当サイトは広告・PRを表示します
『WAVES/ウェイブス』レビュー☆人生は山あり谷あり
31もの楽曲が登場人物の心情に寄り添うように配され、シーンによっては、その歌詞がセリフのように気持ちを語ってくれる作品です。公式HPによれば、「ミュージカルを超えた、プレイリスト・ムービー」と呼ぶそうです。
- 『WAVES/ウェイブス』
- 脚本・監督
トレイ・エドワード・シュルツ - 主な出演
ケルヴィン・ハリソン・Jr/テイラー・ラッセル/ルーカス・ヘッジズ/アレクサ・デミー - 2019年/アメリカ/135分
※以下の記事は作品の魅力を紹介するため最小限のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
☆あらすじ
舞台はフロリダ。
高校生のタイラーはレスリング部で将来を嘱望されたエリート選手。両親と妹のエミリーとの4人家族だ。父親が自分に厳しすぎることがストレスになっているが、家庭は裕福で、美しい恋人もいて、まずまず申し分のない高校生活を送っている。
ところがあるとき、肩に致命的な故障が発見され、選手生命を断たれてしまう。
悪いことは重なるもので、それとほぼ同時に恋人の妊娠が判明。あろうことか、彼女は彼の意思に反して子供を産むことを決断する。タイラーは思いとどまるよう説得しようとするが、携帯での連絡を彼女からブロックされ、話を聞いてもらえない。
失意のタイラー。酒、ドラッグ‥‥、荒れた日々を過ごす。
そしてそんな中、ついにあの夜を迎えてしまう。
事件から1年後。
ひっそりと、孤独な高校生活を送る妹エミリーの前に、ひとりの男子生徒が現れる。唐突に、不器用そうに、エミリーをデートに誘うのだった‥‥。
☆斬新で実験的な2部構成の作品
プレイリスト・ムービー、というだけあって、そうそうたるアーチストの楽曲が並びます。フランク・オーシャン、ダイナ・ワシントン、ケンドリック・ラマー、エイミー・ワインハウス、H.E.R.、レディオヘッド、アラバマ・シェイクス、‥‥etc。シュルツ監督はまず最初にこれらのプレイリストを作り、そこからこの映画の脚本を着想したそうです(公式HPより)。
楽曲から映画を着想する、ということだけで言うと、これは別に新しい手法でもなく、日本の映画でもよくやります。つい最近も『糸』なんていう作品がありました。過去を振り返れば、『銀座の恋の物語』『高校三年生』『神田川』『なごり雪』等々、枚挙にいとまがありません。
誰でも知っているヒット曲から映画を作れば、ベストセラー小説を映画化するようなもので、何もしなくても大勢の人が観に来てくれるような気がするのでしょう(実際はそんなに甘くないですが)。
それ以外にも、演歌歌手のリサイタルなどでは、ヒット曲の歌詞の世界をお芝居仕立てにしてその歌手が演じてみせる、という演出が珍しくないようですし、昔のテレビの歌番組などでも、ヒット曲を短いドラマにして、歌手たちの素人っぽいお芝居を楽しむ、というような企画を見たような気がします。
と、どんどん横道にそれていってますが‥‥、つまり、それを31曲集めて、並べて、ひとつのストーリーにした、という点が大変新しくて、斬新なのですね。
ひとつのストーリーといえば、物語の構成も斬新で、兄・タイラーの物語である前半と妹・エミリーの物語である後半といういわば2部構成になっています。これもずいぶん思い切った感があるやり方で、前半と後半とでは、まるで別の映画を観ているかのようです。
もうひとつこの映画の斬新な点として、映像面の演出も挙げないわけにはいきません。
冒頭の車中シーンが360度回転するカメラワークで始まることにも象徴されていますが、とにかくずっとカメラが動いているのです。動き方は小さかったり、大きかったり、ゆっくりだったり、すごく速かったり‥‥、そのシーンの気分をカメラワークが表現するかのようです。
そのとき流れている楽曲もそのシーンの気分を表しているので、これはもう映画を見ているというよりは、ミュージック・ビデオを見ているといった方がピッタリきます。31個のミュージック・ビデオがつながって、2部構成のひとつのストーリーになっている。それが、この映画の本質だと思います。
そのカメラワークですが、前半のタイラー編では特にカメラが激しく動きます。それがずっと続くので、観ているこちらは不安になり、不快にさえなります(モリゾッチなどは、役者より先にカメラが芝居してるじゃないか、と思ってしまいました)。
うまくいかないことが重なり、徐々に追い詰められていくタイラーの心情を追いながらその揺れる動く画面を見ていると、だんだん観るのが辛くなってきた。そんなふうに感じ始めた矢先、あのひどいことが起きてしまいます。
その事件はタイラーの人生を一変させることになりましたが、家族もまたそれぞれに傷つき、前へ進むことができなくなりました。
母親は、厳しくタイラーを追い詰めた父親を許すことができません。両親の心が通い合わない家庭。あのタイラーの妹という色眼鏡で見られる学校。どちらにも居場所のないエミリーは、兄に対する誹謗中傷で溢れた自分のSNSを閉じ、ひっそりと息を潜めるように日々を過ごしていくだけです。
あのひどいことが起きてから、画面のアスペクト比はほとんど真四角にまで狭まっていましたが、そのまま始まった後半は、カメラの過剰な動きが抑制されています。動きを止めて、まるでエミリーの心の奥の悲しみをすくい取ろうとするかのように、ただ静かに見守っています。
そして彼女が恋人と出会い、少しずつ希望を取り戻していく過程で、狭まっていた画面は再びワイドに広がっていくのです。
☆人生は一筋縄ではいかない
斬新な手法にあふれた本作ですが、その中身は意外にも、古典的な家族の崩壊と再生の物語でした。
観終わったとき心の中にあったのは、モリゾッチのようにとうのたった人間ならたいてい知っている、人生についてのある秘密です。
それは‥‥、人生は一筋縄ではいかない、ということです。
あ、秘密、というほどのことじゃないですか? それは、失礼しました。
しかし、人生をスタートしたばかりの人は、皆このことを知りません。というか、他人から教わったり言葉では聞いていても、つまり知識として知っていたとしても、自分で経験しないと本当にそうだと気づかない。そういう意味で、これを実感したときは、秘密をひとつ探り当てたような気分になるものではないでしょうか。
一筋縄でいってくれた方が人生は楽で楽しい。誰しも、そうです。
だから物事が順調に進んでいるとき、このままずっと悪いことが起きないでほしい、と思います。その思いは日に日に強くなっていき、しばらくすると、ひょっとして悪いことなど起きないのではないか? と思ってしまいます。このまま、一筋縄で、人生は楽に、楽しく、過ぎていくのではないのか?
でも、若い人よりは少し多めに人生経験を積んだモリゾッチは知っています。
悪いことなど何も起きないのではないか、と考えてしまう、そのことが、悪いことなのです。
なぜなら、人はそう考え始めた瞬間に、悪いことへの心の備えを解いてしまうものだからです。
心の備えのないまま悪いことに直面し、人は仰天し、事態を受け入れられず、カッとして、パニックになり、自分を見失い、正しい対処ができなくなり、ヤケになり、キレて、最悪の事態を迎えます。
そのことを、我々は本作の前半でまざまざと見せられるのです。
人生は一筋縄ではいかないものだと、タイラーが知っていたなら‥‥。
選手生命を断たれたとしても、恋人を妊娠させてしまったとしても、それは最悪なんかじゃない。いまは最悪のように思えるけど、それは人生のただの一面。リカバリーのチャンスはある。だって、人生ってそういうものだから。そのことを、彼が知っていたなら‥‥。
しかしタイラーを責めることは誰にもできないでしょう。この人生の秘密を本当に知っている高校生なんて、それほど多くないはずですから。
家族の再生の道筋が少し見えてきた物語のラスト、エミリーはひとり自転車で疾走します。まばゆい日差しを受けて、微笑みながら‥‥。
深い傷を負ったあとに希望を見出した彼女だから、きっともう大丈夫。そう思いたいところですが、この先の彼女の人生に何が待ち受けているかは、誰にもわかりません。両親の心は再び通い合うのでしょうか? 恋人との関係はずっと良好でしょうか? もっと悪いことは、もう起きないのでしょうか?
人生は一筋縄ではいかないもの。
なぜなら、人生は山あり谷あり。
そして幸せは、寄せては返す波のよう。
掴んだと思った瞬間に遠ざかる。
去ったと見えても、いつかまた手に触れる時がくる。
世の中のすべてのエミリーやすべてのタイラーに、このことを伝えられたら、と思いました。
コメント