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『めぐりあう時間たち』レビュー☆幸せの形は人それぞれ

©︎ 2002 Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.
その他の森

3つの時代を生きる3人の女性の物語が、ラストへ向けてひとつのテーマに収斂していく‥‥。第75回アカデミー賞で9部門にノミネートされ、ニコール・キッドマンに主演女優賞をもたらした文芸作品をご紹介します。


  • 『めぐりあう時間たち』
  • 脚本
    デヴィッド・ヘアー
  • 監督
    スティーブン・ダルドリー
  • 主な出演
    ニコール・キッドマン/ジュリアン・ムーア/メリル・ストリープ/エド・ハリス/スティーヴン・ディレイン
  • 2002年/アメリカ・イギリス/115分

※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

☆あらすじ

ロンドン郊外の田舎町リッチモンド。
心を病んだ作家ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、夫レナード(スティーヴン・ディレイン)と退屈な療養生活を送っている。

ロンドンから姉のヴァネッサとその3人の子供たちが訪ねてくるという朝、彼女は次の小説の構想を思い立つ。彼女の心は、小説の中で主人公を殺すというアイデアに支配されていた。
1923年のことである。

1951年のロサンゼルスに暮らすのはローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)。
元軍人の優しい夫と小さなひとり息子に恵まれ、彼女のお腹の中には第二子が‥‥。絵に描いたような幸福な家庭を築いた彼女だが、この日は朝から気分が虚(うつろ)だった。

今日は夫の誕生日。
彼が出かけたあとバースデーケーキを作り終えると、彼女は不意に小さな息子リッチーを友人に預けて、車でホテルにチェックイン。ひとりでベッドに横になると、バッグの中から大量の睡眠薬をぶちまけた。

編集者のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)が生きているのは、2001年のニューヨーク。
今日は詩人で小説家の友人リチャード(エド・ハリス)を励ますため、自分が主催したパーティーの日。慌ただしく準備を進める彼女に、彼は言う。「そのパーティーは誰のため?」と。

10代の頃恋人同士だったクラリッサとリチャード。
しかし、その後彼女を捨てて同性のパートナーを選んだリチャードは、いまはエイズを患い、薬の影響か心までも病んでいた。
彼は不意に高層階にある部屋の窓を開け、彼女の目の前で飛び降りようとするのだった‥‥。

出典:DVDパッケージより

☆V・ウルフの小説がモチーフ

この映画の原作は、アメリカの作家マイケル・カニンガムが1998年に発表した『めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人』(原題は『The Hours』)という小説です。ヴァージニア・ウルフの代表作とされる『ダロウェイ夫人』(1925年)をモチーフに、作者であるヴァージニア・ウルフの人生と、別々の時空に生きる2人の女性の人生を対比させて、人の生と死を見つめようとする作品です。

イギリスの小説家、評論家であるヴァージニア・ウルフは、1941年に自ら59年の生涯を閉じていますが、本作のトップシーンは、このヴァージニア・ウルフの入水自殺の場面です。自殺未遂を何度も起こしている彼女。襲いくる心の病にもはや太刀打ちはできないと、コートのポケットに重い石を詰め込んで、川に入っていきます。

そんな生きづらさを抱えた女流作家を演じているのは、ホノルル生まれのオーストラリア人女優、ニコール・キッドマン。

『デイズ・オブ・サンダー』(1990年)でトム・クルーズと共演して結婚。実在の事件を題材とした『誘う女』(1995年)、スタンリー・キューブリック監督の遺作となった『アイズ ワイド シャット』(1999年)など話題作への出演が続き、『ムーラン・ルージュ』(2001年)では歌とダンスも絶賛されて‥‥。翌年公開の本作で、ついにオーストラリア人女優として初めてアカデミー主演女優賞を獲得しました。

トップシーンのあとすぐに時間はさかのぼって、1923年のある1日を描いていくのですが、何気ない日常の中に、繊細で気難しい女流作家の狂気のような感性を漂わせて、それまでの出演作とはまったく別次元のパフォーマンスを見せています。

そのパフォーマンスに一役買ったと思われるのは、ヴァージニア・ウルフの特徴的な風貌を再現した特殊メイク。
言われなければ、演じているのがニコール・キッドマンとは誰も思わないでしょう。演技とメイクの相乗効果。その最たるものではないでしょうか。

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☆見どころは3大女優の競演

3人の女優の中で一番のベテランであるメリル・ストリープは、最も若い(最近の)時代の女性を演じています。オランダ移民の子孫である彼女は、『ディア・ハンター』(1978年)で映画のキャリアをスタートさせると、『クレイマー、クレイマー』(1979年)、『ソフィーの選択』(1982年)、『愛と哀しみの果て』(1985年)、『マディソン郡の橋』(1995年)と、華々しい活躍を続けてきました。

本作以降も『プラダを着た悪魔』(2006年)、『マンマ・ミーア!』(2008年)、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2012年)、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年)など、実に幅広い作品で深みのある演技を披露し続ける、まさにハリウッドを代表する女優のひとりです。

本作で彼女が演じるクラリッサは、10代の頃のリチャードとの恋に敗れて以降、人工授精でひとり娘をもうけ、同性のパートナーと娘との3人暮らしを続けている編集者。ちなみにクラリッサという名前は、小説『ダロウェイ夫人』の主人公のファーストネームと同じです。

仕事のかたわら、いまも甲斐甲斐しくリチャードの世話を焼き、忙しく日々を過ごしていますが、心は満たされていません。彼を励ますためのパーティーが、実は自分の心のすき間を埋めてくれている。そのことを自覚しているからこそ、「パーティーは誰のため?」と彼から言われるとひどく落ち込んでしまう‥‥。そんなクラリッサの淋しい現実を、大袈裟ではなくサラリと、しかし的確に表現していきます。

ヴァージニアとクラリッサの中間の時代を生きるローラは、この物語の鍵を握る人物。演じるのは、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジュリアン・ムーア。
傍(はた)から見れば幸せの頂点にあるかのような暮らしの中で、密かに生きづらさを抱える若い母親を、繊細に、ミステリアスに演じています。

『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)、『ハンニバル』(2001年)で脚光を浴び、本作と同年の『エデンより彼方に』(2002年)、それ以降も『アリスのままで』(2014年)、『ハンガー・ゲーム FINAL : レジスタンス』(2014年)、『グロリア 永遠の青春』(2019年)など印象的な活躍が続いている実力派です。

昨年の暮れに大谷翔平選手のドジャースへの移籍が決まった頃、ムーキー・ベッツ、フレディ・フリーマンとの「MVPトリオ」結成と盛んに囃し立てられましたが(この記事は2014年7月に書いています)、本作はこの3人でアカデミー主演女優賞を4回受賞と、さしずめ「主演女優賞トリオ」の揃い踏み、といったところでしょうか(本作以降の受賞も含んでいますので、2024年のいまだから言えることですが)。

いずれにしても、非常に質の高い3大女優の競演であることは、誰もが認めるところだと思います。

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☆投げかけられる重い問い

そんな主演クラスの3人の女優を起用して、3つの年代の独立したエピソードをカットバックさせながら進んでいく映画。なんの疑いもなくそう思い込んで観ていくと、最終盤で2つのエピソードが交わって、ひとつのつながった物語であったことを不意に知らされます。

どういうことでしょうか?

リチャードが窓から身を投げて死んだ日。
打ちひしがれているクラリッサの家を、夜も遅い時間になって訪ねる人がいます。それは年老いたローラ。
彼女は実はリチャードの母。つまり、あの日ホテルで死んでしまおうとしたとき、彼女が友人に預けた幼い男の子が、リチャードだったのです。

あのとき小さなリチャードは、母がもう帰ってこないのではと感じて、大声で車に乗り込む母を呼びました。行かないで、と叫びました。母の友人を振り払って、全力で追いかけました。しかし、母の車は走り去っていきました。

両親からリッチーという愛称で呼ばれた彼の人生は、そんなふうに始まっていったのです。

ローラはなぜ死のうとしたのでしょうか?
実はあの日の昼間、キティという、同じように元軍人を夫にもつ友人が訪ねてきました。子宮の腫瘍のために入院すると伝えにきたのですが、「子供を産まなければ女じゃない」と泣き始めるキティを、ローラは抱き締め、そして口づけします。

秘めてきたキティへの想いが、抑えきれなくなった瞬間でした。

ローラは無骨な夫を好きになれず、男性と結婚して子供を産んで‥‥という普通の女性の人生を、受け入れることができませんでした。自分は死んだも同然。いつもそう感じていました。
そして口づけが体よく無視されたとき、生きていることに意味はないとローラは感じたのです。

彼女の愛読書は、『ダロウェイ夫人』でした。

その作者であるヴァージニアが熱烈に口づける相手は、姉のヴァネッサでした。
3人の子供を連れてリッチモンドへ訪ねてきた姉との別れのシーン。誰も見ていない瞬間に、ヴァージニアの想いが溢れ出します。ヴァネッサも一瞬その想いを受け止めますが、やがてなだめるように妹を押し返して、去っていきます。

ヴァージニア・ウルフは実際に、作家で詩人のヴィタ・サックヴィル=ウエストという女性と同性愛関係にあったことが知られていて、小説『オーランドー』(1928年)はそのヴィタをモデルにした作品と言われます。
また一説によれば、ヴァージニアと姉のクラリッサは幼い頃に異父兄たちから性的虐待を受けていたとされ、繰り返し現れる心の病をそのことと結びつける研究もあるようです。

そんなヴァージニアもまた、田舎町リットモンドでの自分は死んだも同然、と思っていました。
姉が帰ってしまったあと、こっそり屋敷を抜け出して、ロンドン行きの列車に乗ろうと駅へ向かいます。しかし、駅のホームにいるところを夫に見つかって‥‥。

戻ろうと説得する夫に、彼女は感情をぶつけます。
こんな人生は自分の人生ではない。自分の人生は、刺激に満ちたロンドンにこそある。こんな息の詰まる暮らしをするくらいなら、自分は死を選ぶ。

ただ、その刺激に満ちたロンドンでの暮らしが彼女の病をここまで悪化させたことも、紛れもない事実なのでした。
ロンドン行きの列車がホームに入ってくると、ヴァージニアは観念したように立ち上がります。そして列車にではなく、屋敷に向かって歩き出すのでした。

一方、ホテルのベッドに横になって睡眠薬をぶちまけたローラ。死をイメージした瞬間、ベッドの下から大量の水が湧き出して、ベッドごと彼女を飲み込もうとするシーンは、イメージカットとわかっていてもドキッとします。ヴァージニアの入水自殺を思い出さずにはいられません。

しかしローラは結局思い留まり、ヴァージニアは小説の中で主人公を殺すのをやめます。
自殺するのは誰か他の人。
主人公であるダロウェイ夫人の生を引き立たせるため、他の誰かが自殺するのだと、夫に語ります。

本作の中で自殺するのは、エイズに侵されたリチャード。

自殺を思い留まった母ローラは、しかしお腹の中の第二子を出産したあと、夫と2人の子供を捨てて家を出てしまいます。年老いたローラはそのときのことを振り返って、「私は生を選んだ」とクラリッサに語るのです。
捨てられたリチャード。

彼は、自分の人生を受け入れることができたのでしょうか?

実は多くの人にとって、自分の人生を受け入れることは、かなりの難事業だと思います。
最近聞くようになった「親ガチャ」という言葉もそうですが、考えてみれば私たちは、家柄や境遇はもちろん、自分の容姿や性格や、頭の良さや運動能力、性別や性的嗜好まで‥‥、何ひとつ自分で選ぶことができずに、生きていかなければいけない運命にあります。

「個」の概念が早くから発達したヨーロッパでは、この難事業に取り組む苦しみが、文学のテーマになることも多かったと思います。ヴァージニア・ウルフも、生涯その苦しみと戦い続けた人なのかもしれません。

日本では、1979年に荒井由実がペンネームでこう書きました。

For myself, for myself
幸せの形に こだわらずに
人は自分を 生きてゆくのだから

呉田軽穂「あの頃のまま」より
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リチャードといると、生きてるって感じるの。

これは、本作でダロウェイ夫人と同じファーストネームを与えられたクラリッサが、人工授精で産んだ娘に言うセリフです(リチャードはこのときまだ生きていました)。彼女はそれに続けて、「でもいっしょにいないと、すべてのことがとてもくだらなく思える」とも言います。

彼女には、この娘と同性のパートナーとの3人の暮らしがあるのですが‥‥。その暮らしは死んだも同然、と言わんばかりの母の態度に娘はムッとするのですが‥‥。

そんなクラリッサが、「私は生を選んだ」というローラの話を聞き、眠りにつく前。
同性のパートナーに優しくキスをして、明かりを消しながら、愛おしそうに部屋を眺める彼女の顔。
そこにうっすらと浮かぶ静かな微笑み‥‥。

そんなラストは、観る者の心を少しだけ軽くしてくれます。
人生を上手に受け入れられる夜もある。
だから、私たちは生きていけるのですね。

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モリゾッチ

モリゾッチ

10代からの映画熱が高じて、映像コンテンツ業界で20年ほど仕事していました。妻モリコッチ、息子モリオッチとの3人暮らしをこよなく愛する平凡な家庭人でもあります。そんな管理人が、人生を豊かにしてくれる映画の魅力、作品や見どころについて語ります。

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