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『追憶』レビュー☆信念を貫くのは尊いことか?
主題歌「The Way We Were」は多くの人の耳に馴染んでいる名曲です。第17回グラミー賞の最優秀楽曲賞(Song of the Year)を受賞しました。同タイトルの映画も第46回アカデミー歌曲賞を受賞しています。
- 『追憶』
- 脚本
アーサー・ローレンツ - 監督
シドニー・ポラック - 主な出演
バーブラ・ストライサンド/ロバート・レッドフォード/ブラッドフォード・ディルマン/ロイス・チャイルズ - 1973年/アメリカ/118分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
政治活動に燃える女子大生とノンポリのイケメン学生
第二次世界大戦前夜のニューヨーク、女子大生ケイティーは青年共産同盟の活動に熱中していた。彼女がキャンパスで熱く語るのは、スペイン内戦のこと。多数の市民が虐殺されている。ヒトラーとムッソリーニはスペインで戦争を起こそうとしている。止めようとしているのはソ連だけだ。アメリカは、自分たちは、無関心でいいのか? そう、懸命に訴えている。
その演説を聞いているノンポリの学生の中に、ハベルがいた。彼は文武両道でおまけにイケメン。キャンパスの人気者だった。
ケイティーとハベルは同じ創作の授業をとっていた。宿題となっていた短編小説を提出し、教授からの評価を楽しみにしていたケイティーだったが、教授が選んだベスト1は、ハベルの小説だった。皆の前で読み上げられたその小説は、こんな書き出しで始まっていた。
「彼は、自分が生まれ育った国とよく似ていた。すべてがイージーなのだ」
すれ違っていく価値観
誰にも言わなかったが、ケイティーは密かにハベルに憧れを抱いていた。夜遅くバイトの帰りにばったり会って、ビールを奢ってもらったり、卒業のパーティーでダンスを踊ったことが、ハベルとのささやかな想い出だった。
だが、それだけだった。
それだけで2人は大学を卒業し、数年が経った。アメリカは第二次世界大戦に参戦していた。
ラジオ局に勤めていたケイティーは、ナイトクラブで海軍の制服を着たハベルと偶然再会した。店のカウンターで眠ってしまい、まともに歩くこともできないハベルを、自分のアパートへ連れて帰るケイティー。
その夜は何事もなかったが、それをきっかけに2人はときどき会うようになり、交際に発展する。
水と油のように見えた2人だったが、2人だけで過ごすときには何も問題がなかった。問題が起こるのは、ハベルが仲間うちのパーティーにケイティーを連れて行くときだった。ハベルは学生時代からのイージーな交友関係を続けていて、その連中の薄っぺらな会話にケイティーは我慢がならないのだった。小説を2冊ほど出していたハベルは、その仲間たちから誘われて、ハリウッドへ小説を売り込む話で盛り上がっていたが、ケイティーはそのことにも反対だった。
そしてルーズベルト大統領が亡くなった直後のパーティーで、ケイティーはついに爆発した。いつものようにくだらないジョークを連発する友人たちを罵倒し、全員をシラケさせた。
キャンパスで演説していた学生時代のケイティーに、戻ったかのようだった。
しばらくして、ハベルが別れを切り出した。君とはやっていけない。
パーティーでのことは、ケイティーも充分反省していた。だから懸命に食い下がった。別れたくない。
無理だ。君は人生を楽しむことを知らない。遊びがなくて、息苦しい。
私は世の中を良くしたいだけ。あなたも私も共に良くなる。そのために戦うことも必要だわ。
一緒にいても共倒れになるだけだ。
共に勝つことだってあるかも。
‥‥。
激しく言い争ったが、ハベルは結局笑うしかなかった。疲れた、と最後に言った。
数年後、2人は太平洋に浮かぶヨットに乗っていた。
ハベルはハリウッドで脚本家になり、ケイティーはその妻となっていた。2人は海辺の家に暮らし、休日にはビーチでバレーボールをしたり、ヨットに乗ったり、カリフォルニアでの暮らしを満喫していた。
だが、第二次世界大戦終結後の世界は、米ソ冷戦の時代に突入していた。アメリカをはじめ西側諸国では、国内の共産主義者やその同調者、さらにはソ連のスパイを暴き出し、排除する動きが広がっていた。「赤狩り」と言われるそうした活動はハリウッドの映画界にも及び、ハベルとケイティーが親しくしている映画監督の自宅に盗聴器が仕掛けられる事態となった。
これを知ったケイティーは、行動を起こさずにはいられなかった。ハリウッドの有志を集め、身重にも関わらず、ワシントンへ抗議に出かけた。このことがハベルの仕事上の立場を危うくし、2人の間で再び激しい口論が繰り広げられた。
ハベルは言った。大切なのは人間だ。主義主張や思想ではない。
ケイティーは言った。いいえ。主義や思想は人間にとって一番大切なものよ。
深い根っこの部分で、折り合うことのできない2人だった。それからしばらくして、ケイティーは、ハベルが学生時代の恋人と浮気したことを知るのだった‥‥。
☆世界史の激動の中にある2人
1973年の映画ですが、描かれている年代はスペイン内戦の頃から始まる20年間ほどですので、いまからざっと90年ほど前から70年ほど前までの時代ということになります。
まず最初に感じるのは、この90年ほどの間に起きた世界の様変わり。その世界史上の変容の大きさ、ダイナミックさに、素直に驚かされます。
ケイティーは世の中を良くしたいと純粋に願う真面目な女性ですが、その彼女が信奉する思想は共産主義で、理想とする国家はソ連なのです。2022年という現代にこの映画を観る私たちは、冒頭の彼女の演説シーンにめまいのような衝撃を覚えます(この記事は2022年5月9日に書いています)。
それはジョークでもなんでもなく、その時代のアメリカのキャンパスに実際にあった光景なのでしょう。「ファシズム」という強大な悪、世界の平和を破壊する凶暴な罪に対して、共産主義思想は各国労働者・人民の味方であるという宣伝が、実に効果的に繰り広げられていたことを物語っているのかもしれません。ソ連は実際、第二次世界大戦を連合国側として戦い、勝利しました。
しかし、ケイティーの知らないその後のソ連を、私たちはよく知っています。戦後の東西冷戦に敗れたソビエト連邦は、1991年に崩壊し、中核を成していたロシアを含め15もの独立国家が東欧に誕生します。
ウクライナ、ベラルーシ、ジョージア、モルドバ等の国々です。
そしていま、そのロシアの、ソ連の中核を成していたロシアのしていることは、まさに「ファシズム」そのものであると、私たちは皆知っています。90年ほど前にケイティーが敵視していたナチス・ドイツと、なんら変わるところはないのです。
戦後の「赤狩り」が、ハリウッド目線で描かれる場面があります。一般市民への盗聴などという、ソ連がやりそうな方法まで用いて、アメリカ国内の共産主義勢力に目を光らせていたことがわかります。おそらく似たようなことが、当時実際にあったのでしょう。密告も行われたかもしれません。
ケイティーならずとも、黙っていられない気持ちはわかります。思想・信条の自由というものがあるのですから。
ただ、一方で、こんなことも思います。
もし「赤狩り」が行われた戦後の混乱機にソ連の工作が成功して、アメリカで共産主義革命が起きていたら‥‥(実際にそんな工作があったかどうかは知りません。すべては架空の話で、恐縮です)。もしそうなっていたら、2022年の私たちの時代は、世界の大国のすべてが独裁国家となっていたかもしれません。真実が何も報道されない、真実を知ることが許されない、そんな独裁国家に‥‥。
いいえ、だから「赤狩り」がよかった、と言いたいのではありません。そんなふうになっていなくて、本当によかった。つまり、その時代にソ連や共産主義を警戒したことに意味はあった、そう思ったのです。
「赤狩り」自体はやり方が過激すぎたと言いますか、マスコミからも批判が殺到したらしく、1954年には終わりを迎えたと記録されています。つまりアメリカは、戦後の行きすぎた政策を修正したのです。
「赤狩り」について私たちが心に留めるべきことは、まさにこの点だと思います。この点こそが、独裁国家と民主主義国家との決定的な違いだからです。
批判され、考え直し、自ら止めることができる。それが、民主主義が機能している何よりの証拠。そう言えるのではないでしょうか。
映画が作られた1973年という時代についても、少し触れておかなければいけないでしょう。
記録によれば、米ソ冷戦時代の代理戦争とも言われたベトナム戦争は、この年の1月、ニクソン大統領によって終結が宣言され、3月にはベトナムからの米軍の撤退が完了しています。
それに先立つ60年代、アメリカ国内でベトナム反戦運動が盛り上がりを見せ、ヒッピーなどのカウンターカルチャーを産みながら、世界各国の学生運動へ飛び火していきました。
そうした流れを受けて、ベトナム戦争終結を迎えた1973年。反ソ連・反共産主義へ傾きすぎたことへの苦い後悔のような徒労感が、アメリカ社会に蔓延していたことは想像に難くありません。やりすぎだった「赤狩り」を軌道修正した頃と同じ空気が、社会全体を重苦しく支配していたことでしょう。
ケイティーというヒロインの人物像が造形されたのは、まさにそういう空気の中だったということを、忘れてはいけないと思います。
☆愛と思想、どちらを選ぶべきか?
さて、この映画を観たとき頭に浮かぶいくつかの問いのうち最大のもの‥‥「え、ソ連って、イイモノだったの?」について、ここまで考察してきました(問いの大きさはモリゾッチが独断で決めています。悪しからず)。
次に大きな問いといえば、やはり「信念を貫くのは尊いことか?」を挙げないわけにはいかないでしょう。
これに対して、いま思いつく限りで一番正しいと思う答えを正直に言えば、こうなります。
信念の中身による。
身も蓋もない答えで、答えになってない感もありますが‥‥。こうなってしまう最大の理由はやはり、ケイティーの信奉している思想が共産主義だということにあります。ケイティーがその信念を貫けば貫くほど、世界に独裁国家を増やす手助けをしていることになりはしないか。そういう疑念が、つきまとうからです。
これは何も、モリゾッチの個人的な趣味や嗜好のせいではないと思います。第二次世界大戦前夜でも、1973年でもなく、2022年というまさに「いま」を生きているすべての人に共通の、偽らざる心境ではないでしょうか。
ならば、もう少し答えになってる感のある答えを探すため、ちょっとした思考実験をしてみましょう。
仮にケイティーが、私たちと同じ「いま」を生きていたとしたら?
彼女は、それでも共産主義を支持しているでしょうか? 彼女にとっての理想の国家は、それでもソ連やロシアでしょうか?
モリゾッチはこんな想像をしてしまいます。もしもケイティーが、2019年に香港の大学に通っていたら?
これはあくまでモリゾッチの想像の中の話ですが、彼女は中国共産党を支持してはいません。それどころか、彼女は間違いなく民主化運動の先頭に立っていたでしょう。香港の自治を守り、香港市民の自由を守るために、彼女は中国共産党と中国政府に対して抗議の声を上げたでしょう。
この想像の中のケイティーを思いながら先ほどの問いに答えるとすれば、答えははっきりと「Yes」です。
独裁政権の弾圧に負けず、市民の自由を守るという信念を貫くとすれば、それは間違いなく尊い行為と言わざるを得ません。この答えに異を唱える人は、2022年の「いま」には存在しないと思います。
さて、それでは、次の問いについて考察していきます。
と言ってみたものの、すでにここまでで相当な文字数を費やしてしまいました。え、まだ続くの? という声も聞こえてきそうですので、次の問いを最後、としたいと思います。
問いはまだまだ浮かんでくるのですが、最後にひとつを選ぶとすれば、「人は、愛と思想と、どちらを選ぶのがよいのか?」になるでしょうか。
先ほどの問いで、信念を貫くのは尊いことだ、と言える場合があることを見てきました。ならば、愛よりも信念を、愛よりも思想を、優先するべきでしょうか? それとも、愛は何にも代え難く、思想や信念よりも優先すべきものなのでしょうか?
本作のヒロイン、我らがケイティーは、この問いの狭間で何度も揺れ動き、物語の終盤でついにハベルとの別れを選択します。このことを、私たちはどう考えればいいのでしょう?
彼女は愛よりも思想を選んだのだ、と考えることもできます。が、しかし、何よりもハベルの幸せを第一に考えたら自分と一緒にいない方がいいという結論になった。ハベルのために、ハベルのことを思って別れる。そういう場合は、思想を選んだというのでしょうか? それとも、思想よりも愛を選んだことになるのでしょうか?
ハベルの視点からは、どんなことが言えるでしょう?
ケイティーは思想を捨てられない人です。彼女を全面的に受け入れて、自分はすべてを捨てて(つまりイージーな旧友らとの関係を切り、彼女の行動で自分の仕事が不利になっても気にせず)、彼女のやりたい人生に付き合う、という愛の形もあるとは思いますが、ハベルはそうはしませんでした。
いってみれば、「思想よりも人間が大事である」、「人生にはイージーな人間関係が必要だ」というような、ケイティーとはまた別の信念のようなものがハベルにはあり、その価値観を捨てられなかったのだ、とも言える気がします。
でも、仮に自分の信念や価値観を捨てて相手の人生に付き合ったとしても、果たしてそれで自分が幸せか、そんな自分で相手が幸せか、やってみないとわからないところがあります。
どうも「最後の問い」は意外と難問だったかもしれません。人によって、答えはいろいろ出てきそうです。その人の置かれている状況によって答えは違ってきそうですし、ひとつの正解なんて、元々ないのかもしれません。
というわけで、またまた答えになってない感満載の答えになってしまいました。
お詫びの印という訳でもないですが‥‥、ここでモリゾッチ限定版の答えを書いておきます。
2022年の日本に住んでいて、憲法に保障された「自由」がある限り、モリゾッチ個人としては、愛より大事な思想はありません。愛が最優先で、つまり家族が最優先で、楽しくやれると思います。強いて言えば、家族の価値観は似ている方がいいですが。
こんなふうに言っていられるのは、世界の中でもとても恵まれた環境にあるからだと思います。幸せなことだと思います。
☆美しい主題歌と切ないラストシーン
ラストシーンは、ケイティーがハベルとの別れを選択してから数年後のニューヨークです。
街角で原爆禁止の署名活動中の彼女は、脚本家としてテレビ局を訪れたハベルと偶然再会します。2人の間の子供が美しい娘に育ったことを報告し、再婚して幸せにやっているから(これは本当かどうかわかりません)何も心配いらないと告げます。
そして、2人は見つめ合い、抱擁を交わします。
2人の間にまだ愛があることがわかる、切なくて、とてもいいシーンでした。
別れたけれども、まだ愛している。愛しているけど、別れを選んだ。そうした経験のある人はもちろんですが、かつて誰かを真剣に愛したことがあるすべての人が、この2人の芝居に胸を揺さぶられたことでしょう。このシーンと美しい主題歌のおかげで、本作は多くの人の心に残る名作となりました。
エンドロールを観ながら頭に浮かんでくるいくつかの問いに、自分なりの答えを見つけてみてください。古い映画だからこそ、感じること・考えることがたくさんあるのでは、と思います。
(書き終えてテレビをつけると、ロシアの「戦勝記念日」のニュースをやっていました。1945年のこの日にナチス・ドイツを打ち負かしたことを祝う式典で、この国の大統領は「この世にナチスがいなくなるためにいまも戦っている」とウクライナ侵略を正当化したそうです。
ニュースが終わると、「ビロード革命」のドキュメンタリーが始まりました。これはソ連崩壊の前夜にあたる1989年に当時のチェコスロバキアで起きた民主化運動で、無血のまま共産党政権を倒したことで、滑らかな生地に例えてそう呼ばれているそうです。ちなみに、ベルリンの壁崩壊も、ビロード革命勃発の1週間ほど前の出来事でした。
愛よりも思想が大事な社会にはならないでほしい‥‥。いろいろな意味を含めてですが、そんなふうに思いました。)
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