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『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』レビュー☆本当の自分は悪なのか?
賛否渦巻く公開から5年ほどが過ぎました。
スター・ウォーズとはいったい何だったのか?
あらためて考えてみたいと思います。
- 『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』
- 脚本
J・J・エイブラムス/クリス・テリオ - 監督
J・J・エイブラムス - 主な出演
デイジー・リドリー/アダム・ドライバー/ジョン・ボイエガ/オスカー・アイザック/キャリー・フィッシャー/マーク・ハミル/ハリソン・フォード - 2019年/アメリカ/142分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
銀河帝国の残党が結成した軍事組織ファースト・オーダーの最高指導者となったカイロ・レン(アダム・ドライバー)は、30年前のエンドアの戦いで滅ぼされたはずの銀河帝国皇帝パルパティーンが実は生きていて、ファースト・オーダーを陰で操っていたことを知る。
パルパティーンは30年前の死の瞬間、銀河系の未知領域にある惑星エクセゴルに用意していた自身のクローンに魂を飛ばすことで、死を免れていたのだった。
パルパティーンはレンに、レイ(デイジー・リドリー)を殺せば銀河最強の大艦隊「ファイナル・オーダー」の指揮権を与えるとささやいた。
その頃レイは、ファースト・オーダーの恐怖の支配に抵抗するレジスタンスの指導者レイア・オーガナ将軍(キャリー・フィッシャー)のもとで、ジェダイとしての修行に励んでいた。
敵陣にいる内通者からもたらされた「パルパティーンは生きている」という情報に触れ、いてもたってもいられなくなるレイ。
ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)やフィン(ジョン・ボイエガ)とともに、パルパティーンがいるとされる惑星エクセゴルを探す旅が始まったのだが‥‥。

☆賛否渦巻く三部作の完結編
遠い昔、はるか彼方の銀河系で‥くり広げられるスペースオペラ。
1977年に発表された第1作から実に42年の時を経て、全9作品からなるシリーズが完結しました。
第1作の華々しい成功を受けて、ジョージ・ルーカスは「9本の映画からなる3つの三部作」で構成される壮大なシリーズである旨を発表。その後「9本ではなく6本で完結」と主張を変えた時期もありましたが、紆余曲折を経て結局9作品が公開されることとなりました。
公開順に並べてみると、以下のようになります。
なお、「スター・ウォーズ」という全作品に共通のタイトルは省略し、代わりに9作の中の(時系列でいうと)何番目のエピソードなのかを表示しています。
- 旧三部作
『エピソード4/新たなる希望』(1977年)
『エピソード5/帝国の逆襲』(1980年)
『エピソード6/ジェダイの帰還』(1983年) - 新三部作
『エピソード1/ファントム・メナス』(1999年)
『エピソード2/クローンの攻撃』(2002年)
『エピソード3/シスの復讐』(2005年) - 続三部作
『エピソード7/フォースの覚醒』(2015年)
『エピソード8/最後のジェダイ』(2017年)
『エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』(2019年)
旧三部作と新三部作の6本すべてで制作総指揮を務めたジョージ・ルーカスは、そのうち4本で監督も兼任。まさにシリーズの生みの親として、この映画界随一の人気企画を長年牽引してきましたが、彼の会社ルーカスフィルムが2012年にウォルト・ディズニー・カンパニーに買収されたことで、シリーズの権利はディズニーへ。
続三部作は、そのディズニーのもとで作られた作品。
ジョージ・ルーカスが制作総指揮からはずれ中身にタッチしなくなったことで、古くからの熱狂的なファンの多くがその出来映えを不安視する中で、公開を迎えることとなったのでした。
そして案の定、賛否が激しく渦を巻く結果となった続三部作。
エピソード7こそ、ファンが待ちわびた新作ということで興収全米記録を塗り替え(9億ドル超え)、世界累計興収でもシリーズ最高記録を達成する好スタートを切ったものの、続く2作は合わせてもそのエピソード7をやっと超える程度と、興行成績も尻すぼみの結果に終わりました。
エピソード8に否定的な評価が集中したことが興行上の敗因、との分析もありますが‥‥。
中身に関して、続三部作に共通して指摘される内容をまとめれば、およそ次の2点に集約されると言っていいようです。
① 旧三部作の主要なキャラクターに依存したストーリーと、どこかで見たことのある映像ばかり
② それなのに、旧三部作へのリスペクトが足りない
確かにエピソード7は、主人公のレイが銀河のどこかに雲隠れしたルーク・スカイウォーカーを探す旅を描いていますが、その途中でハン・ソロやチューバッカと出会い‥‥いや、そもそも彼らを苦しめている軍事組織ファースト・オーダーの中心人物カイロ・レンは、ルークの妹レイア・オーガナ将軍とハン・ソロの間にできた息子で、その彼が伯父であるルークとの修行の過程でダークサイド(暗黒面)に堕ちてしまい‥‥。
と、旧三部作の主要キャラを抜きにしては語れないのが、続三部作のストーリー。
にもかかわらず、エピソード7ではハン・ソロが、エピソード8ではルークが、そしてエピソード9ではレイアが、それぞれ命を落とす無情の展開。
これを「思い切った世代交代」ととるか、「旧作へのリスペクトが足りない」ととるか‥‥。
フォースの強大化というか、できることの拡大解釈についても、異論反論飛び交ったようですが‥‥、これも「新しい発想」と評価するのか、「そのフォースが旧作にあったら違う展開がありえた」とマイナスにとらえるのか‥‥。
本シリーズへの愛が深い人ほど、その葛藤も深い。
『スター・ウォーズ』という物語がいかに人々を惹きつけ、魅了したのか。
賛否の渦の大きさが、それを物語っているように思います。

☆量子もつれとフォースの不思議な関係
フォースといえば、続三部作で頻繁に登場するのが主人公レイとカイロ・レンが突然つながる場面です。「つながる」というのは、何ともほかに言いようがないからで、つまりテレパシーのように感じ合ったり、会話をしたり、ときには戦ったりと、かなりのことが、エピソード7〜9では可能になっているのです。それも、銀河の端と端ほど離れているにもかかわらず。
こうしたシーンを見るたびにモリゾッチが思い出すのは、物理学の世界で「量子もつれ」と呼ばれる不思議な現象です。「量子もつれ」って、聞きなれない言葉ですよね‥‥。
それは、ものすごく単純化した言い方をすれば、「宇宙の端と端ほど離れた場所にあるふたつの粒子が、瞬時に影響し合う状態がある」ということらしいのですが‥‥。
粒子が「もつれ」て絡まり合っているような、強い結びつきをもつ状態ということで、そう呼ばれるようになったようです(あ、ちなみに量子とは、原子や電子、光子などのように、この世界を形作っているとても小さな単位の総称です)。
私たちが日々実感しているニュートン力学では説明できない、宇宙などマクロの世界の原理を相対性理論として完成させたのはアインシュタインでしたが、そのあとに小さな小さなミクロの世界の原理として出てきたのが量子力学です。小さな粒子の振る舞いを「波動関数」を用いて説明することができるようになりましたが、それによって導き出されるのは、あるときは波のようであり、またあるときは粒子のようである、という摩訶不思議な量子の性質。
アインシュタインはこの量子力学に納得せず、どこかに間違いがあると考えました。
そしてこう言ったのです。
「波動関数を突き詰めていくと、宇宙の端と端ほど離れた場所にあるふたつの粒子が、瞬時に影響し合う状態が存在することになるんだけど、そんなわけはないよね?」
これは無理もありません。
アインシュタインの相対性理論では、光速を超える速さのものはこの世界に存在しないのですから。光よりも速く、瞬時に伝わる何かなんて、認めるわけにはいかないのです。
このアインシュタインの問いに対する答えを見つけようと奮闘したのは、デヴィッド・ボームというアメリカの物理学者でした。あのオッペンハイマーのもとで、原子爆弾の開発に大きな役割を果たしたことで知られる人物です。
彼はこう考えました。
確かに「波動関数」と量子力学は粒子の振る舞いをある程度予測できるし、観測結果と一致するから役に立つのだが、粒子がなぜそのように振る舞うのか、理由を説明することはできない。相対性理論とは、そこが根本的に違う。
そこでボームは「波動関数」を導き出す方程式を再構成し、粒子の振る舞いの理由を説明する、つまりこの世界の成り立ちを説明する方法を探そうとしました。
そしてたどり着いたのが、言葉で言えばこんな感じの方程式でした。
粒子の振る舞い=ニュートンの運動方程式+未知の変数
この「未知の変数」のことを、ボームは「量子ポテンシャル」と名付けましたが‥‥。
言ってしまえば、この理論、こんなふうに読むこともできます。
「この世界は、ニュートン力学と、まだ知られていない何かの力で成り立っている」
宇宙の端から端まで瞬時に伝わる、まだ知られていない何かの力。
それはフォースのことではないのか?
というのが、『スター・ウォーズ』を観るときにモリゾッチの頭をよぎること‥‥。
いや、しかし‥‥、あともう少しだけ、物理学の話にお付き合いください。
ボームの奮闘にもかかわらず、まだ「知られていない力」は、文字通りまだ見つかっていないので、この理論を証明する方法はありませんでした。
このままこの理論が忘れ去られようとしていたとき、ボームの論文に刺激を受けたジョン・スチュワート・ベルが、あるひとつの不等式を発表します。
不等式とは、「=」で結ばれている式ではなく、「A > B (AはBより大きい)」というように、「 > 」で結ばれている式(実際にベルが発表した不等式は「 ≧ 」で結ばれていましたが)。
のちに「ベルの不等式」と呼ばれることになるこの不等式の何がすごいかというと、この世界に「量子もつれ」が存在するのかどうかを、実験で確かめることができる点でした。つまり、実験で得られた数値を入力してこの不等式が成り立っていれば、「量子もつれ」は存在しない。逆に、不等式が成り立たないのであれば、それが「量子もつれ」が存在することの証拠となる。そういう式を、ベルは導き出したのです。
そして2022年、実験によってこの不等式が成り立たないことを示した3人の物理学者(ジョン・クラウザー、アントン・ツァイリンガー、アラン・アスペ)に、ノーベル物理学賞が贈られました。
アインシュタインの疑念に反して、「量子もつれ」は実在する。そのことは、いまや物理学の常識となったのです。
ということは‥‥。
はい。そうです。
フォース‥‥のような未知の不思議な力が、この宇宙には本当に存在するのかもしれませんね。

☆スター・ウォーズとは何だったのか?
スター・ウォーズといえば誰もが思い浮かべるフォース。
フォースはこの物語になくてはならない大切な要素ですが‥‥。
それは、物理学者ボームによって予言されていた、「未知の不思議な力」とダブるところがある‥‥。
そう考えていくと、本シリーズ全体のストーリーにもグッと深みが増して、何だかワクワクしてくるというか、胸の高まりのようなものを感じずにはいられません。
たとえ、実際の「不思議な力」が、映画で描かれているのとはちょっと違う姿だったとしても。
ところで、物理学がおもしろいのはこの世界の成り立ちを解き明かそうとするところ‥‥というのは言うまでもありませんが、実は、優れた映画はそんな物理学とちょっと似ているところがある、とモリゾッチは思っています。
この世界の成り立ちについての示唆に富んだ映画。
世界のこと、人生のこと、そして進むべき道を示してくれる映画。
そんな映画にたくさん出会いたい。
いつも、そう思ってきました。
ただし世界とは宇宙であり、社会(世の中)であり、揺れ動く人の心(精神世界)であり‥‥。
そんなマクロの世界からミクロの世界まで扱うところも、物理学と似ています。
そして似ているといえば、こんなところも‥‥。
またまた固い話で恐縮ですが、ボームの解釈とは別に、興味深い理論というか仮説が、量子力学にはもうひとつあるのです。
そもそも量子が波であり、粒子でもあるとか‥‥、その位置ははっきりとは特定できず、ここら辺に霧や雲のようにモヤ〜と存在している‥‥というふうに、量子の状態を確率論的にしか記述できないところが、アインシュタインのひんしゅくを買った量子力学ですが‥‥。
ヒュー・エヴェレットというアメリカの物理学者はこう考えたのです。
それは、私たちが無数の平行した世界の重ね合わせを見ているから。
「多世界解釈」と呼ばれることになるこの発想は、世界の成り立ちについて、新しくて興味深い示唆を与えてくれました。この世界観を反映させた映画の代表例が、マルチバースを扱った、ご存じMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の作品群ですね(それ以外にも、恋愛をテーマにしたマルチバースものなどもありますけど)。
映画と「多世界解釈」についてのあれこれは、以下の記事により詳しく書いています。
- 『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』レビュー☆隣の芝生は青いものだが‥
- 『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』レビュー☆愛する人のためにできること
- 『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』レビュー☆自分より相手のことを思えるか?
そして、『スター・ウォーズ』第1作が発表された当時のアメリカ社会の状況や、一斉を風靡したアメリカン・ニューシネマの背景などについて興味のある方は、以下の記事をどうぞ。
これらの記事にも書いたことですが、ベトナム戦争の失敗によってアメリカ社会は自信を失っていました。正義はどこにあるのか、いったい何が正義か、と社会が揺れ動いていたそのときに、「愛と正義」を全面に出して登場したのが本シリーズでした。そこにはわかりやすい「悪」があり、それを倒すというわかりやすい「正義」があったのです。
それが、『スター・ウォーズ』の本質であり、核心だという気がします。
言い換えれば、そこにあるのは光と闇との対立、善と悪とのせめぎ合い。
そして勝利の鍵を握るもの‥‥、それこそがフォース。
どうです? この世界の成り立ちについての示唆に富んでいませんか?
『スター・ウォーズ』は、間違いなくそうした作品のひとつだと思います。
そして本作は、その壮大なシリーズの、いまのところの完結編。
その本作の中で一番印象的なシーンは、と問われたら‥‥?
パルパティーンの居場所を探すため旅に出る主人公レイをレイア・オーガナ将軍が抱きしめる場面、とモリゾッチは答えます。
それは物語の序盤の、まだレイの冒険が始まる前の時点であり、しかも、レイアを演じたキャリー・フィッシャーは本作の撮影時にはすでに亡くなっていて(2016年12月没)、生前に撮影された未使用カットを使って再構成されたシーンではあるのですが‥‥。
レイを全身全霊で抱きしめたレイアは、こう言ったのです。
「本当の自分を恐れないで」
ご覧になった方はおわかりだと思いますが、この時点で主人公レイは自分が何者かをまだ知りません。これから始まる冒険の途中で、自分がパルパティーンの孫であることを知るのですが(そして、この設定が完結編の中で唐突に明かされたという点も、多くのファンが悲鳴を上げた要因のひとつではあるのですが)‥‥。
光と闇との対立を描く『スター・ウォーズ』の完結編で、闇の皇帝を倒す役目の主人公が、実は闇の側の人間だった‥‥。
そしてさらに言えば、レイアとハン・ソロの息子ベン・ソロが闇堕ちしてカイロ・レンになった経緯が前作で明らかにされましたが、それは、心の底で祖父ダース・ベーダー(アナキン・スカイウォーカーの闇堕ちした姿)に惹かれるベンの類い稀な潜在能力を恐れたルークが、彼の命を奪おうとしたから(このルークの闇堕ちともとれるエピソードにも、多くの悲鳴が上がりました)。
光の側の完全勝利を描いたと見えたエピソード6から数十年後。エピソード7〜9の続三部作は、このように光と闇の混沌状態に逆戻りしています。
それはまるで、エピソード4(第1作)が登場した頃のアメリカ社会のようでもあり‥‥。
かつて、中島みゆきはこう歌いました。
空と君とのあいだには
今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら
僕は悪にでもなる出典:中島みゆき「空と君のあいだに」より
闇落ちは、いつの時代の誰の身にも起こりうること。
いや、そうではなく‥‥。
この世界の本質が、実は闇なのかもしれない。
本作のラストで、レイは見知らぬ人から名字を問われ、「スカイウォーカー」と名乗ります。そこにいたる彼女の心の葛藤は、いかばかりであったでしょう。
自分の本性は闇なのか? 本当の自分は悪なのか?
そう問い続けた主人公‥‥。
物語の序盤にレイアの口から出た、祈りにも似た言葉が胸に沁みます。
「本当の自分を恐れないで」
さて、本作を「いまのところの完結編」と何行か前に書いたのは、本作の15年後を描く続編がディズニーからアナウンスされているからです。そこでは、再びレイを中心とした新たな物語が描かれるとされています。
光と闇の混沌状態は、果たしてどのような展開を見せるのでしょうか?
続編を待つファンの心理も悲喜こもごも‥‥というか、悩ましいところでしょうが‥‥。
そんな中、ふと自分の身の回りの世界に目をやると、光と闇のカオスはますます深まる気配を見せている今日この頃です(この記事は、2025年2月に書いています)。
例えば、1年前に騒がれた超大物芸人の破廉恥な性加害。
そして今年は、元アイドルの超大物司会者によるおぞましい性加害。
のみならず、被害者のプライバシーを盾に事件を隠蔽し続けた、身勝手であまりにお粗末なテレビ局の幹部たち。
世界情勢に意識を向ければ、超大国の指導者はすべて闇堕ちした暗黒卿。
核兵器の廃絶、ダイバーシティの尊重、気候変動対策など‥‥人類の共存と繁栄に不可欠なテーマは忘れ去られ、自分たちの利益だけを追い求める銀河帝国的統治の先に、明るい未来などあろうはずがありません。
この世界(星)は、いったいどうなってしまうのか?
続編よりも悩ましい現実の未来を考えると、やはり心の中でこの慣れ親しんだセリフをつぶやくしかありません。ただし、「you」を「us」に変えて。
フォースとともにあれ(May the Force be with us.)。
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