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『ファーザー』レビュー☆人生の最後に望むもの

(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020
その他の森

シンプルなタイトルの映画です。
第93回アカデミー賞で、作品賞を含む6部門でノミネートされ、主演男優賞と脚色賞を受賞しています。


  • 『ファーザー』
  • 脚本
    フローリアン・ゼレール/クリストファー・ハンプトン
  • 監督
    フローリアン・ゼレール
  • 主な出演
    アンソニー・ホプキンス/オリヴィア・コールマン/オリヴィア・ウィリアムズ/イモージェン・プーツ
  • 2020年/イギリス・フランス/97分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

高齢のアンソニーはロンドンのアパートにひとり暮らし。
娘のアンが時々様子を見にきていたが、パリへ引っ越すことになったのでもう来られない、と告げられる。アンソニーは初耳だったが、アンは前から伝えてあると言い張る。それもあって少し前から通いのヘルパーに来てもらっていたのだが、アンソニーがヘルパーを追い出してしまい、アンの計画は振り出しに戻ってしまった。そのことで、責めを負うアンソニーだった。

パリへ引っ越す理由を尋ねると、いい出会いがあったからだとアンは言う。
お前が? 男? 確か前にも‥‥、と思い出せないアンソニー。
ジェームスのことね、とアン。今度の人はパリに住んでるの。大事な人なの。
つまりお前は私を見捨てるんだな。
とにかくこの次のヘルパーは追い出さないで、と言い残してアンはアパートを出て行った。アンソニーは、薄情な娘が去っていくのを見送るしかなかった。

同じ日の夕方、アンソニーがキッチンでラジオを聴いていると、ドアが開く音がした。誰かが入ってきたのだ。
アン?
思い直した娘が戻ってきたのかと思って見に行くと、リビングに見知らぬ男が座っている。アンソニーを見るとその男は言った。
調子はどうですか?
君は誰かね? アンの知り合い?
そう尋ねるアンソニーに、男は言った。
僕は彼女の夫です。
一体どういうことだ? 理解できないアンソニー。

そこへ、買い物をしていたアンが帰ってきた。と思ったが、それは見知らぬ女だった。アンはどうした、アンはどこだ、と尋ねるアンソニー。だがその女は、私はここよ、どうしたの? と覗き込むようにこちらを見るばかりだった‥‥。

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☆斬新な企画、そしてアンソニー・ホプキンスの名演

ほぼ物語の全編がアンソニーのアパートを舞台に展開します。
アンソニー以外の主な登場人物は娘のアン、その夫、新しいヘルパーの3人です。ですが、その3人にそれぞれ2人ずつの俳優が割り振られていて、シーンによって入れ替わります。その度に年老いたアンソニーは狼狽し、混乱し、不安に陥ります。

そんな自分と同名、同年齢のアンソニーを演じるのは、もちろん名優アンソニー・ホプキンス。娘への愛情から怒り、疑惑、恐怖、不安とさまざまな感情を表現し、誰よりもたくさんの台詞をこなし、ほぼ出ずっぱりで演じ切ります。まさに名演といえるそのパフォーマンスに、いつしか芝居であることを忘れ、ドキュメンタリーでも観ているような錯覚に陥り、彼と共に狼狽し、混乱していく自分に気づきます。

認知症を患う父親と娘の話ですが、すべてを父親の目線で描くことで、観る者に認知症の症状を疑似体験させるような構成と演出になっています。一体この人物は何者で、何が真実か、と考えながらシーンを追っていくことになるのですが、それはそのまま認知症の人が日々感じていることとほぼ同じなのだと、やがて気づきます。

大変興味深い、新鮮な体験を提供してくれる映画です。
小説など文字媒体ではなかなか難しい手法ですが、演劇や映画ならではの強みをうまく生かした企画だと思います。
そういう意味では、映画・演劇好きを自認する人にとっては必見の作品だと言えるでしょう。

本作の演技で、アンソニー・ホプキンスはアカデミー主演男優賞を受賞しています。『羊たちの沈黙』(1991年)でレクター博士を演じて以来30年ぶりの主演男優賞受賞で、同部門の最年長受賞者となりました(本作を一緒に観た妻のモリコッチは、アンソニーが深刻な顔をしているとき、うわー、めっちゃ脳ミソ食べそー、と感想を漏らしていましたが、レクター博士はそれくらいインパクトのあるキャラクターでした)。

「ファーザー」DVD宣材写真
(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020

☆すべての葉っぱを失っていくような人生の終末

とても広くて立派なアパートメント(というのはアメリカの言い方で、イギリスではフラッツ=flats というようで、本作でもフラッツという単語がよく出てきます)に住んでいるアンソニーですが、これは自分の家だ、と何度も主張します。娘のアンが夫を連れて勝手に転がり込んできて、この家を乗っ取ろうとしている、と口走ったりします。
家を所有しているということ、あるいは、この家が誰の所有かということに、大変強いこだわりがあるように見えます。

「家」と同様よく話題に出てくるのが、アンの妹の話です。
ルーシーという名で画家をしているその妹の方が、アンよりも心を許せたとアンソニーは語ります。画家として世界中を旅していて、もう何年も会っていない。とても会いたい。そう、口癖のように繰り返します。
彼女の描いた絵が暖炉の上に掛かっているのですが、ある朝目覚めると、なぜかその絵は消えてしまっています。

すべての葉っぱを、失っていくようだ。
これは、ラストシーンでアンソニーがつぶやく台詞です。そのときアンソニーは、小さな子供のように泣いています。さまざまな記憶をなくしていく自分を、葉っぱを落とした枯れ木のようにイメージしているのです。あるいは、暴風雨にさらされて葉っぱを失っていく哀れな古木‥‥。

ヘルパーの女性が、彼に寄り添いながら言います。

まず着替えましょう。
着替えたら、公園を散歩しましょう。
気持ちのいい日だから、木や葉っぱを見て歩きましょう。
そして散歩から戻ったら、何か食べましょう。
食べ終わったら、少しお昼寝するの。
目覚めたとき気分がよかったら、また公園へ行きましょう。
いいお天気だから、せっかくの太陽を楽しまなくちゃ。
晴れの日は続かないから。

窓の外には、その公園の木々が見えています。太陽に照らされ、青々と葉を茂らせて、悠然と青空に向かって枝を伸ばしています‥‥。

深い余韻に包まれて、エンドロールが流れます。
その余韻の中でモリゾッチが漠然と思ったのは、人生の最後に望むものは何だろうか、ということです。人生の最後に、これだけはあってほしいと思うものは、何だろうか?

もちろん、すべての人がアンソニーのように記憶をなくしてしまうわけではありません。
でも、記憶があってもなくても、残っている記憶がたくさんでも少しでも、人生の最後に大事だと思うことは、みんな大体似ているのかもしれない。
そんなことを思ったのです。

それは多分、家を持っているとか、自分が何を所有しているとかいうことではなくて、自分といい関係だったのは誰でそれほどでもなかったのは誰だ、というようなことでもない気がします。
そういうことが大事な時期は多分あるでしょう。けれども人生の最後には、そういうことは果たして意味があるのか?

自分や自分の家族が、アンソニーのように認知症を患うことになるかもしれません。そのときに備えるために、最善の方法は何だろうか?
記憶が残っていても、残っていなくても、人生の最後の最後に大切だと思うもの。それが究極の大切なもので、もしそれが何かわかるなら、今からそれを大切にして生きていこう。それが後悔することの一番少ない、つまり最善の道ではないのか‥‥。

太陽と公園。

この映画で提示された、究極の大切なものです。
もちろんこれが唯一の答えではなく、一例として提示されたものだと思います。
多くの人の身近にあって、身近だけど、それが実は幸運なことで、ありがたいことだ‥‥ということの一例として。

これが一例だとすれば、自分はそこに「家族」を足そう。
晴れた日に家族で公園を散歩する。
そういう時間を大切にして生きていこう。そういう時間を持てる幸せを、ちゃんと感じて生きていこう。
エンドロールの間、ずっと頭の中を巡っていた漠然とした感慨は、言葉にすると、大体そういうことだったように思います。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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