年の時の流れのなせる技かと。
そんなことを考えているうちに、ヤキモキのほうは急転直下の展開。
無分別で女狂いの遊び人と見えていた弟デイビッドが実は意外といい奴で、最後はしっかりと兄の背中を押してくれるというハッピーエンド‥‥。
はい。そうですね。まあ、言ってみれば、結末にはなんの意外性も驚きもなく、すべて落ち着くべきものは落ち着くべきところに落ち着く、という娯楽映画の法則に従った見事な展開を見せます。
予定調和と言ってしまえば、それまでですが‥‥。
この大いなる予定調和。それこそが本作の魅力であり、この時代のハリウッド娯楽映画の真髄ともいうべきもの。まだ本作を観ていないという方には、ぜひそのあたりを理解した上でご覧いただければと思います。
予定調和と言うなかれ、というわけですね。
この世界に本当に悪い奴なんていない。
だから大丈夫。
すべてうまくいく。
なんと素敵な、心強いメッセージでしょうか?
そんな気がしてしまうのは、理由があるのです。
それは、先日行われた第67回グラミー賞授賞式(この記事は2025年2月28日の深夜に書いています)。
例年であれば、この式のハイライトは最優秀アルバム賞(Album of the Year)の発表ですが、この日は少し違っていました。
ドクター・ドレー・グローバル・インパクト賞。
それは、音楽だけでなく慈善活動などで世界に影響を与えたアーティストに贈られる賞ですが、この賞の受賞者アリシア・キーズのスピーチこそが、この日のハイライトでした。
長い気持ちのこもったスピーチの中盤すぎ、彼女はこう言ったのです。
「たとえ強大な権力に焼き尽くされても、私たちは不死鳥のようによみがえる」
それは、直前に起きたロサンゼルスの山火事からの復興という意味に受け取れますが(実際この日の式典では、ほとんどすべてのCM入りのタイミングで募金の呼びかけを行うなど、山火事の被災者への連帯が随所に意識された演出になっていました)、強い覚悟を滲ませた彼女の表情からは、1月に発足したばかりの現政権の独善的・強権的なやり方に対する強烈な批判を、その言葉の裏に潜ませていたことは明らかでした。
少し間をおいて、彼女はさらにこう言ったのです。
「この世界のあるべき姿を想像することが大切です」
そして、鳴りやまない大きな拍手。
それに続いて、「とても特別なスピーチでしたね」と司会のトレバー・ノアが讃えました。
世界が荒れ放題のこんな時代。
世界のあるべき姿を想像することが、ちょっと難しく感じてしまう時代。
予定調和にもいいところがある。
映画にできることはたくさんありますが、こんな時代こそ、世界のあるべき姿を映画の中に示してほしい。
そう思ったときに、71年前の作品ですが、本作はその役目を見事に果たしていることに気づきます。
サブリナのような、未来ある女性の思いはきっと叶う。
大丈夫、すべてうまくいく。
そういう世界に住んでいたいと、思うからでしょうか。
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