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斎藤兵庫県知事の疑惑を総点検‥パワハラ・おねだり・独裁者?行き着く先にあるものは?
兵庫県の斎藤元彦知事に対する内部告発問題。「パワハラ」や「おねだり」などの疑惑を事実と認定する百条委員会の調査報告書が、3月5日に県議会で可決・了承された。これを受けた知事会見では、斎藤氏の独裁者体質があらためて浮き彫りに‥‥。果たして何が問題の本質か? そして3月末とされる第三者委員会の結論と県議会の今後の動きは?
1、百条委員会って何?
まず大前提として、「百条委員会」とは何かということだが、これは兵庫県議会の中に設置された調査特別委員会のことである。地方自治体の行政行為に関する調査権を規定した地方自治法第100条に基づき、地方議会が議決により設置することができる特別委員会のひとつとされる。第100条の規定に基づくため、俗に「百条委員会」と呼ばれる。
なぜこのような調査権が議会に与えられているかと言えば、地方自治体の(より詳しく言えば、そのトップである首長の)行ないを監視し、牽制するためである。
議会が一方的に首長を監視するわけではなく、首長も議会の行動を牽制する手段をもつ。
これを、二元代表制と呼ぶ。
首長も議会を構成する議員たちも同様に、有権者によって選挙で選ばれる。
つまり、兵庫県に当てはめて言えば‥‥県民は、自分たちの代表として、知事と県議会議員という役割の違う2種類の人たちを選ぶことができる、ということ。
議会には百条委員会を通じた調査や知事の不信任決議が認められ、知事は議会を解散する権利を有している。こうして両者は、一方が暴走しないよう互いに牽制し合うことで、いわば車の両輪としてバランスをとりながら、県民の利益に資することを期待されているのである。
さて、そんな兵庫県民の利益にとって極めて重要な役割をもつ「百条委員会」が、なぜ設置されることになったのか?
ことの経緯を、要点をピックアップしながら、あらためておさらいしてみる。
2、これまでの経緯は?
問題の内部告発文書は、2024年3月12日付の「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」と題された文書で、兵庫県警、報道機関4社、国会議員1名、県議会議員4名の合わせて10の外部通報機関に匿名で郵送された。
それ以降の動きを時系列に沿ってまとめると、以下のようになる。
- 3月15日ごろ、上記の機関がそれぞれに告発文書を受け取った模様
- 3月20日、斎藤知事が同文書を入手(民間の一般人から)
- 3月21日、斎藤知事が片山前副知事、元県民生活部長、元総務部長、産業労働部長に相談
この場で「斎藤知事から徹底的に調査するよう指示された」(のちに片山前副知事が百条委員会で証言) - 3月22日〜24日、告発者探し(メール確認の作業などを通じて元西播磨県民局長の存在が浮上)
- 3月25日、副知事と県人事課長がアポなしで西播磨県民局を訪れ、元局長のパソコンを強制的に押収
- 3月27日、懲戒処分の可能性が高い不適切行為が確認されたとして、3月31日付退職予定者に対する発令を一部取りやめると兵庫県が発表(※元西播磨県民局長は自ら県を退職する意思を固めてから告発文を送付しており、再就職先も決まっていたが、この発令取りやめによって退職・再就職の道は閉ざされた)
斎藤知事は同日の定例記者会見で「(告発文書には)事実無根の内容が多々含まれおり、(中略)業務時間中なのに嘘八百含めて文書を作って流す行為は、公務員としては失格」と厳しく断罪した
すべての発端となった2024年3月の動きをこうして確認してみると、まず率直に感じるのは、斎藤知事が告発文書を入手してから告発者を特定し、その人物に懲戒処分の見込みがあると判断するまでが異様に早い、ということである。
5日目にはパソコンを押収。その2日後には懲戒処分の可能性に言及している。
仮に普通の組織でこうした告発文書の存在が明らかになれば、まずはそこに書かれていることの真偽を確かめる作業に取り掛かるはずで、その過程で告発された側に弁明の機会が与えられるので、まずはそこで自らの潔白を主張し信頼の回復を図る、というのが定石であろうと思うが‥‥。
いきなり権力を笠に着て、ものの1週間で告発者の懲戒処分にまで言及するというのは、身の潔白を主張し難いほど告発の中身が図星であったからなのかと、邪推したくなるほどだ。いや、実際それ以外の理由は考えにくく、告発文書の信憑性を毀損するべく、懲戒処分ありきで個人の特定を急いだと言われても仕方ないだろう。
さて、そこから5月中盤までは、以下のように展開する。
- 4月2日、斎藤知事は告発文書問題の処分について弁護士を入れて調査することを明らかにし、第三者委員会の設置については否定
- 4月4日、元西播磨県民局長は県の公益通報制度を利用して県の窓口に疑惑を通報し、制度を所管する県政改革課が事実関係を調査することになった
- 5月7日、県が人事当局と藤原正廣弁護士による内部調査の結果を公表し、元西播磨県民局長を停職3カ月の懲戒処分とすると発表(懲戒処分の理由として、公用パソコンで2011年から業務と関係のない私的文書を多数作成していたことなどを指摘した)
- 5月8日、記者会見で元西播磨県民局長から4月4日に県の公益通報窓口へ告発文書の提出がなされている現段階で処分した理由を問われた斎藤知事は、「通報以前に行われた本人の行為に対して懲戒処分を行うことを、人事当局と協議しながら判断した。弁護士からも問題がないと見解を聞いているので、それに沿って判断した」と回答
- 5月9日、立憲民主党県議などで構成される会派「ひょうご県民連合」が第三者機関を設置し調査をするよう県に申し入れた(会見で県議らは「調査開始前の段階で知事が『うそ八百』『事実無根』と表明した後、知事の下の職員が内部調査をしただけ」と批判)
この「ひょうご県民連合」の会見以降、各党、各会派でさまざまな議論が巻き起こる。第三者機関の設置が必要と考える会派が多かった一方、百条委員会の設置を唱える議員はまだ少数派だった。
そんな中、事態を動かしたのは5月20日のメディアによる報道だった。
- 5月20日、県の調査に協力した藤原弁護士が斎藤知事の利害関係者であったとの報道がなされる
- 5月21日、県議会議長が全会派の合意を受けて第三者機関による調査を知事に要請し、斎藤知事は第三者機関による再調査を正式表明した
県の調査が利害関係者の協力による「お手盛り」だったことで、県議会は一斉に第三者機関の設置へ舵を切った。
そして6月になり、告発文書に対する「嘘八百」という斎藤知事の主張も揺らぐ事態となる。
これを受けて、ついに百条委員会の設置が決議されるのだ。
- 6月5日、斎藤知事は、告発文にあった一部の記述について、パワハラを否定しながらも「業務に必要な範囲内で注意した」と事実関係を認めた
- 6月13日、県議会は百条委員会の設置を決議
- 6月14日、県議会は「文書問題調査特別委員会(百条委員会)」の第1回目の会合を開催
- 6月27日、県議会は百条委員会の2回目の会合を開催(次回会合に元西播磨県民局長の出席を求めることを決定した際、押収されたパソコン内の本事案に無関係の文書も含めて次回会合で開示しようという意見が出たため、元西播磨県民局長の代理人が県人事課に対して、プライバシーに関わる資料については十分に配慮するよう申し入れた)
そして7月、衝撃的な転換点を迎える。
- 7月7日、元西播磨県民局長の遺体が発見された(「一死をもって抗議する」というメッセージと、百条委員会は最後までやり通してほしい旨が遺されていた)
- 7月10日、兵庫県職員労組が「もはや県民の信頼回復が望めない状況になっている」として、斎藤知事に辞職を求める申し入れ書を提出するも、斎藤知事は会見で「生まれ変わって信頼関係を再構築したい」と述べ、辞職を否定
- 7月12日、片山前副知事が斎藤知事に辞表を提出(片山前副知事がこれまでに5回辞職を促したが斎藤知事はその都度辞職を否定したことが、片山前知事の記者会見で判明)
- 7月24日、告発文書で「一連の不正行為と調整業務で精神がもたず、うつ病を発症した」などと記されていた元総務課長が4月20日に自殺していたことが明らかになった(3ヶ月間も公表しなかった理由について、斎藤知事は遺族の意向とした)
2人の県職員の自死‥‥。
そして事態は、ようやく9月の不信任決議へ向かって動き出す。
- 8月7日、斎藤知事は会見で自らの対応の正当性を主張(「文書は居酒屋などでのうわさ話を集めて作成した」との元局長の生前の供述を強調し、「真実相当性がなく、外部通報の保護要件に当たらない」と繰り返した)
- 9月5日、公益通報に詳しい上智大の奥山俊宏教授が百条委員会に出席(公益通報として扱わずに告発者を懲戒処分としたことは、公益通報者保護法に違反するとの見方を示した)
- 9月6日、公益通報者保護法に詳しい山口利昭弁護士が百条委員会で証言(公益通報者保護法で定められた公益通報に対応する体制整備の義務を果たせていないとして「兵庫県は法令違反の状況が続いている」と指摘した)
一方、この日同委員会で証言した斎藤知事は「文書は公益通報に該当するとは思っていない」と述べた - 9月9日、日本維新の会が斎藤知事の辞職を求める申し入れ書を提出
- 9月12日、自民党と公明党、ひょうご県民連合、共産党の4会派と無所属議員4人が共同で辞職を申し入れ(これにより86人の議員全員が辞職を迫る事態となる)
- 9月19日、兵庫県議会に提出された斎藤知事不信任決議案が、県政史上初めて全会一致により可決
- 9月26日、会見に臨んだ斎藤知事は、同月30日付で知事を失職し、その後行われる出直し選挙へ立候補する旨を表明
その後の展開は、まだ我々の記憶に新しいところであるが‥‥。
11月17日に行われた兵庫県知事選挙で斎藤氏が再選され、知事に返り咲くこととなった。
この選挙に関しては、次の問題点を指摘せざるを得ない。
- 立花孝志氏との2馬力選挙
選挙に立候補した立花孝志氏が「県議会とメディアの陰謀で辞めさせられたが、斎藤さんは辞める必要はなかった」と真偽不明の主張を展開して斎藤候補の応援にまわった - 公職選挙法違反
選挙中のSNS運用などに関して、県内のPR会社に選挙運動の対価として報酬を支払った疑いで、神戸地検と兵庫県警が現在捜査中 - 元県議の自死
百条委員会での活動を巡って、選挙期間中ネット上での誹謗中傷や自宅への無言電話が相次ぎ、知事選の翌日に県議を辞職していた竹内英明氏が、1月18日死亡(自殺と見られている)
竹内元県議の死後も粛々と進められてきた百条委員会は、ついに3月4日に調査報告書をまとめ上げ、3月5日に県議会で可決・了承された。
告発文書の記述は「嘘八百」ではなく、一定の事実が含まれていたと評価し、告発者探しを行なって懲戒処分まで下した県の対応は、公益通報者保護法違反の可能性が高い、と結論づけた。
問題の告発文書が送付されてから、およそ1年。
その間に3人の尊い命を犠牲にしながら、兵庫県議会がようやく得た結論であった。
3、百条委結論に知事は?
それに対する斎藤知事の反応はどうだったのかといえば‥‥。
3月5日、県議会本会議終了後の定例会見で、知事は百条委員会の報告書について「ひとつの見解」との認識を強調し、県の対応は適切だったとの主張を繰り返した。
前述したように(本記事の「1、百条委員会って何?」を参照)、百条委員会の結論は議会の「ひとつの見解」などではない。知事が暴走して県民の利益が損なわれることのないよう、県民の代表としての議会が知事の暴走を止めるために発動する最終手段のひとつなのである。
県議会の意思は県民の意思。この議会制民主主義の根幹を斎藤知事は理解していない。もしくは、理解していないふりをして、事態を切り抜けようとしている。
まるで新しい髪型が似合っていないと友達から指摘された高校生が、それはまあ「ひとつの見解」だけれど、ぼくはこの髪型が好きなので気にしません、と言っているかのようである。
公益通報者保護法違反の可能性について問われた際も、「(報告書の指摘は)『可能性』ということなので、『可能性』というからには他の『可能性』もあるということですから‥‥」と、こちらは高校生どころか、小学校低学年にしか通用しないような屁理屈で言い逃れようとした。
しかし、そんな屁理屈で逃れられる問題でないことは、小学校の高学年以上になれば(ましてやまともな大人なら)誰にでもわかることではないだろうか?
この会見で極め付けと言えるのは、元西播磨県民局長の公用パソコンの中身に自ら踏み込み、「倫理上極めて不適切な、わいせつな文書を作成されていた」などと発言したことだ。記者からは「死者に鞭(むち)打つのか」「人の命をなんだと思ってるんだ」などの声が上がったが、「公用PCですから、県民の皆さんの(税金で購入している)パソコンの中にあった文書が、業務時間中に業務と関係ないことをされていたということですから‥‥」と少しも怯むことなく、県民から要請があれば公用パソコンの中身を公開する可能性にまで言及した。
しかも、(他の記者の質問でわかったのだが)たったいま「わいせつ」と断定したその文書を、自分の目では見ていないというのだから驚きである。
パソコンの中身を公開する際には、ぜひ知事の公用パソコンの中身も公開して欲しいものだが‥‥。
そしてこの「わいせつ」発言には、「故人に対する名誉毀損」との専門家の指摘もあることを付け加えておくが‥‥。
いずれにしても、この会見ににじみ出た斎藤知事の体質というか、特徴的な思考回路‥‥。
それこそがこの問題の本質であると、指摘せざるを得ないのである。
4、問題の本質は何か?
仮に‥‥、仮にである。
告発文書の作成者が、過去に世間から後ろ指を指されるような行為をしていたとしよう。
その人物には、公益通報をする権利がないのだろうか?
答えはもちろん、否である。
いかがわしい人物の通報だから公益通報でない、という理屈はない。
斎藤知事の会見を見ていると、空恐ろしい気分に襲われる。
論理を歪めて、自分にとって都合のいい主張を通す‥‥あるいは、論理をすり替えて自分への批判を回避する、と言った方がいいだろうか?
そうした思考回路が、まるで体質のように常態化している。
記者の追求をかわし続けた件(くだん)の会見では、「最終的には県民がどう思うか」と嘯(うそぶ)いて見せた知事‥‥。その言葉の裏には、「自分が先の知事選挙で県民から選ばれたという事実を忘れるなよ」との意図がにじむ。
ところで、この選挙について、先ほど筆者が指摘した三つの問題点をあらためてご覧いただきたい。
- 立花孝志氏との2馬力選挙
選挙に立候補した立花孝志氏が「県議会とメディアの陰謀で辞めさせられたが、斎藤さんは辞める必要はなかった」と真偽不明の主張を展開して斎藤候補の応援にまわった - 公職選挙法違反
選挙中のSNS運用などに関して、県内のPR会社に選挙運動の対価として報酬を支払った疑いで、神戸地検と兵庫県警が現在捜査中 - 元県議の自死
百条委員会での活動を巡って、選挙期間中ネット上での誹謗中傷や自宅への無言電話が相次ぎ、知事選の翌日に県議を辞職していた竹内英明氏が、1月18日死亡(自殺と見られている)
このうち「A」については‥‥立花氏と共謀はしていない。
「B」については‥‥公職選挙法に違反したという認識はない。
とまあ、斎藤知事のコメントは例によって例のごとしであるが‥‥。
この2点については、「共謀していない」とか「違反した自覚はない」ということで批判を免れる性質のものではない。問われているのは、「選挙が公平・公正に行われたか」という点だからだ。
はっきりと言わせて貰えば、先の知事選は公平・公正な選挙ではなかった。
なぜなら、すべての候補者が2馬力選挙を行なったわけではなく、また、すべての候補者が公職選挙法違反の疑いがある選挙運動をしたわけでもないからだ。
そのふたつの行為をしたのは、斎藤知事ひとりだけなのだ。
民主主義の根幹は選挙である。
そのことは誰もが知っているし、誰もがそう思っていると思う。
しかし、当たり前のことだが、それはただの「選挙」ではなく、「公平・公正な選挙」でなければいけない。
決して「公平・公正」とは言えないやり方で選挙に勝って、そのことは棚に上げて「自分は選挙で選ばれた」と胸を張るのは、自分に都合のいい理屈だけを都合よく採用する、という便利な思考回路のなせる技だ。
そう考えていくと、同じような思考回路で世界中をかき乱している人物のことが頭に浮かぶ。
本当は自分の政権、つまり自分の地位を守るためなのに、国家のためと称してウクライナへ多くの国民を送り込んだプーチン。
大手メディアの報道によれば、彼(か)の国の大統領選挙では、投票所に銃剣を持った兵士が立ち、誰に投票したかがわかるよう透明の投票箱に投票用紙を入れるのだそうだ。「選挙の透明性」というジョークで済まされる話ではない。
そんなふうに国民を脅して投票させて、自分は選挙で選ばれた大統領だと嘯(うそぶ)き、ウクライナの大統領は何年も選挙をしていないから正当性がないと主張する。独裁者らしいやり方である。
知事選挙に話を戻すが、斎藤候補を応援する立花候補は、「元西播磨県民局長が10年で10人と不倫して、不同意性交もしていた」などと選挙戦で主張した(のちにその情報が誤りだったと自ら認めた)。公用パソコンに保存されていたと主張する情報を、SNSや動画サイトで公開する暴挙にも出た。
いずれもその時点で真偽不明の情報だが、斎藤候補は選挙戦が終わるまで何も言わなかった。告発文書の中身をいち早く「嘘八百」と断じておきながら(そして、その後一部事実であることを自らも認め、百条委員会でも一定の事実があったと認定されたのだが)、自分に都合のいい立花候補の情報は、真偽不明にもかかわらず「嘘八百」と咎めることなく、拡散するに任せていた。
結果的にデマが拡散し、県民の投票行動に影響した。
脅して投票させるのも、騙して投票させるのも、「公平・公正」に投票させていないという点で同じことである。
こうしたことの裏側には、自分の利益が最優先というもうひとつの特徴的な思考回路が働いていることは明白だ。
ここまで指摘してきた「思考回路」を箇条書きにして並べて、最後に「他人の命をなんとも思わない」という項目を付け加えてみると以下のようになる。
- 論理をすり替えて自分への批判を回避
- 自分に都合のいい理屈だけを都合よく採用
- 国民の利益より自分の利益が最優先
- 他人の命をなんとも思わない
彼(か)の国の独裁者のことを指していると、誰しもが思うのではないだろうか?
斎藤知事は独裁者体質ゆえに告発され、
独裁者的手法で「告発者つぶし」を行ない、
その結果知事の職を失って、
出直し選挙でまたしても‥‥
これが問題の本質、という気がしてならない。
3月5日の会見の終盤、ある記者は「私はあなたの人間性を問うているんだ」と声を荒げたが、その気持ちは痛いほど理解できた。
まさかその記者が、「あなたの人間性は独裁者そのものだ」と言いたかったとは思わないが‥‥。
5、これからどうなる?
① 第三者委員会と県議会の動きは?
百条委員会の結論が出たいま、県議会の各会派は、3月末とされる「第三者委員会」の結果を待っている状態だ。
議会の一部には、「百条委員会の調査報告が出たあとに県議会が不信任を決議し、そのあとに知事選が行なわれていれば(昨年11月の)斎藤知事の再選はなかったはずだ」との見方もあると伝わる。
いまは言ってみれば、嵐の前の静けさ。
第三者委員会の結果次第では、あるいは、その結果に対する斎藤知事の反応次第では、一気に「斎藤おろし」が再び吹き荒れる可能性もあるだろう。
ここしばらくは、第三者委員会と兵庫県議会から目が離せない日々が続く。
② ”オールドメディア”に望むこと
いずれにしても、斎藤知事が自ら職を辞さない限り、県議会との緊張関係は継続するだろう。
知事と議会の見解が割れている以上、最終的には県民の信を問うことが必要だ。
場合によっては、「再びの不信任決議 → 県議会の解散」、そこから県議会選挙を経て、「三度目の不信任決議 → 三度目の知事選挙」の線も、現実味を帯びてくる‥‥。
そして懸念されるのは、デマと扇動と誹謗中傷の「荒れた選挙」が繰り返されることだ。
ロシアの選挙は言うに及ばず、ナチス・ドイツの台頭の過程やトランプ大統領の返り咲きのプロセスを見れば、そうした「荒れた選挙」が民主主義を機能不全に陥れることは明らかだ。
私見だが、それを防ぐための鍵となるもの、それはいまや”オールドメディア”と揶揄されることも増えたテレビや新聞などの報道機関だ。
SNSや動画共有サイトに比べて、選挙で役に立たない、参考にされない、とすっかり見下されてしまった感のあるこれらのメディアだが、確かに斎藤知事が再選を果たした11月の知事選では、選挙期間中に目立った報道はなかったと言っていい。
特にテレビの報道は極端で、あれだけ連日「兵庫県政の混迷」を大々的に伝えてきた中で、選挙戦に突入するやピタッと報道が止んだように見えた。
それには理由があって、テレビの場合は放送法によって「不偏不党」、つまり政治的に中立で公平な放送を求められている、という事情がある。その上で、放送法の規定に則って各社が定めた自主規制というものがあって、選挙期間中に特定の候補者が不利になるような報道はできないのだ。
しかし、選挙が始まった途端に黙り込んだテレビは、これまでの報道がやり過ぎだったと反省している姿にも見え、「県議会とメディアの陰謀による知事たたき」という立花氏の真偽不明な主張が受け入れられる土壌を提供した、とも言える。
立花氏に反論しないメディアは、「陰謀」に加担していたことを認めた、と思われても仕方がなかった。
過去を振り返ることはやめよう。
しかし、これから先もこんな選挙が繰り返されれば、日本に独裁者が誕生しかねない。
一度でも選挙に勝てば、あらゆる手を尽くして権力を握り続ける‥‥そんな彼らにとっては、デマでも誹謗中傷でも、どんな卑怯な手を使ってでも選挙に勝ちさえすればいいのだから。
独裁者を利するメディアとなるか、それとも民衆のためのメディアとなるか。
”オールドメディア”にとっては、いまが運命の分かれ道だ。
デマに騙されるような有権者が悪い、などと突き放さないでほしい。
地方政治のこと、と軽く見るのはやめてほしい。
プーチンの政治キャリアの始まりはサンクトペテルブルク市の副市長から、という事実を忘れてはならない。
日本における民主主義の弱体化を憂う一市民として、心ある”オールドメディア”には、来たる選挙で次のような取り組みを期待したい。
- すべての候補者の主張を、公平・中立の立場で、厳しくファクトチェックする
- その結果を、公平・中立の立場から、選挙戦の期間を通して連日放送し続ける
- テレビを見ない人々のため、公平・中立の立場から、同じ内容をSNSでも拡散する
「真偽不明の情報」に関しては、それは真偽不明だ、デマの可能性もある、信じない方がいい、と有権者に伝える努力を怠らないでほしい。たくさんの情報が集まる報道機関なら、労力をかければやれるはずだ。
大きな方針転換となるので波風は立つだろうが、”オールドメディア”と揶揄されている時点で、すでに波も風も被って難破船状態と知るべきだ。
考えてみてほしい。
放送法が「不偏不党の放送」を求めているのは、特定の勢力に肩入れする放送によって、「公平・公正な選挙」が妨げられる事態を危惧しているのだ。
デマによる煽動を防ぐため、「公平・公正な選挙」を実現するために、「不偏不党・中立・公平」の立場から厳しくファクトチェック(事実確認)するのは、放送法の精神にも合致している。
トランプがメディアによるファクトチェックを嫌ったように、一部の候補者からは猛烈な抗議を喰らうだろう。「選挙妨害」とか「表現の自由の侵害」などと訴えられる可能性も高い。
しかし、独裁者体質の持ち主から訴えられないメディアの方が、メディアとしてヤバいのだ。
たとえ裁判になったとしても、恐れることはない。
「不偏不党・中立・公平」にチェックし放送していることを、証拠を揃えて正々堂々と主張すればいい。
メディアにだって、表現の自由と報道の自由がある。
心ある報道セクションのスタッフ、そして心あるメディアの経営陣には、そのことをぜひ一考してもらいたい。
民主主義の崩壊と独裁者の誕生を、指をくわえて見ているよりはずっとマシだ。
そう思うのだが、いかがだろうか?
6、まとめ
- 斎藤知事は独裁者体質のため告発された
- 斎藤知事は独裁者的手法で告発者潰しを行なった
- その結果議会の反発を招き、失職した
- しかし出直し選挙は「公平・公正な選挙」ではなかった
- そして再び議会と見解がわかれたいま、斉藤知事の去就が注目される
- 今後の選挙では、有権者がデマや偽情報に影響されて選挙結果が歪められないよう、「公平・公正な選挙」の実現のために、”オールドメディア”には本来の機能をしっかり果たしてもらいたい(偽情報としっかり戦ってもらいたい)
最後に、民主主義と独裁者について考える際、忘れてならない映画を2本ご紹介したいと思う。
日本では放送は「不偏不党」を求められているが、アメリカでは共和党・レーガン政権時代の1987年に「放送の公平原則(フェアネス・ドクトリン)」が撤廃され、保守的な政治信条だけを宣伝する保守系メディアが数多く誕生した。この時代以降に見られる偏向報道の増加が、トランプ政権の誕生につながるアメリカ社会の二極分化=「分断」を主導したことは明白だ(SNSの普及がそれをさらに加速させた)。
1本目の映画は、レーガン政権下でそんなフェアネス・ドクトリンの廃止に力を注ぎ、のちのブッシュ政権(第43代)で「陰(かげ)の独裁者」と呼ばれた共和党の重鎮ディック・チェイニーの生涯を描いた作品。
2本目は、ナチス・ドイツのヨーロッパ侵攻に対してリアルタイムでナチスを風刺し、批判した、映画史に残る不朽の名作だ。
未鑑賞の方は、ぜひご覧いただきたい。
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